京都大学の仲井崇洋です。こんにちは。
今日もよろしくお願いします。
今回は、雷恐怖症について調べてみました。
雷恐怖症(かみなりきょうふしょう、英語:Astraphobia、brontophobia、keraunophobia、tonitrophobia)とは、稲妻および雷鳴を対象とした異常恐怖症で、単一恐怖の一種だそうですね。人間のみならず人間以外の動物でも生じるそうですが、治療により取り除くことの出来る症状とのこと。
英語の「Astraphobia」(アストラフォビア)は、ギリシア語の「ἀστραπή」(アルファベット表記:「astra」、日本語で「稲妻」の意)と「φόβος 」(アルファベット表記:「phobos」、日本語で「恐怖感」の意)に由来するんだそう。また、サンスクリット語において「अस्त्र」(アルファベット表記:「astra」)は「武器」を意味し、ギリシア神話に登場する半神のインドラが生きとし生けるものに対し恐怖を生み出すため、稲妻を武器として用いたことを暗示しているのだそう。
雷恐怖症を患う人は、雷が自分達の安全を脅かす危険性はほとんど無いと理解していても、しばしば不安に襲われるそうです。その症状のいくつかは、身震いや叫び声、発汗、パニック発作、突然の尿意、吐き気、恐怖感、心拍の上昇など、他の多くの恐怖症と共通するものとのこと。しかしながら雷恐怖症に特有の反応も存在するそうです。例えば、安心させてくれる他者を必要としたり、反対に一人の時には症状が悪化したりするといったことだそう。また、雷恐怖症の人の多くは、雷雲から逃れるために一時的な避難場所を探す習性を持つそう。彼らはたいてい雷鳴が聞こえないようにするため、ベッドや掛け布団の下・クローゼットや地下室の中のように自分達がより安全だと感じる場所に隠れたり、自分の耳を塞いだり、窓をカーテンで閉め切ったりするみたいですね。
なお、雷恐怖症であるかどうかの判断においては、天気予報に対してとても強い関心を抱いていることが一つの指標となるそうです。雷恐怖症の人は接近する雷雲に対して敏感で、雨が降り続く期間中はテレビなどで頻りに天気予報を確認し、さらにはインターネット上で雷雲の軌道を追うこともあるんだとか。その結果、まず必ず天気を調べてから初めて外出するほどに症状が重くなる人も居るようです。極端な場合には、広場恐怖症を患うことに繋がる可能性もあるんだとか。
また、2007年に行われたある研究によると、雷恐怖症はアメリカ合衆国内で動物恐怖症、高所恐怖症に続き、3番目によく見られる恐怖症とされているみたいですね。

最後に、皆さんにお知らせがあります。
今秋より、アメリカの大学に留学することになりました。
そのため、本日を持ってこのブログは終了させていただきます。
今までありがとうございました。
京都大学の仲井崇洋でした。

こんにちは。「仲井崇洋の徒然日記」です。今日も京都大学仲井崇洋が気になったことを紹介させていただきますね。
今回は、魔法様というのが気になりました。
魔法様(まほうさま)というのは日本の民間信仰の一つで、備前加茂(現在の岡山県)の化け狸として名高い伝説上のタヌキ「キュウモウ狸(キュウモウだぬき)」を牛馬の守護神として祀る信仰だそうです。岡山県吉備中央町上田西黒杭(旧・御津郡加茂川町)の火雷神社(からいじんじゃ)、加茂川町細田の久保田神社(天津神社)、総社市槁と同市中尾滝山の魔法神社で祀られているようですね。タヌキを神として祀る神社は西日本各地にあるそうですが、キュウモウ狸は海外から日本へ来たとされるタヌキが祀られている珍しい例だそうです。
加茂川町や総社市では、魔法様ことキュウモウ狸の伝説が以下のように語られているとのこと。

昔、ヨーロッパや東南アジアから多くの船が日本に来訪していた時期、キリスト教の宣教師たちに紛れて、キュウモウ狸が日本にやって来た。どこの国から来たのかは不明だが、人間に化けるのが上手で、住処を捜して日本中を放浪した末、当時すでに廃坑となっていた加茂の銅山を住処とした。
以来、この住処を気に入ったキュウモウ狸は、月夜には農具をカンカンと叩きながら「サンヤン、サンヤン」と言って踊り回っていた。人間に化けて稲作を手伝ったり、奴姿で盆踊りで踊ることもあった。キュウモウ狸が人間に化けた姿は口がとがり、口髭が濃く、顎が細く、下半身が短いといった、正体のすぐにわかる特徴的な姿であり、正体がばれると「すまん、すまん」と言って逃げ出した。ときには木の葉を金に変えて買物をし、店の人を困らせることもあった。それ以上の悪事を働くことはなかったが、タヌキ狩りをする者がいると、怒ってその者の家に放火をしたので、人々は退治もせずに黙認していた。
あるときにキュウモウ狸は、村人たちにこれまで世話になった礼を述べ、今後は村中の牛馬を守ることと、火難盗難があるときには事前に知らせることを誓った。そこで村人たちは馬喰山に神社を建て、キュウモウ狸を祀ったという。
別説では、このタヌキは悪戯がすぎたために捕まって懲らしめられ、その詫びに牛馬の守り神になったともいう。かつて南蛮の王合甚尾大王(おうごうじんびだいおう)という者が悪逆を企てて日本にバテレンを差し向けた際、その中にキュウモウ狸が混じっており、一緒に日本に来た子や孫たちとともに各地で人々を苦しめたが、後に守護神となったという説もある。

