早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」 -2ページ目

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

私が自分のブログでいくら騒いでも、現実の政治の世界には何の影響力もないことは百も承知なので、根拠のあるなしを一切問わないで、私自身の勝手な感想を書き散らせておく。

共鳴、共感する人が一人でも現れてくれればいい、くらいの感じで書いている。

谷垣さんが現役でおられれば、谷垣さんの名前を出すところだが、残念ながら谷垣さんは表舞台に立つことは早々に断念されてしまっているようなので、谷垣総裁時代に自民党の幹事長職を務められていた石破さんが危機に瀕している現在の自民党には最もふさわしいのではないか、と感じている次第である。

自民党の現職の国会議員の間では殆ど支持が拡がっていないようだが、野党に転落した自民党の復権、復活に石破さんが貢献したことは否定出来ないはずである。
中間層や無党派層にアピールする自民党の国会議員としては、石破さんがナンバーワンだろうと思っている。

よく勉強される人で、軽はずみなものの言い方は決してしない重厚な政治家だろうと思っている。

しばしば愚かな言動に走ってしまう他の自民党の国会議員よりは遥かに信頼に値する政治家である。

芯もある。

私が自民党の現職の国会議員だったら、石破さんを担ぎ上げるために一肌脱ぐところなんだが・・。
件の環境大臣の登場で自民党は益々窮地に追い込まれつつある。

昨日火蓋を切って落とされた静岡県知事選挙で自民党のみが推薦し、公明党が自主投票にすることにした候補者が勝利する可能性は限りなく低くなったと言わざるを得ない。

とうとう嫌われ度ナンバーワンのポジションに岸田さんが座ることになったようだ。

一生懸命に努力しているのだがな、とご本人はぼやいておられるだろうが、これは仕方がない。
好かれる材料が一つも出て来ないのだから、どなたがどんな工作をしても岸田さんの人気が上がることはないだろう。

マイナンバーカードの利用促進等に獅子奮迅の勢いで邁進している河野太郎氏を更迭すれば、岸田さんの人気も普通程度には戻るのではないか、などと仰っている方がおられるが、まあ、そんな程度では何ともならないだろう。

行くところまで行くしかないでしょうね、というのが、現時点での私の率直な感想である。

参議院から衆議院に転進されようとしている現職の自民党の議員がおられるようだが、まあ、止めることが出来るのなら止めた方がいい。
今の自民党では、なかなか有権者の心を掴むことは難しい。

自民党の終わりの始まりは、静岡県知事選挙の結果次第。

4連敗が見えてきたら、どなたも安穏としていられなくなるはずだ。
未だ森さんの時よりも高いとは思うが、静岡県知事選挙の投開票が行われる日あたりから岸田さんの支持率が急速に下落していきそうな気がしてならない。

衰運の人の支持率を上げるなどということは、普通のことをやっていてはまず無理である。

国民民主党が岸田政権から距離を置いて、立憲民主党との共闘を模索し始めたように見えるのも時の流れだろう。

とうとう安倍政権時代の官房機密費の使途まで表に出て来たようだ。

どう転んでも、岸田さん自体には何の責任も及びそうにもない話ではあるようだが、自民党にとってはなかなか辛い話がこれから出て来るのだろう。
静岡県知事選挙の火蓋が今日、切って落とされたが、やはり、自民党が推薦を決めた候補者の苦戦は免れないようである。

公明党が自主投票、自由投票にすることを決定したということだから、公明党支持層の組織的選挙はこの静岡県知事選挙については期待出来ないということだ。

現時点での自民党の選挙力がどの程度か、試されることになる。

自民党にとっていい材料は、一つもなさそうだ。

候補者本人には何の問題がなくても、推薦を決めた自民党は問題だらけである。
目下のところ、自民党のブランドは選挙にはマイナスにしか働かないような気がして仕方がない。

これでは、中間層や浮動層の票がどこに流れて行ってしまうか、まったく分からない。
今の維新にとっては橋下徹氏も松井一郎氏も目障りな存在になっているのかも知れないな、と思わせるようなコメントが私のブログの読者の方から寄せられた。

