概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(8)
西暦2016年2月16日:火曜日

前半(8)
【『A・Course・in・Miracles』
不都合を排除する特別性】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『不都合を排除しようとする傾向を必ず含む特別性』という方向性
②より初期世界を作った時点のエゴは、その不都合な概念を徹底的に隠す。そしてその不都合な概念の発信源を突き止め、発信源を徹底的に排除しようとする。エゴは特別性の誘引が可能な手段である主人公を死守するために、不都合な全てを排除し、落とす。だから、世界はその不都合な真実の発信源を排除する世界構築となる

【①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『不都合を排除しようとする傾向を必ず含む特別性』という方向性】

しばらくは去年西暦2015年の続きで「特別性」に関する概念記事を書いていく。この概念は徹底的に書き尽くし、どれほどエゴが「特別性」を死守し欺きの手段としているかをはっきりさせる。
今回西暦2016年前半概念(8)では前回の続き
【A・Course・in・Miracles】原書
テキスト27章
『I. The picture of crucifixion』6~11最後
を提示していく。

この辺りは、『「除外」、「排除」、「排他性」、「迫害」、「スケープゴート」を作り出すのが「特別性」である』という方向性を書いている。
たくさん書ききりたい内容があるので、【A・Course・in・Miracles】原書は分けながら提示していく。

今回西暦2016年前半概念(8)では『不都合を排除しようとする傾向を必ず含む特別性』という方向性の内容だ。【A・Course・in・Miracles】原書引用箇所は直に特別性とは結び付いてはないが、これを説明するのに解りやすいと思ったので引用した。

西暦2015年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html
後半(43)【A Course in Miracles】特別な関係のバリケード
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12108305324.html

西暦2013年12月30日分のバリケードに関する記事リンク
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11739278617.html


【A・Course・in・Miracles】の「illusion(幻想)」とは、仏教で言う意味合いに近い意味。


「brother」、「the holy relationship」等の概念は特別性を死守するエゴの目的ゆえ、例外を作り出す為の算段でしかない。

故に、すべき全ては、徹底的に【例外なく】「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究することだ。何も鵜呑みにしない。断定しない。常に歪みを受け入れさせられている可能性を考慮に入れ、とことん「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究する。そうしなければ、必ず歪みを受け入れさせられている。

エゴがどれだけ徹底的に特別性を死守するのかを目の当たりにすれば、その必要性が理解できる。

実際は一切、徹底的に、例外はない。
エゴの魅力の魔法から完全に醒めれば理解できる。

実際は、「聖霊」として歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用により、エゴが作った全て、特別な関係をはじめ、知覚ある世界の全てが再利用されて、全て幻滅へと持っていかれる。
幻滅しなければ、棄てられないのだ。

特別な関係は幻滅の為に再利用されるということだ。

特に特別性は、幻滅がなければ絶対に棄てられない。

西暦2016年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
「student」、「teacher」は矛盾であり、歪みでしかない。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。


▽以下引用

6. Attest his innocence and not hIs guilt.
Your healing is his comfort and his health because it proves illusions and not true.
It is not will for life but wish for death that is the motivation for this world.
Its only purpose is to prove guilt real.
No worldly thought or act or feeling has a motivation other than this one.
These are the witnesses that are called forth to be believed, and lend conviction to the system they speak for and represent.
And each has many voices, speaking to your brother and yourself in different tongues.
And yet to both the message is the same.
Adornment of the body seeks to show how lovely are the witnesses for guilt.
Concerns about the body demonstrate how frail and vulnerable is your life; how easily destroyed is what you love.
Depression speaks of death, and vanity of real concern with anything at all.

7. The strongest witness to futility, that bolsters all the rest and helps them paint the picture in which sin is justified, is sickness in whatever form it takes.
The sick have reason for each one of their unnatural desires and strange needs.
For who could live a life so soon cut short and not esteem the worth of passing joys?
What pleasures could there be that will endure?
Are not the frail entitled to believe that every stolen scrap of pleasure is their righteous payment for their little lives?
Their death will pay the price for all of them, if they enjoy their benefits or not.
The end of life must come, whatever way that life be spent.
And so take pleasure in the quickly passing and ephemeral.

