君が代、安曇磯良を讃える歌 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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志賀海神社の神楽歌が日本国歌(君が代)の原型とか!この神社の氏子である海人族安曇氏は日本列島の渡来人達の渡海を助けた恩人で、リーダーの安曇磯良は恵比寿神、事代主神、五十迹手、猿田彦武内宿禰など色々なお姿を感謝して神社に祀られている。邪馬台国から現在までつながる大恩人であり、日本国と一体であり、なんと有難い歌であろうか!

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ところで、安曇氏の国、伊都国(福岡県の糸島半島)に君が代に纏わる神社があるとか(wiki参照のこと)。


参考

「君が代」は、金印(漢委奴国王印)が見つかった福岡県・志賀島志賀海神社で4月と11月の祭礼(山誉め祭)として以下のような神楽歌として古くから伝わっている。なお、この山誉め祭は、民族学的に価値のある神事として、福岡県の県指定の無形文化財に指定されている。

君が代<だい>は 千代に八千代にさざれいしのいわおとなりてこけのむすまで
あれはやあれこそは我君のみふねかやうつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳<せんざい>という
花こそ咲いたる沖の御津<おんづ>の汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや


志賀の浜長きを見れば幾世経らなむ香椎路に向いたるあの吹上の浜千代に八千代まで
今宵夜半につき給う御船こそたが御船ありけるよあれはやあれこそは阿曇の君のめし給う御船になりけるよ
いるかよいるか汐早のいるか磯良<いそら>が崎に鯛釣るおきな

— 山誉め祭、神楽歌


イツツヒコの子孫が五十迹手=イトテ=イタテ=事代主=一言主=イタケ=五十猛(参考1参考2)、さらに武内宿禰と同一神であった(参考)。事代主は五十猛、安曇磯良と同一神で安曇氏(秦氏)である(参考)。


糸島市に君が代にかかわる神社がある。