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ハニーちゃんがゆく!

ひたすら寝てる人 たまに遠くへ行く

令和5年11月19日参拝

森岡での寄り道を挟みます。

この辺てほんと見どころが多いので一泊二日でじっくりまわるのもありだと思うのよ(わたしはね!)。

札所めぐりで時間に余裕はないけど、せっかくだから少しだけ散策してたら真新しい回向柱が‥。



(東海薬師の第42番なのですね)

晋山江湖會‥ なんのこっちゃらでしたがその横の「新命」から晋山が住職の就任式、江湖はお披露目じゃない?と察しました。



妙法寺は曹洞宗の寺院で本尊は薬師如来です。

開創当時は天台宗だったそうです。

東浦町は於大さんの出生地で水野家ゆかりのお寺にちょいちょい行きましたが曹洞宗ばかりでした。



仏法守護の妙法白龍大明神。

今も昔も水の確保は重要な課題ですし。



わたしら一般には厄除けですかね🙏



妙法寺でいただいた御朱印は東海四十九薬師42番。

これを機に東海薬師始めてみようか?と札所地図を見たら三重・愛知・岐阜・静岡と東海全域をまたがってることを知り、そっと立ち去りました‥。

永住しないと厳しいね (´・ω・`)



瓦の産地が近いだけあってたっぷり三州瓦。



お稚児さんの行列が出たようです。

晋山式わたしもどこかで見物できないかな。



東浦町で見かけたマンホール。

図案はトビハゼと町の花ウノハナ(おから)。

トビハゼが跳ねる干潟と初夏の風に揺れる白い花、東浦町ステキです。




◾️瑠璃光山 妙法寺

愛知県知多郡東浦町大字森岡字杉之内46


令和5年11月19日参拝

長草天神から共和駅まで2〜30分歩いたかもね。

バス停はあるのに肝心のバスがひとつも走ってなくて苦労しました (´・ω・`)



共和駅→大府/大府→尾張森岡駅。

久しぶりの武豊線です。



尾張森岡駅で電車を見送ると田園風景が現れたw

うそでしょ〜 🤣

電線があるからまだ田舎ではないかぁ。



おもしろいお墓がありました😆

墓碑の戒名は〇〇居士。

誰もがぶっ飛んだばーさんを連想するであろう「ぶいぶい婆」とは墓守りしてた機織りのばーさんと見られてるそうですよ🙏

糸を紡ぐ時にぶいぶい音がするらしいダッシュ



尾張森岡駅から徒歩5分ほどで7番極楽寺に到着したのではないでしょうか。



開山の即法玄中どんな方か調べたら龍隠寺(太田道灌のお寺ね!)59世にお名前があったのですが‥。

いろいろ脱線しそうなので調べるのやめとこ。



左端が弘法堂ですね?



|д゚) 南無大師の提灯いっぱいあるけど大師の像はどこにあるのか発見できなかった🙏

(暗くて見えなかったということに‥)



記念印がわたし的どストライク‥♡



次は同じく東浦の8番さんです。

Googleマップ上では徒歩10分みたいですが、途中いろいろ寄り道していたので実際のところは森岡駅から1時間以上さまよっています。

天白遺跡


緒川駅から1kmぐらいのとこらしいんです。

このあとは電車使ってないから関係ないですが。



石段を上がったとこにお地蔵さまが2体🙏

哀愁ただよう札木地蔵尊に釘付けよ。

わたし丸彫の石仏が大好きなんです。



その先に並ぶ石仏も見てく。



この辺はお土地柄みたいのを見ていく感じで勉強(言うほど詳しくないのでね‥)。

とにかくたくさん見るのが大事グー



中でも気になった観音さま。

まわりの石仏と比べて艶かしいお顔でボディはどうなってるのか見てみたくて前掛けをぺろん。

髪の毛の部分もそうだけど墨で描いたように黒々としたラインは岩質なのかしら。

あらゆる技が見え隠れ?



そうそう、知多四国で来たのでした (゚o゚;) 



お堂の額に各地での巡拝記念とか御御影とか、札所めぐりしてるひとなら見てて楽しい思い出コーナーとなっていました。



60代の方が多いですねぇ。



上を見上げると、飛天‥鳳凰のような鳥に乗ってる飛天!