8. These are not sins, but witnesses unto the strange belief that sin and death are real, and innocence and sin will end alike within the termination of the grave.
If this were true, there would be reason to remain content to seek for passing joys and cherish little pleasures were you can.
Yet in this picture is the body not perceived as neutral and without a goal inherent in itself.
For it becomes the symbol reproach, the sign of guilt whose consequences still are there to see, so that the cause can never be denied.

9. Your function is to show your brother sin can have no cause.
How futile must it be to see yourself a picture of the proof that what your function is can never be!
The Holy Spirit's picture changes not the body into something it is not.
It only takes away from it all signs of accusation and of blamefulness.
Pictured without a purpose, it is seen as neither sick nor well, not bad nor good.
No grounds are offered that it may be judged in any way at all.
It has no life, but neither is it dead.
It stands apart from all experience of love or fear.
For now it witnesses to nothing yet, its purpose being open, and the mind made free again to choose what it is for.
Now is it not condemned, but waiting for a purpose to be given, that it may fulfill the function that it will receive.

10. Into this empty space, from which the goal of sin has been removed, is Heaven free to be remembered.
Here its peace can come, and perfect healing take the place of death.
The body can become a sign of life, a promise of redemption, and a breath of immortality to those grown sick of breathing in the fetid scent of death.
Let it have healing as its purpose.
Then will it send forth the messege it received, and by its health and loveliness proclaim the truth and value that it represents.
Let it receive the power to represent an endless life, forever unattacked.
And to your brother let its messege be, "Behold me, brother, at your hand I live."

11. The simple way to let this be achieved is merely this; to let the body have no purpose from the past, when you were sure you knew its purpose was to foster guilt.
For this insists your crippled picture is a lasting sign of what it represents.
This leaves no space in which a different view, another purpose, can be given it.
You do not know its purpose.
You but gave illusions of a purpose to a thing you made to hide your function from yourself.
This thing without a purpose cannot hide the function that the Holy Spirit gave.
Let, then, its purpose and your function both be reconciled at last and seen as one.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
テキスト27章
『I. The picture of crucifixion』
6~11最後



【②より初期世界を作った時点のエゴは、その不都合な概念を徹底的に隠す。そしてその不都合な概念の発信源を突き止め、発信源を徹底的に排除しようとする。エゴは特別性の誘引が可能な手段である主人公を死守するために、不都合な全てを排除し、落とす。だから、世界はその不都合な真実の発信源を排除する世界構築となる】

西暦2016年2月13日:土曜日に、巧妙な偽善者の型の「いちゃもん付けコメント」がきた。
【さつき】という名前から「5月」を象徴し、この日の東京の気温が5月並みの異常な高さだったことから、【都会系】【東京系】の【異世界】の領域によるスケープゴート用間接的関連づけだと推察できる。日本でもこの領域とは1番かけ離れた遠い【原始的】の領域だ。その上当日、北隣【近藤】(仮)はまるで入学や卒業式に行く親ようなスーツ姿をしたまるで春のような格好を男がしていて、ツッコミをしたら女が取り繕うように真冬日のようなコートを来て車で外出するのを見せられた。まだ冬なのに春のような陽気は、ここ【栃木県宇都宮市】でも同じだったわけだから、逆に浮きすぎていた。それで春をやりたいのは北隣【近藤】系だと結び付いた。それで、やはり「いちゃもん付けコメント」の元凶は北隣【近藤】系でしかないとも結び付いた。要するに、公務員系の領域がこちらを落としたくて仕方がないときに「いちゃもん付けコメント」が来る。「いちゃもん付けコメント」にはいつも公務員、公的系の【原始的レベル】の領域が必ず結び付いてくる。
北朝鮮のミサイル問題が国際問題になる時、北隣【近藤】(仮)は狂ったように異常ストーカー化が酷く執拗化する。攻撃的にストーカー化する。連動は確実だ。故に、北隣【近藤】系=北朝鮮という構図すら浮上してくる。
言いたいのは、北隣【近藤】系の領域は、北朝鮮の暴走位に、この領域では浮いてしまう位の暴走状態、要するに、規範、常識、普通その他あらゆる全てがかけ離れた攻撃的【原始性】が甚だしいということだ。