まだまだ若いのになあ、と思うが、時の流れは実に早い。

橋下徹氏も松井一郎氏も今の維新にとっては過去の人である。
黙っていて欲しい、というのが今の維新の執行部の方々の本音ではないだろうか。

勿論、黙っているような方々ではない。
ついつい口を挟みたくなるのだろう。

老兵は死なず、消えゆくのみ、などと言うが、まだまだ老兵扱いされることには我慢出来ないだろう。

少々五月蠅い方々だけど、まあ、仕方がありませんね。
結局は、元気な年寄りが赤い方々からチャンスを奪っている、ということではないかしら。

一階でも三階でもない人はようやく政界から身を退くことを宣言されたが、木でも林でもない人や麻生さんはまだまだやる気満々のようである。

人並外れた気力、体力、金力の持ち主の方のようだから、そう簡単にはその座を若い方々に譲る気になれないのだろうが、そのお蔭で世の中に出るチャンスを奪われてしまった若い方々が結構おられるのじゃないかしら。

長寿なのは基本的にいいことなのだが、政治の世界で長老が頑張り過ぎてしまうのは少々困る。

やはり若い方々が存分に活躍出来る新しい政治の世界を作り上げることが肝要である。

もう、十分なんじゃないかな。
どうも、この静岡県知事選挙は自民党の色も立憲民主党と国民民主党の色も付けない方がいいんじゃないかな、という気がしてならない。

自民党本部は最後まで自民党としての推薦は出したくなかったようだが、どうやら地元の静岡県連の意向を無視出来なかったようである。

まあ、実際に選挙をやるのは地元の県会議員や各自治体の長や議員の方々だろうから、統率力に疑問がある自民党の執行部がいくら静岡県連どまりの推薦に留めようとしても無理だった、ということなんだろう。

東京15区の衆議院補選みたいなことにはしたくなかった、というのは、分からないではない。

負けても勝っても、とにかく自民党は戦った、という形にはしたかったのだと思う。
なかなか難しい判断だっただろう。
麻生さんにわざわざ出番を作ってしまうようなことはしない方がいいんだがな、と思っているが、残念ながら現職の国会議員の方々は、与野党を問わずお祭り好きの人が多いようで、昭和100年を記念して政府主催で昭和100年記念式典を行うことを政府に求める超党派の議連が誕生し、麻生さんがその代表に就任することになったそうだ。

与野党間の緊張の糸がこれでガクッと緩んでしまったことは、否めないだろう。

こんな時にお祭りごとか、と呆れてしまうが、永田町の現状はこんなものかも知れない。

表では如何にも激しく対決姿勢を堅持しているように見えても、裏ではどうもズブズブの関係のように見えてしまう。

永田町の弛緩度は、相当なものだ。
身内の人からも準備不足だという指摘が相次いでいるようなので、立憲民主党の泉健太代表はじっくり構えるだろうと思っている。

まだまだ実力が伴っていないな、というのが衆目の一致するところのようだ。

解散は近い、というのが私の見立てではあるが、それでも皆さん、ここは慌てないことが大事だ。
常在戦場という基本的な気構えは必要だが、いつもいつも神経を張り詰めているとトンデモナイところで失敗をすることがあるので、時々は緊張を和らげる工夫が必要である。

立憲民主党は、とにかく衆議院選挙の候補者の数を200人以上にすること。

ただ、それだけを考えていればいい。

政治家の目標は、なるべく数値化することである。

泉健太氏は、候補者の数を200人を超えることだけを当面の目標としていれば、様々な雑音は殆ど気にかからなくはずである。
少なくとも泉健太代表には共産党との一体化は念頭にないはずだと思っている。

選挙では共産党にそれなりの配慮はするだろうが、いざ政権を担当するということになると共産党の存在はかなり厄介になるはずである。

立憲民主党がいざという時に組むべき相手は、国民民主党しかないはずである。

国民民主党から人材が流失し始めているようなので、果たしていざという時に国民民主党と組もうという気になるかは分からないが、勤労者の生活を守ることを基本とする政権を作りたいのであれば、やはり労働組合等をその政治基盤としている立憲民主党と国民民主党が互いに手を結ぶのが望ましいだろう。

政権交代は、決して夢物語ではなくなっている。

時代は既に変わっている、と言うべきだろう。