向きがあっちゃこっちゃなので見るのが大変。



納経所に行ってみましょう。



あら、実は大きなお寺さんだった?



‥と思ったらそんなもんじゃなかったわ!



傳宗院の御朱印です。



ねぇ、すごい門まであった。

なんでこっちから入らなかった?



山門を守護する四天王。

大きさはバービー人形ぐらいですが薬師寺のミニミニ模刻みたいでよく出来てると思いました。



東浦町で見かけたマンホール。

図案は町の花ウノハナ。

つまり おから ですよね。

おからは好きでよく食べるけどお花を見てみたいわ!




62. 7番 極楽寺

愛知県知多郡東浦町大字森岡字岡田51番地

63. 8番 傳宗院

愛知県知多郡東浦町緒川字天白48番地

令和5年11月19日参拝

ここで寄り道入れていきます。

知多四国5番地蔵寺の石段からお隣の長草天神社に抜けれることを知りました。

地蔵寺は弘法大師御生誕記念の御朱印に梅鉢紋を入れてくる程だからよっぽど縁が深いのね。



わたし思うに、この辺りに天神さんが多いのは久松氏の本拠地だったからだと思うの。

久松氏の本姓は菅原氏で、菅原道真の左遷にともない孫の雅規が阿久比に配流となり、幼名を久松麿といったので後裔は久松氏と名乗るようになるわけですが、

於大さん再嫁で久松家は待遇がよくなったので関連のお寺もちゃんと残ってるんじゃないかと。



「天下の奇祭 どぶろくまつり」とは長草天神の例祭で、戦前は正月25日に行われていました。

現在は毎年2/25(の直前日曜)にどぶろくのお振舞いと猩猩のお練りがあるそうです。

そういえば有松天神まつりにも猩猩がいたっけ。



橘の実が浮かぶお手水がありましたよ。

天神さんで橘といえば、太宰府天満宮の中嶋神社(祭神:田道間守)ですけど、たぶんこの場合は43代元明天皇のお世話をしていた県犬養三千代が大嘗祭で橘を浮かべた盃と橘姓をを賜って藤原不比等と一緒になるので藤原氏にとってはめでたい実だよね。



おひとついただきたいとこだけど、旅人は荷物増やせないので爽やかな香りのお手水を使うことで不老不死を手に入れたことにしておきますグー



橘の手水ステキじゃないですか!✨

(見た目きれいなだけで雑菌だらけの花手水をやってる寺社は直ちに橘手水へ切り替えていただきたい)



御祭神は菅原道真公です。

この辺りって鎌倉時代は英比ノ庄に属していたそうですよ(やっぱり英比丸)。

英比ノ庄の地頭 藤田民部 が、家人の藤次藤左衛門を入植させて、明応3年(1494)6月19日に邸内に祀る藤原道真公を産土神としたのがはじまりです。



大〜きなクスノキがある。



その近くで橘がたくさん実をつけてました。

いい香り〜。



筆塚は軸の部分に梅の花が刻まれているのがおしゃれでした。



ちょっと、鷽替之碑ですって。
鷽かえがあるなら来たいですけど!
心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん


臥牛の角に紐が巻いてあるのは狛犬でよく見かける足止めの信仰でしょうか。



その横に小さなお社。

㊨津島神社

㊧五社(神明社・藤井神社藤井神社・田ノ神社・山ノ神社・荒神社)



なんと本殿横にどぶろく酒造所がありました。

お酒を振る舞うお祭りがあるなんて地元の方はうらやましいですね。



11月限定という御朱印は笙の判子がかわいいけど横のカラフルなのがイヤです。

氏子さんによるとこの判子は宮司さんお手製で御朱印は紙で渡しているとのこと。



‥というわけで、いただいた御朱印がこちら。

印版の御朱印って江戸時代みたいで大好き。




◆長草天神社

愛知県大府市長草町本郷44

令和5年11月19日参拝
4番延命寺から徒歩40分でした。
コミュニティバスの本数が少なくて全然乗ることができないのつら過ぎた。

午前中から徒歩の部分が長すぎて心が折れそう。
(2→3→4ときて、6番常福寺まで頑張って歩いたら7番→8番と尾張森岡駅へ近づいていく予定でした)