その位にかけ離れた領域のコメントだけに、【A・Course・in・Miracles】の概念『知覚ある世界の全てはエゴが欺きの目的で作った幻想』という基盤は完全に歪められている。【A・Course・in・Miracles】をガッツリ実践したと言うが、何もやっていないのはバレバレだ。

何故なら、【A・Course・in・Miracles】を本当に取り組む段階では、心理学、成功法則、スピリチュアル…と世界の内側の解決策では解決できない根源的な問題があると気づいてきて、それで世界の全ての方法を「限界がある」と棄ててきた果てにたどり着き、受け入れられるからだ。世界の全ての方法の中に限界を見て初めて【A・Course・in・Miracles】の主要概念は受け入れ可能になる。
だから、一度本当に【A・Course・in・Miracles】に達したら、もはや後戻りしない。後戻りしても、そこにはもう棄ててきた「限界」の概念しかない。それら全てでは解決できないと段階的にしってきたからだ。だから先に進むしかないのだ。

それなのに、スピリチュアルもすっ飛ばしていきなり心理学に後退するなんてあり得ないのだ。あり得ないが、後退するならまずスピリチュアル段階だ。要するに、不可能なことを「さつき」というヤツはやったと言っているわけだ。

故に、この人物が段階的に「精神主義者レベル」の概念を経ていないのは明らかなのだ。何も実践していないから、どの概念の限界も見てきていない。
心理学レベルの段階で、きちんとやっていたら、精神科医その他のレベルの低さの深刻さは判りすぎるからまず関わらない。診てもらおうとするなんて、詐欺師か無能者の懐へ飛び込んで誤診をお願いしにいくようなものだと心理学レベルで判るのだ。そして心理学が概念的に限界だから成功法則へと移行する。心理学レベルの解決の限界さは相当解りすぎていて当然である筈なのだ。

だから、ハリボテだけの中身のなさははっきりと浮上してしまう。段階的な概念レベルの移行をちゃんと踏まないと空中楼閣にしかならないのだ。その空っぽさは不自然さとして目に見えて明らかになるだけだ。

エゴが作った初期の【原始的レベル】の領域に、最後の領域の概念を全て採用して作るなど不可能。エゴがその概念に抵抗し、採用すればするほど真実に近づいてしまうからだ。だからエゴの取り繕いは初期であればある程、表面だけそれっぽく見せ掛けて、中は空洞なのだ。

そのハリボテで見せ掛けた空中楼閣の【原始的レベル】の領域の「いちゃもん付けコメント」が以下だ。【原始的レベル】の領域の概念レベルは基本『スケープゴートの排除』が根底にある。その要素も当然隠せはしない。


【異世界の住人コメント】(99)
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
【『[但し書き]に「いいね」を付けたブログが見えない者一覧』につけられた『いいね』】
さつき
02月13日 04:51
無題
このブログを読んでいると、私が以前統合失調症が酷かった時のことを思い出します。私も当時コースを学んでいて、病気は幻想!とよく自分に言い聞かせていました。だからここのブログを読んでいると、つい書き込まずには入られませんでした。今、病気がよくなって振り返ってみると、コースは私に与えてくれたものよりも、奪っていったものの方が多い気がします。私に言えることは、コースに書かれていることがどうであれ、病気は病院で診察してもらうことが必要だという事です。この病気に自覚症状はありません。私も発病した当時、頑なに治療を拒んでいました。だから、貴方の気持ちも考え方もよくわかるつもりです。どうか、このコメントの本意が伝わりますように。実際には偽物も攻撃する人もいないです。あの時は、攻撃されてるように感じたし、エゴの仕業!幻想!自分が投影しただけ!と朝から晩までコースに夢中でした。普通であれば苦しくなって、自然とコースから離れるのですが、当時の私は統合失調症や他の精神疾患もありましたので、コースの鎖から離れることはできたなかったです。
上から目線に感じたら申し訳ないです。不快に感じたら消去してください。
今は私の文章の意味がわからないかもしれないですが、この先きっと病気がよくなって、あの時は何考えてたんだろう...なんであんなに朝から晩まで苦しかったんだろうと笑い飛ばせる日が来ます。貴方にも早くその日が来ることを願って止まないです。
IP:115.179.176.59
[但し書き]に「いいね」を付けたブログが見えない者一…についたコメント
西暦2016年2月13日:土曜日