こんにちは。京都大学仲井崇洋です。
今日もよろしくお願いします。
今回お話するのは、血の土曜日について。
血の土曜日は1937年の9月から10月にかけて、1か月以内に1億人以上の人が見た有名な白黒写真ですね。廃墟となった上海南駅で泣き叫ぶ赤ん坊を撮った写真で、日中戦争において戦争の悲惨さを表す象徴として知られています。
この写真は、第二次上海事変中に日本軍の市民に対する空襲の数分後に、ハースト・コーポレーションのジャーナリスト王小亭によって撮られたそう。母親の死体のそばで泣く赤ん坊は、名前はおろか、性別すら不明のままなのだとか。
この写真は、もっとも人々に記憶された戦争の映像報道の一つであり、そして最も欧米に日中戦争中の日本軍の残虐さを伝えた1930年代のニュース映画の一つでもあるとされています。王小亭は彼の所有していたアイモで報道映像を撮り、さらにライカで写真を撮影したんだとか。この写真は “母を亡くした中国の赤ん坊”、“中国の赤ちゃん”、または“上海の駅の赤ん坊”とも呼ばれるみたいですね。日本の民族主義者の何人かは、この写真を「演出写真ではないか」と指摘しているようです。
それでは今日はこのへんで。
京都大学の仲井崇洋でした。

みなさんこんにちは。
京都大学の仲井崇洋です!

もう8月も下旬ですね、小学生や中学生、高校生の方はもうすぐ夏休みが終わりですね。
みんな宿題大丈夫かな?大学生は、大学にもよりますが9月の中ごろまで休みの所が多かったりしますよね。

そんなわけで、みなさんは夏休みやお盆休みを利用してどこかへ旅行に行かれたり、遊びに行かれたりしましたでしょうか?

今年の夏は異常気象なのか、暑さが尋常じゃないですね><;
京都は盆地なのでさらに蒸し暑いです・・・。

ですが、夏はレジャーが沢山ですね。
キャンプやバーベキュー、花火にお祭り、海にプールに川遊び!
他にも盛りだくさんですね~。

でもこの調子だと9月もまだまだ暑そうなので、レジャーもまだまだ楽しめそうですね^^



京都大学 仲井崇洋



こんにちは、京都大学の仲井崇洋です。

京都大学の仲井崇洋も最初は驚いたのが、京都では七夕祭りは8月にやっているということ。
七夕って書くくらいだから7月だと思っていました。
今年の京の七夕は8月4日~13日までだそうです。
竹のアーチとLEDを使った天の川のようなイルミネーションや、光の友禅流し、竹と光を使ったアートなど、さまざまな見所があります。
また、各寺院で七夕の笹飾りを実施したり、夜の拝観、ライトアップや七夕の講演会を行っているようですよ。
日が落ちるとだいぶ涼しいですし、こういったものを見に行くのもよさそうですね。
笹は見た目も音も涼しそうですし、ほかにもいろんなものに涼を感じるのも風流だと思いますよ。
京都大学の仲井崇洋でした。

こんにちは。京都大学の仲井崇洋です。
今日は、アポロ11号についてお話させていただきますね。
アポロ11号は、アメリカ合衆国のアポロ計画において歴史上初めて人類を月面に到達させた宇宙飛行ですね。
アポロ計画ではこれが5度目の有人宇宙飛行で、アポロ8号、アポロ10号に続く3度目の月飛行になったそう。また搭乗員すべてがいずれも過去に宇宙飛行の経験を持っているのは、宇宙開発史上これが2度目のことだったみたいです。
1969年7月16日、ニール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ司令船操縦士、エドウィン・オルドリン月着陸船操縦士を乗せたサターンV 型ロケットはケネディ宇宙センター第39複合発射施設から発射され、7月20日、アームストロングとオルドリンは人類として初めて月面に降り立りました。コリンズ飛行士は、その間司令船で月軌道上を周回していたとのこと。
またこの飛行により、ジョン・F・ケネディ大統領が1961年5月25日の合同議会の演説で表明した「1960年代の終わりまでに人類を月面に到達させる」という公約(下のもの)が実現されました(1963年11月22日に没したケネディは、この公約実現に立ち会えていない)。

"I believe that this nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the Moon and returning him safely to the Earth."