常福寺は曹洞宗の寺院で本尊は千手観音です。

壇ノ浦の戦いに敗れた平(藤原)景清がこの地に逃れて草庵を結んだのがはじまりと伝えられています。



また、景清を匿った叔父さんというのが博多から来た禅宗の坊さんという話もあるみたいで、どっちにしろ随分古くからあるんですね w(*゚o゚*)w



弘法堂の前にいるのはいつもと右手がちょっと違う弘法大師。



6番さんでいただいた御朱印がこちら。

本尊千手観音のお姿㊞に弘法大師御生誕千二百五十年記念宝印の文字が嬉しい。



弘法堂をお参りして見渡すときれいなお庭✨

見ただけで次の札所への希望があふれてくるから不思議なものです。



この次は7番→8番→尾張森岡駅の予定でしたが、5番地蔵寺を残してることに気づきました。

なんか5番さんだけ離れてるんだよね。

どんだけ離れてるって、まわりは80番台ゾーンで特に88番さんが近い。
今思うと順番にこだわってないんだし後回しにするべき札所でしたが気になるなら行っておこうグー

ちょっと遠いのでタクシー呼ぶことにします‥。



タクシーを待ってる間かわいい石仏たちに癒された‥✨





            車



タクシーって素晴らしいよね。

徒歩60分の予定が10分に短縮できた上にすっかり体力が回復しちゃってありがたいやら申し訳ないやらで5番地蔵寺に到着です。



5番さんの地区は本郷っていうだけあって町の中心なのでしょうか、参拝者がすごく多かったので写真は弘法堂だけです。



でかっ!な弘法大師像🙏



記念印に梅鉢紋があったので天神さんとか阿久比丸かしら?と思ったのね。



正面の石段の途中に抜け道があって、お隣の長草天神社と繋がっていました。

江戸時代は同じ敷地だったのでしょうね✨



さぁ、ここから知多四国88番円通寺までたったの2kmなわけですが‥。

(あんた 88番は最後にしまい!)

そうよね、同行の空海さんに突っ込まれたような気がしたので次は7番さんへ行きましょう。


その前に寄り道しますけど。



60. 6番 常福寺
愛知県大府市半月町三丁目115番地
61. 5番 地蔵寺
愛知県大府市長草町本郷40番地
令和5年11月19日参拝

藤井神社から徒歩20分ぐらいだったと思います。

今回も歩くよね〜(;へ;)



ちらっと見えてる仁王さん。



すき間から撮るのなかなか上手になりました。

仁王像がいるから仁王門だと思うじゃん、楼上に文殊さんがいるから文殊楼門と呼ばれてるそうです。



靴のまま外陣でお参りできるタイプのお堂です。

  ㊥地蔵菩薩(本尊)

  ㊧弘法大師

  ㊨薬師如来

新しくて大きなお堂が建ってますがそちらは客殿で、お寺の本尊がいるこっちが本堂なのかも。



あら、薬師さんのとこにちょっと変わったものがありますよ‥( ´3`)

この手のモノって神社ではよく見るけど。



まるで牛乳瓶を返す箱みたい (・`◡´・)



知多四国4番さんは左でした。

片目を瞑り網の目から覗いてナム🙏



石仏のみなさん 首 がちゃんとある。

首が短い族としてはうらやましいです🙏



納経所に行ったら奥さんから手づくりマスコットをいただきました。

添えられた紙に「おまいりありがとう」って、

こちらも!こちらもね! (つД`)゚゚



ここで客殿らしき建物の写真も撮ろうとしたら人がいたので手前の建物を見に行ったのです。

ほんと何となくです。



格天井の絵は消えちゃってるのかー、え、まって、なんだかすごく仕事が丁寧よ。

タテヨコタテヨコ‥。



ねぇ、彫刻めちゃくちゃ上手いよね。

腕前はモチロン、削った面がきれい✨



なにこれ、見れば見るほど引き込まれる。

素人だけど上手い下手ぐらいはわかりますから‥。



もしや本堂もヤバいのでは。

質素な建築でも虹梁と垂木は凝った装飾になってることが多いもんです。

外側(左)


雲に何か紛れ込んでるよ?