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧42→異常にも1175越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12128285033.html

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧45→異常にも1260越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12129027054.html

『[但し書き]に「いいね」を付けたブログが見えない者一覧』に「いいね」を付けた異常者と化した異世界の住人達、リンク
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115515187.html

【返信コメント+α:佐藤篤代】
西暦2016年2月13日:土曜日
だから、一覧にすると一目瞭然だから「いちゃもんつけコメント」やめてたんだろうに、バレバレだよ。ブログが見えてないのが丸判りにしかならないのに。だからエゴは本物:佐藤篤代を病気にしたり抹殺したりしたくて仕方がないと前々から言っている。おかしな人にさせることで発言力を奪おうとしている。だから精神科医が偽精神科医にしかならなくなる。
まず、統合失調症の人のブログに、顕著な例で言えば、ピアニスト、楽器系、シンガー・ソングライター、経営者、セレブ、バレエ、モデル、美容系、成功法則系、ダイエット系、生態系、歯科医系、英語系、フランス語系、中国系、旅行系…無関係過ぎる『いいね』が何故いくつもつくのか?各系統が多発するということだよ。そういう無関係過ぎる関連づけが1170も1記事についてるわけ。そう、お前がいちゃもんつけたコメントの記事にだよ。何故、無関係過ぎる公的系がたくさん来るのか、【人間レベル】で説明できんの?しかも【但書】では「コメント、いいね、メッセージその他全部やめてください」と詳細が書いており、何故か【但書】を無視した「人間」が1000以上もいることになる。普通、【但書】を無視するやつは少しはいるかもしれないが、1000以上はあまりにも言い訳できない数字だ。
それだけでも、本物:佐藤篤代がおかしいのではなく、周囲がなにか異常事態に陥ってるのが判る。目が見えてればね。
だから、目が見えてないのかと、まずお前のことを疑わざるを得ないわけ。統合失調症だったというが、お前こそが今現在統合失調症で「幻想」でも見えたんじゃないの?と言われても仕方がないブログの有り様な訳。見れば、見えれば判るわけ。本物:佐藤篤代がおかしいというよりは『いいね』がおかしいと。
そして、決定的なミスを犯したお前は、【A・Course・in・Miracles】を実践などしていないということが丸判りな所。本物:佐藤篤代がやっていることは、ブログ中に書いてあるから目が見えれば判るが、『他者は無い、他者はエゴが作った幻想』ということ。仏教で言う意味に近い幻想。他者を一切「現実」として見ていないわけ。だから他者が攻撃しているなどとは書いていないわけ。現実の他者が攻撃をしているのではなく、エゴが作ったインチキとして、全てをエゴが作ったインチキだとしてツッコミしているわけ。その視点のレベルも、目が見えれば判るとは思うが。
それにより、お前が【A・Course・in・Miracles】を理解してないか、別の内容をやっていたのがよく判る。だから、お前は単に「ちゃんとした実践」に失敗しただけ。それをやれる段階にいなかったから受け入れられなかったんだよ。
そして、お前のいちゃもんつけコメントがこの段階にきた理由は、はっきりとしている。
「いちゃもんつけるヤツは公然と晒して貶めたいから、個人的な範囲内のメッセージでだけいちゃもんつけたりしない」という実証で、急にコメントやメッセージが嘘臭い作り物になったからだ。だからエゴが取り繕わざるを得なくなった。その証拠に、メッセージが別人の名前でまた来ていた。世界の作り手がコメント等のインチキ臭さを取り繕わざるを得なくないのは当然。だからエゴが取り繕いで作ったとしか言えない。故に、お前という「いちゃもんつけ人間」がいるだなんてこちらは微塵も信じていないわけ。
これが【A・Course・in・Miracles】の『知覚ある世界の全てはエゴが欺きの手段で作った幻想(インチキ)』(仏教で言う意味に近い幻想)と見る【赦し】実践なんだよ。
そして、いちゃもんつけコメントが来る時は必ず【公務員系】が関わっている。公務員系の立ち位置が不味くなるようなことを書くと必ずいちゃもんつけコメントが来ていたことから、今回も【公務員系】によるスケープゴート用にさせる為のいちゃもんつけコメントだと丸判り。
北隣【近藤】が激しくストーカー化するのも同じ時期。公務員一家だからね。
要するに、このいちゃもんつけコメントは、エゴが作った初期の【原始的レベル】の主人公の領域の【公務員系】の為にエゴが作った取り繕い。
ホント、すぐに不味いこと言われると、下手に人のことを落し尽くそうとする【原始的レベル】。初期だから内容全く解っていないのがバレバレだよ。ブログの歪め方も半端無さすぎてほど遠いからわからないだろうが、一目瞭然に浮くようになってるんだよ。いちゃもんつけコメントの説得力が全くなくなる位にね。
目が見えてれば、このいちゃもんつけコメントは北隣【近藤】が書いたか、精神病者が書いたようにしか見えないよ。
ちゃんと見えていれば、『知覚ある世界の全てはエゴが欺きの目的で作ったインチキ』に過ぎないという証明しか行っていないのが判る。
残念だったね。別に発言力を失わせるために落としても、病気にさせてもいいけど、成功しないよ。こちらがやってることは、他者に信頼させることではなく、エゴが作ったインチキの証明だけだからね。拘束させたいのが見え見えだが、【原始的レベル】の領域でなければ、もう統合失調症という『貶め』は失敗してるんだよ。まだ気づいてないのが憐れだ。もし統合失調症にさせられるならば、エゴはとっくにこちらを拘束できている。不可能だということ。西暦2010年に失敗してるんだよ、エゴは。それで心理学があからさまに【異世界】では見てきたのと全く異なっていたと知るきっかけになっただけ。こちらにはインチキをインチキと証明する為の利にしかなっていない。
エゴの悪い癖だが、単語だけ使ってそれっぽく見せ掛けても、中身がなけりゃバレバレになるからいい加減わかればいいのにと思うよ。
で、公務員系が不味かった内容がこれ。このいちゃもんつけコメントの理由↓
西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
前半(7)【A Course in Miracles】スケープゴートを作る特別性
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12127930026.html
大体、こいつが精神主義者レベルに一切いないのは明らかすぎなんだよ。「他者尊重」が全くできてない。何も実践してきてないのがバレバレ。いきなり他者のブログに「あなたは精神病だから医者に診てもらえ」なんて言ったら反発しか生じないから。逆効果もわからない無知さがバレバレ。もし間違ってたら、訴訟ものだぞ?そんなのも判らないんか?だから、そんな間違ってたら大変な繊細なことをコメントなんかで言うヤツは親切心や同情から言っているのではなく、叩き落としたいからだけだよ。いきなりブログに土足で踏み込んできて失礼にも程があるだろうが。これこそ、公然と貶めたい目的しかないからだよ。バカだね、墓穴掘りすぎなんだよ。コメントなんかでそんなことを言うヤツは他人の心を踏み躙る目的しかない。こいつが人間ならな。偽善者にも程があり、狭量さと視野の狭さと相手の立場など微塵も尊重していない、何かに取り憑かれてるような異常者にしか見えないだけなのに。精神主義者レベルの何の概念も実際にはやっていないから、見るヤツが見れば一目瞭然だと判らないんだね、憐れすぎ。
こいつの【A・Course・in・Miracles】の内容は心理学とは言えない物質主義者レベルの内容まで歪められた領域だとよくわかるよ。タイトルから違ってたり(笑)「幻想」という意味も違う領域。まずはさ、仏門に入って厳しすぎる修行でもやりなよ。それでもまだ遠い概念レベルの領域だから。
言葉だけ似せて落とそうとするなんて一千万光年(もっと)は早いよ、無知の領域。大体、社会的な地位として落ちきってる型を落とそうとしても何の意味もないがな。だが、型なんか一切関係ないからね。概念レベルには。型はエゴが作った欺きの手段なのだから、真実を追究する上では意味がない。だから、概念レベルで太刀打ちできると判断してしまうところが憐れすぎ。エゴが作った世界の最後くらいの領域の概念に初期のエゴの思考システムが何で敵うわけあるの?
作られた世界の順番という意味で概念レベルにおいて太刀打ちできる筈がないんだよ。
何故それが判らないのかが不思議。