内側(右)


隠し彫りかなんかを疑って裏側へまわると天女の持ち物が雲の向こうに突き抜けてるデザインだった✨

外側(右)


この感じだと文殊楼門も!!

‥って見てたら客殿の写真すっかり忘れたけど1ミリも後悔してません。



また来ることあれば単眼鏡持ってきたいね。

(こないだヨドバシでポチッた単眼鏡はひどかった。安物はだめだね!)




59. 4番 延命寺

愛知県大府市大東町一丁目279番地


令和5年11月19日参拝

知多四国3番普門寺から歩き始めて5分でさっそく寄り道です。

たしかこの日は普通の土曜日です。

風に揺れる日の丸がとても美しくて、日の丸に一礼してから通り過ぎよう‥と思ったら神社だったのでお詣りすることにしました。



御祭神は天照大御神須佐之男命です。

創建は白鳳時代と伝わりますが詳らかではなく、建久2年(1191)亡父義朝の法要を営むべく野間大坊へ向かう途中に立ち寄って再建したと伝えられています。

社宝に鎌倉時代の作と見られる陶製の壺があり、「藤井宮大明神 御酒瓶子」と刻まれていることから鎌倉以前の創建と考えられています。



とりあえずお詣りして立ち去ろうとした時に見えたこのかっこいいケツ!(゜д゜)

実はここで撮った一枚目の写真がこれでした。



ケツがかっこいいのに前から見てアレレなわけがなく、年代は当然の昭和3年岡崎でした✨



寄り道してよかった‥♡



反対側には横根天神。

横たわる牛も岡崎石工の作品だと思うと熱い。



絵馬の牛がホルスタインでウケる🤣

かわいいからOKです。



今年は神宮大麻全国頒布150年記念なのか。

明治7年、大変な時代に始まったのですね。



神宮大麻もう買っちゃったしなぁ、

「御朱印はあるのですか?」

そのくらいしか出来ない旅人をお許しください。



社殿横から入ったので帰りは正面に向かっていきます。

祓所って愛知県の神社でよく見ます(後から慌てて作ったようなやつ)。



この砲弾はコンクリ?

昭和8(1933)年に陸軍省へ下付申請をした砲弾がいくつか置かれていたのが金属供給で台座だけになって、あとから作られたものらしい。



(神社等級制度っていうのがあるんですね)



明治5年に郷社指定を受けたが戦後の社格制度廃止で十級社となり、昭和52年9月に申請して七級社に昇格(案内板より)。



道端の神霊碑は大直日神ってかっこよ。

例祭馬場しか読めん。



これはどんな神霊碑か?



第一鳥居跡だって。

とてもとても長い参道でした。



こうして歩いただけですが横根町いいところだったのでいつか地域の祭りで賑わった横根町を見たい。




◆横根藤井神社

愛知県大府市横根町惣作20番地

知多四国の投稿を再開します‥。

さくさく進めていかないと終わらないよ。

わたしの令和5年はまだまだこれからグー


令和5年11月19日参拝

知多四国3度目の遠征はいつもの〝のぞみ99号〟。

気のせいかもしれないけど品川発は空いてるような気がするのです。



6:19平塚市纏付近から見えた富士山。

纏ってどえらいカッコいい地名ですが、幕末に3つの集落が合併することになり、それぞれの頭文字「ま」「と」「ひ」で纏村になったとか(Wikipediaより)。

昔の人のセンスやばすぎ✨



名古屋駅から名鉄で前後駅へ。

前後駅は1番札所の最寄り駅なもんで、知多四国を始めた日を思い出して懐かしい気持ち。

その前後駅から大府市ふれあいバス①東コースに乗って2番さんを目指します。

本数が少ないので乗れることがラッキーなの🙏

前後駅バス停から8駅13分の北尾公会堂で下車、徒歩3分です。

家から約2時間半で2番札所極楽寺に到着ダッシュ



札所巡りするの2ヶ月ぶり (´;ω;`)