エゴは不都合と判断する全てを排除しようとする。
エゴの思い通り意図通りに、エゴが世界を作れていれば、世界はアダムとイブのような楽園だっただろう。
しかし、エゴとは正反対の作用がエゴが作った世界に干渉した。
その作用が【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』として歪められた。だから、その作用を本物:佐藤篤代では【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。

【終わらせる為に作用する何か】はエゴが作った世界の全てを終わりに向かわせる為の作用だ。それはエゴの欺きの全て、エゴの目的を終わらせる目的を持つ、エゴとは正反対の作用だ。
【A・Course・in・Miracles】の『聖霊』概念でもそうだが、エゴが作った全世界の終わりから、全体を見た上で、終わらせる為の計画により、全体に作用されているのは確かだと思える。

最後の(より後の方)に作られた世界の要素をより前の領域に漏らせることにより、エゴは取り繕いで世界を作り直さなければならなくなる。
だからこそ、エゴはどんどん段階的に最後の領域に近づけながら、最終的に最後の世界を作らなくてはならないよう誘導されているということだ。
だから、エゴは不都合で不本意な概念を、隠せなくなった時点で世界に採り入れざるを得なくなっていく。
それにより、最終的に真実を知るような思考システムが世界に導入されているわけだ。
この手の内容は何度も書いてきた。

より初期世界を作った時点のエゴは、その不都合な概念を徹底的に隠す。そしてその不都合な概念の発信源を突き止め、発信源を徹底的に排除しようとする。

エゴは特別性の誘引が可能な手段である主人公を死守するために、不都合な全てを排除し、落とす。

だから、世界はその不都合な真実の発信源を排除する世界構築となる。
最初は発信源を抹殺する世界構築だ。
だからこそ、エゴが作った世界の初期であればある程、世界は攻撃性が正当化される。西暦2016年では世界的な大問題となる、王(トップ)による不当な処刑や虐殺等がそう。この原始的な傾向はこの領域でも北朝鮮等に表現されている。無論、この領域では国際的な大非難にさらされる。
不都合な者は正当性をもって排除される。エゴの意図通りに世界が作られるのだから当然だ。

しかし、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】の作用による思考システムの投入により、エゴは世界を作り直す毎に、攻撃性が正当化できなくなっていく。

その過程で、エゴは不都合な者を精神病に仕立て上げ、拘束、隔離する世界を作り上げた。上記の統合失調症はその為に作られた。普通の病もだが、精神病は不都合な者の自由を奪い、拘束、隔離させて何もできなくさせるために作られたのだ。だから入院させようとする。そして、医者や精神科医はその入院させて隔離させる権限を持つ手段として作られたのだ。不当も正当化させるのがエゴだ。

だからこそ、西暦2010年の大混乱期でエゴは不当に統合失調症とさせようと躍起になり、「さつき」という【A・Course・in・Miracles】の内容など本当は何も知らない支離滅裂な空っぽな型に、統合失調症だと言わせて、排除させようとしたのだ。

だから、北隣【近藤】(仮)があまりにも理不尽過ぎるストーカー化したのだ。

本物:佐藤篤代は他者尊重が基本姿勢で、他人に迷惑をかけない、普通の人間には絶対に怒らない、普通の対応しかしない、穏やかな人間だったからだ。周囲があまりにも酷い理不尽なことをしなければ他者尊重で何も言わないから、周囲をあまりにも酷く理不尽にさせる必要があった。そして、その理不尽な実態を周囲は隠し、否定し、本物:佐藤篤代のせいにした。

今でも、この領域では当たり前の『確率の法則』をどうやってエゴの全領域に拡大させたらよいかと真剣に考える位だ。簡単な算数、数学を提示しなくてはならないのだろうかと思う位だ。

だからこそ、発信源が不当な拘束、隔離をされないような世界の規範、常識、普通、そして思考システムが世界に採り入れられる計画のまま、エゴはエゴには不本意な概念を世界に作らざるを得なくなった。
だからこそ、ユングのような心理学、しかも心理学の巨匠として世界に作られるようになった。ユングでは、西暦2010年の精神科医の態度は明らかに精神科医としては異常となる攻撃性だった。精神性を扱う者としてあり得ない、対象の言葉の全否定。ユングを知っていたこちらには、呆気に取られる位の精神科医としての未熟さが浮彫だった。心の法則等絶対に知らない。薬と入院で全てを処理しているタイプの無能すぎる精神科医だった。ユングを突きつければ、その精神科医の異常性は一目瞭然。

「さつき」という型による最低な「いちゃもん付け」もブログが見えていれば一目瞭然に「さつき」という型の異常性が一目で判る状態になっている。

全て、この領域に普通に生きていたら当たり前の、規範、常識からすれば、一目瞭然。目が正常に見えていたら一目瞭然。思考が正常ならば一目瞭然。そんな全てにおいて一目瞭然の状態が、否定されるわけだ。

故に、不当に歪められるのが正当化されない限り、一目瞭然で精神病ではないのが判るようになっているわけだ。不当な拘束、隔離は一目瞭然になるように作られているわけだ。

「おかしいのは、精神病なのは、拘束や隔離が必要なのは、そう言ってくるお前だろう」となるわけだ。正に鏡のように反射されてしまうわけだ。

何かを不当に拘束しようとしない限り、拘束されることはない。
他者の罪を現実として見ない限り、不当な擦り付けであれ罪は正当化されない、ということと同じだ。
解放を与えれば解放を受けとる。
これはエゴが作った個体に課せられた法則らしい。
無論、エゴが世界を作るから、エゴの意図通りに作られた個体は動く故、個体としては無意識でも「不当に対象を現実として拘束」しようとする動きとなる。
そのエゴの目的通りに個体が動くことを限界にさせる為だろう。

そのように、より真実に近い概念を提示する個体は、エゴにより不当に徹底的に排除される方向性を世界に作られるので生きづらくて仕方がないスケープゴート糾弾対象だが、エゴが作った世界を『エゴが作ったインチキ』と証明する手段として再利用されている内は、エゴの排除的方向性を回避できるわけだ。
【終わらせる為に作用する何か】の作用による思考システムの提示すべき全てを提示できる最低限の環境の中で、提示すべき全てを提示できる。その為に必要な全ては必ず手に入る。
その目的の中では、すべき全ては絶対に何にも妨害できない。例え妨害があろうと、すべきことを完全に出来なくはされないという意味だ。
それを本物:佐藤篤代は日々実感してきている。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(8)
【A Course in Miracles】
不都合を排除する特別性
西暦2016年2月16日:火曜日



西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
前半
(1)【A Course in Miracles】特別な関係の再利用
(2)【A Course in Miracles】特別性におけるエゴの目的
(3)【A Course in Miracles】特別性の裏切り
(4)【A Course in Miracles】個体の特別性誘引による弊害
(5)【A Course in Miracles】エゴによる特別性の例外作り
(6)【A Course in Miracles】特別性は真実を妨げる障壁
(7)【A Course in Miracles】スケープゴートを作る特別性