知多四国の白い旗を見たら自分の居場所に帰ってきたような気がしてきた。



ちょうど団体バスが到着したとこでした。

さすが2番さん、8時すぎのいい時間帯なのもあっていつもの閑散とした寺院とは賑わいが違います。

こんな時は先に御朱印いただきますよ。

でも弘法堂ばかりか納経所も行列 (`д´/;)/ 

すると、帳面を何冊も持った先達さんらしき方が「(小声で)お先にどうぞ」ありがたく列に入れてもらいました。

「途中までは一緒かもしれませんねぇ」

普通なら勘弁願いたいこんな場面も新鮮。

歩きのわたしがどこまでご一緒できることやら。



『このお線香は陰徳を積まれている方からのお接待です。ご自由にどうぞ。』

ありがたいことです〜🙏



なんだなんだ w(*゚o゚*)w



千体弘法!



反対側も!(゜д゜)



お寺を出てすぐに秋葉さんがあったので大府市に火祭りあるか調べたら地域の左義長だったね。



3番札所まですぐですよ。



駐車場でさっきの方とすれ違う。

「お先に失礼〜バイバイ

(もう出てきたんかーい!)

その方とはそれっきりお会いすることはありませんでしたが、黙々と孤独にまわってた知多四国でこれは数少ない交流ですw



山門に近づくと弘法堂から別のグループが唱える般若心経が聞こえてきた。



急ぐ旅ではないからね‥先に御朱印もらったり石仏見たりして。



別に横に行って合掌することあるし、一緒にお経読んでもいいんだよ。

でもまだ朝だからさ、わざわざ並んだりする必要もないでしょう。



2番・3番でいただいた御朱印です。




57. 2番 極楽寺

愛知県大府市北崎町城畑112

58. 3番 普門寺

愛知県大府市横根町石丸95


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

知多四国のまとめ方で迷走してる( ˘ω˘ )

途中からタイトルに何回目の遠征の何日目なのかを頭に付けるようにしたのと愛知県じゃなく知多四国テーマで分けるようにした。

そんなの自分にしかわからないんだけど。

何か所目かは、〆で書くようにしたけどこれも自分にしかわからないね。

とりあえず今日の投稿で58か所終えたということです。

知多四国八十八ヶ所は番外札所が10ヶ所くらいあって、もしかして特別番外とかあったら正確に何か所かわからないんだけど‥。

令和6年1月8日参拝

東長寺の裏、御供所通りです。

こちらも格式高い土塀ですこと 👀



博多のお寺がすごいことよーくわかりましたが聖一国師、弘法大師ときて、今度はどなたのお寺?

‥って、鎌倉の寿福寺と京都建仁寺を開山した栄西禅師でした✨

栄西さんってだけで「了解っす」( ´▽`)ノ



でかっ。

この建物は山門で、楼上には千手観音と十六羅漢が安置されているとか。



勅使門を中から見てます。

勅使門 ー 山門 ー 仏堂 ー 中門 ー 方丈が一直線に並ぶ配置を許す境内の広さよ。

それでも町割り以前の寺域は倍以上あったそうです。



改めて山門を正面から。

ガッチリ柵があって見るだけなの。



上層は網でよく見えないけど何やら存在感を放つ額は後鳥羽上皇の勅額でした (゜д゜)!

〝扶桑最初禅窟〟

日本最初の禅寺‥すごい。



仏殿の前で外人さんが柱にしがみついてる。

熱心なのはよいことである✨



丈六の三世仏(釈迦・弥勒・弥陀)でかーっ🙏



中門の内側(方丈・墓地エリア)は非公開でした。



博多のレジェンドたちのお墓見たかった。



事務所までの石畳は水辺を歩いているような気分に‥なりましょうグー



聖福寺でいただいた御朱印です。

禅〜南無三世仏、扶桑最初禅窟 👀



そして左の頁は茶祖だけに〝喫茶養生〟か❓

てゆーか手

友達の御朱印は一頁だったのですが。

もしかしたら帳面を見開きでお預けすると隙間を埋めるように書いていただけるのかも‥❓❓❓



それにしても喫茶店大好きなわたしたちがこの旅で二回しかお茶してないのは栄西さんに申し訳ない 🙏

次はもっとお茶を楽しもう🍵




◾️安国山聖福至仁寺(聖福寺)