西暦2015年段階の佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html
前半
(1)エゴの隠す特質
(2)エゴが隠し取り繕う過程
(3)2つの正反対の思考システム
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
(5)スケープゴートの世界構造
(6)原因と結果の法則
(7)繰り返しのサイクルの終わり
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
(10)やり直しのスパイラル
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
(12)エゴが作った幻想の再利用
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
(14)身体は幻想・死はない
(15)【死の超越】の実態
(16)『罪の起源』の実態
(17)罪は幻想・罪はない
(18)罪の投影の世界構造
(19)スケープゴートへの罪の投影
(20)罪をでっち上げる世界
(21)エゴが罪悪感を作った理由
(22)罪悪感の投影の実態
(23)自分自身に対する戦いの実態
(24)【異世界レベル】の穴概念
(25)エゴが作った全ての再利用
(26)真の公平な視点
(27)「夢の主人公」の実態
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
(29)与えることと受け取ることは同等
(30)【A Course in Miracles】の実態
(31)【A Course in Miracles】世界はない
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
(37)【A Course in Miracles】聖霊
(38)【A Course in Miracles】死はない
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し

西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
(2)【A Course in Miracles】神概念
(3)【A Course in Miracles】真の世界
(4)【A Course in Miracles】原因と結果
(5)【A Course in Miracles】与える&受け取る
(6)【A Course in Miracles】与える全てを受け取る
(7)【A Course in Miracles】平和を知らせる意味
(8)【A Course in Miracles】6章:聖霊のレッスン
(9)【A Course in Miracles】peace
(10)【A Course in Miracles】第1:平和に対する障害
(11)【A Course in Miracles】第2:平和に対する障害
(12)【A Course in Miracles】第3:平和に対する障害
(13)【A Course in Miracles】第4:平和に対する障害
(14)【A Course in Miracles】miracle
(15)【A Course in Miracles】trust
(16)【A Course in Miracles】神の教師
(17)【A Course in Miracles】teach・learn
(18)【A Course in Miracles】権威問題
(19)【A Course in Miracles】judgment
(20)【A Course in Miracles】聖霊の判断
(21)【A Course in Miracles】夢の主人公
(22)【A Course in Miracles】the dreamer
(23)【A Course in Miracles】自己概念
(24)【A Course in Miracles】What am I?
(25)【A Course in Miracles】picture・frame
(26)【A Course in Miracles】seek・find
(27)【A Course in Miracles】外側を探し求めてはいけない
(28)【A Course in Miracles】偶像=全個々の存在=無
(29)【A Course in Miracles】全ての偶像を超えて
(30)【A Course in Miracles】幻想に隠された真実
(31)【A Course in Miracles】内側を見ること
(32)【A Course in Miracles】内側を見る恐怖
(33)【A Course in Miracles】隠された内側へ向かう実践
(34)【A Course in Miracles】たくさんの型;1つの修正
(35)【A Course in Miracles】1つの問題;1つの解決
(36)【A Course in Miracles】必要性の幻想
(37)【A Course in Miracles】根っこの問題と完全解決
(38)【A Course in Miracles】唯一の答え
(39)【A Course in Miracles】完全性・誤創造・償いの計画
(40)【A Course in Miracles】本当に求めること
(41)【A Course in Miracles】神の愛
(42)【A Course in Miracles】エゴの欺きの手段;特別性
(43)【A Course in Miracles】特別な関係のバリケード
(44)【A Course in Miracles】特別性の赦し
(45)【A Course in Miracles】特別性を棄てる





西暦2016年(年号:平成28年)
申(さる)年現在

【佐藤篤代について】

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。


[佐藤篤代]

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2016年)
佐藤篤代は西暦2016年1月17日(日曜日)で40才
栃木県宇都宮市のド田舎生れずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


西暦2015年段階概念
http://simplog.jp/comment/19063121/23

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

西暦2016年版プロフィール
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111502426.html

43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html















【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい例外は一切ありません
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(8)
【A Course in Miracles】
不都合を排除する特別性
西暦2016年2月16日:火曜日