福岡県福岡市博多区御供所町6-1


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


このあとは何か所か塔頭を散策しました。

ういろうは全国的にあるのでこれも論争ありそうね!(゜д゜)

今も昔も日本人はもちもちの米粉が大好き。



旅の間ずっと眠かったから夢の中の出来事みたい。

以上で福岡1泊2日の旅はおしまいです バイバイ



令和6年1月8日参拝

引き続き博多寺町の散策 🫱

シブイ山門が建ってるのは大博通りの広い歩道です。



|д゚) 覗いてみたら二天門だったのです☆

   ㊧多聞天(北方守護)

   ㊨増長天(南方守護)



〝弘法大師開基 密教東漸日本最初霊場〟

さらに〝西安 清龍寺住持 寛旭〟と (`Д`)!! 

弘法大師が修行したお寺の住職から東長寺開創1200年記念で贈られた石塔でした。



表では西陽でよく見えなかったものが裏側から見えました。

なんと3匹の龍だった✨



東長寺は真言宗の別格本山で本尊は千手観音です。

大同元年(806)弘法大師空海が唐の修行を終えて博多滞在の折に建立、寺号には密教が東に長く伝わるようにという願いが込められています。

戦乱により一時荒廃しますが福岡藩二代藩主黒田忠之により再興され黒田家の墓所となりました。



今まで空海さんのお寺は数えきれないほど行きましたが、ここが最初に開いたお寺だなんて✨

空海さん、密教めちゃめちゃ広まってますよ🙏

本堂


小さな地蔵堂の中央にいらしたお地蔵さまは九州二十四地蔵の22番さんみたいです。

立江・知恵地蔵尊


ふんわりと優しい雰囲気の仏さまたち。

光背の広く空いた空間。



六角堂は毎月28日の護摩供で御開帳です🙏

回転式のお厨子には、弘法大師・文殊菩薩・地蔵菩薩・薬師如来・白衣観音・北辰霊符神が六面に安置されているそうです。



その六角堂にいた狛犬。



高さ26mの五重塔は平成23年落慶。



‥の隣のお堂には聖天さんがいるらしい。

吊り念珠は過去イチ滑りが良くて気持ちよかったのでいつもより余計にぐるぐるまわした( ´▽`)ノ



この一角は黒田家墓所になってます(崇福寺には藩祖黒田官兵衛や初代長政の墓があるそうです)。

二代忠之墓所🙏

殉職家臣の五輪塔(5基)も揃って巨大です。



三代光之と🙏



八代治高🙏



寺務所の建物がおもしろい w(*゚o゚*)w

2階は鐘つき堂になってます。

二色の建物は大仏殿。



この二日間でたくさんウメの木を見たけど花を見れたのはここだけ。

すぐ横ではロウバイが満開でした。



右肩の副印は〝密教東漸最初霊場〟でしょか。

黒田家墓所とは書かれないのね 😢



博多大仏さんのハガキいただきました。

仏像の高さ10.8メートル、光背は16m!

台座の中では戒壇めぐりができるそうです。




◾️南岳山 東長禅寺(東長寺・博多大仏)

福岡県福岡市博多区御供所町2-4


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

黒田家墓所って東京広尾にもあるんですよ。

うろちょろしてたら大きな五輪塔が見えて思わず墓所へ行って‥的なブログを令和3年8月に投稿したはずなんだけど、なぜか無くなってる。

悲しい。

ほんといいお墓だったしまた行くわ。

まさかとは思うけど他の投稿も消えてたらやだな。

令和6年1月8日参拝

友達が博多に詳しくて「この辺は寺町なのよ〜」と連れてきてくれました ヘ(゚▽゚ヘ)

1枚目の写真は博多旧市街と呼ばれるエリアのほぼ入り口なわけですが、歩車道どちらも石畳びっちり!

実はこの道、昭和40年に承天寺の境内を分断して通された市道でした。

平成になって寺町の景観づくりが議論される中で平成26年に「博多千年門」建立が実現したらしい。

博多千年門-承天寺通り


太宰府政庁へ続く官道には辻堂口門という門が存在してたので、あながちシャレでもないみたい。

建材には太宰府天満宮から贈られた樹齢1,000年のクスノキが使われ、額の揮毫も宮司さん✨



そんなことは知らずにやって来た承天寺。

大博通りからスッと入ったとこです。

閉ざされた勅使門になんか書いてあるね 👀



山笠発祥之地!
承天寺開祖の聖一国師が乗った施餓鬼壇をみんなで担いで祈祷水を撒いたのが祇園山笠の起源なんだって!
なんか納得〜。
聖一国師の功績はまだまだあります‥✨



承天寺は臨済宗東福寺派の寺院で本尊は釈迦牟尼仏です。

宋から来た貿易商の謝國明が七堂伽藍を建立し、仁治3年(1242)円爾弁円(聖一国師)を招き開山となりました。

サムネイル
 

宋から帰国した聖一国師を開山とした寺院が九州にはいくつかあって、いつか行ってみたいと思ってるんです✨

それから承天寺は臨済宗東福寺派の法源、西海の巨刹として栄え、盛時は塔頭43寺を有したと伝えられているが現在は乳峰寺、天輿庵、宝聚庵、祥勝庵のみ。



建長7年(1255)円爾は藤原道長の招きに応じて上洛し東福寺を開堂、(中略)弘安3年(1280)入寂。

応長元年(1311)花園天皇より国師号が贈られました。



門をくぐると鐘楼と仏堂がありました。

拝観無料なんですね(゜д゜)



ただしお堂の中まで入れず外から🙏

大きなまんまるの瞳に誠実さを感じる仏さまたち。

釈迦三尊-仏殿


博多祇園山笠の切り絵がステキ。

これが切り絵ですよ。

切り絵とはこういうものです。



仏殿の後ろは承天寺通りで分断されています。

承天寺二度目の友達がいなかったらここで他のとこ行ってたかも‥。



道を渡ってまた承天寺に入りますよ。

次は案内板のとおり方丈・石庭を拝観したいところ。



境内の様子。

素直に石畳を歩いていけば寺務所です。



㊧饂飩・蕎麦発祥の地の碑

聖一国師は宋から粉物製法を持ち帰りました!

㊥御饅頭所の碑

とある茶店で歓待を受けた聖一国師はお礼に饅頭製法を伝授のうえ御饅頭所の看板をあげました。その看板はなんと虎屋(東京)が所蔵しているそうです。

㊨満田彌三右衛門の碑

鎌倉時代に聖一国師と宋へ渡り博多織の技術を持ち帰った人。江戸時代に福岡藩初代藩主の黒田長政が幕府に献上した博多献上柄は博多織の代名詞。



寺務所にやってきました。



|д゚) 御朱印はこちらでOKみたいだけど‥気になる〝拝観断〟の文字!



結論から言うとお庭の公開はしていないそうです。

職員さんが(塀の間からチラ見ならできますよ)って小声で教えてくれました (・`◡´・)



拝観ができないのは旅行者にとって割と事件。

お庭を眺めながら歩き疲れた身体を休めてお茶なんか飲めたらいいな〜と思っていたのに叶わず、また歩き続けないといけないのです( ノД`)

そう考えると京都って最高の観光都市なんですね‥


石庭はどこなんだろう?

境内の門を見てまわるけどわからん。



外に出て承天寺通りの門から見たお庭。

言われてみれば向こうの方に石庭があるような気がします(そういうことにしましょう!)。

当然ながら、お庭って外から覗き見てあら素敵って思うようなつくりにはなってないですね。



オリジナルではなさそうだけど、博多旅行の記念として博多織の御朱印帳をいただきました。

現地では(やっちまったか!?)と思ったけど、工芸品博多織の検定書付きだし、今じゃなかなかステキじゃん?と気に入ってます。

でも選択肢があったなら、もっと淡いくすんだ色みを求めていたと思いますよ。

御朱印の書き入れはされてなくて、別で書き置きをいただきました‥  (`Д`)ガーン

裏表とも同じ献上柄です



◾️萬松山勅賜承天禅寺(承天寺)

福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9