「私は我が国が、この10年間(60年代)が終わるまでに人間を月面に到達させ、なおかつ安全に地球に帰還させることを約束する。」

1969年の今日が、アポロ11号が地球に帰還した日です。
では今日はこのへんで。京都大学の仲井崇洋でした。

京都大学の仲井崇洋です。
7月になって急に暑くなったように感じます。
6月の末あたりは結構涼しいというか肌寒いくらいだったのに…

今日は京都大学の仲井崇洋が、京都の夏に楽しんでみたい川床を紹介します。
川床は、桃山時代後期からあったみたいですね。
鴨川の中州や浅瀬に床机を設置してお客さんをもてなしていたそうです。
川の真上やすぐ横で食事を楽しめるんです。
暑い夏でも涼しく過ごせそうですよね。
貴船の川床では京料理以外にも流しそうめんを楽しめるみたいですよ。
場所によって楽しめるものが違うのも面白いですね。
場所によっては蛍を見ることができるところもあるみたいです。
豪華そうなので行ったことがないのですが一度は行ってみたいですね。
今は鴨川沿いでお弁当を食べるのが楽しいです。
この時期はお弁当にも注意が必要ですが…

皆さんこんにちは!京都大学仲井崇洋です^^
今回も京都大学の仲井崇洋が日々の徒然を書かせていただきます。

今回は今僕が行ってみたい場所を紹介しようと思います!

それは・・・沖縄県にある首里城です!


首里城とは・・・
沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城。

琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。戦前は正殿などが国宝であったが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。

周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう)などの文化財がある。


現在の首里城は復元されたものなのですね~
ですが見事な出来ですよね。色鮮やかで、本州にある城とはまた違う味があります。
ですが戦争前後に国宝であった首里城が破壊されてしまったのがとても残念でなりません。この様に戦争により失われた日本の財宝は数多くあります。

世界に誇れる日本の財産を守っていきたいですね^^


こんにちは!京都大学仲井崇洋です。
今日も僕が気になったことを調べて、ここで紹介させていただきます。よろしくお願いします。
今回お話するのは、サン・ピエトロ大聖堂について。サン・ピエトロ大聖堂はバチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山ですね。サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロ(ペテロ)のイタリア語読みに由来するそうです。サン・ピエトロ大寺院、聖ペテロ大聖堂、セント‐ピーター寺院などと表記されることもあるのだとか。
カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇るそう。床面積2万3,000m²。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されているみたいですね。
サン・ピエトロ大聖堂は世界最大級の教会堂建築で、創建は4世紀と言われていますね。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものなのだそう。高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m、総面積は49,737m²で、教会堂の前部には長径200m、短径165mの広場(サン・ピエトロ広場)が存在するそう。北側にはバチカン宮殿、南に教皇謁見所と宝物館が隣接するみたいですよ。ルネサンス時代、バロック時代を通じ、ローマ教皇にふさわしい巨大教会堂として再建され、当時の第一級の芸術家たちがその造営に携わったようです。その巨大さ、荘厳さ、内部装飾の豪華さを含め、聖堂の中の聖堂と呼ぶにふさわしい威容を誇っているのだとか。
本来は、コンスタンティヌス1世により、聖ペテロのものとされる墓を参拝するための殉教者記念教会堂として建設されたものだそうです。14世紀まで、ローマ司教(現在のローマ教皇)の司教座聖堂は、コンスタンティヌスのバシリカ(現在のサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂)だったそう。アヴィニョン捕囚によってラテラーノ宮殿が荒廃したため、1377年にローマに戻った教皇によって、ローマ教皇の座所となったようですね。最初の教会堂が大聖堂ではなく、聖ペテロの墓地の巡礼を目的として設計されたため、本来は東側に向けて構築されるはずのアプスは西に向けられ、東側には入り口が設けられているのだそうです。
サン・ピエトロ大聖堂のイタリア語名称は、Basilica di San Pietro in Vaticano(ヴァティカーノ丘陵にある聖ペテロのバシリカ)だそうですが、この教会堂をバシリカと呼ぶのは、ローマ建築から初期キリスト教建築に連なる伝統的なバシリカだから、というわけではないみたいです。現在のカトリック教会は、重要な教会堂や大聖堂にバシリカの語を充てているが、本来は、ローマ教皇によって宗教的特権を与えられた七つの教会堂を示すもので、サン・ピエトロ大聖堂はそのひとつであることを意味するのだそう。実際に、現在の聖堂は伝統的なバシリカ式の教会堂建築ではないようです。特権を与えられた7つのバシリカは、サン・ピエトロ大聖堂のほか、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂、サン・セバスティアーノ大聖堂、そしてサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ大聖堂で、かつては聖年に巡礼を行うと、贖宥されるとされた教会堂だったみたいです。
京都大学の仲井崇洋は残念ながらまだサン・ピエトロ大聖堂に行ったことは無いんですが、いつかは絶対行ってみたい場所ですね!

どうも京都大学仲井崇洋です
今日の仲井崇洋の徒然日記はソニーモバイルがLTE対応の新Xperia、ソニーブランドの機種を日本初投を話しますね

英ソニーモバイルコミュニケーションズは2012年5月9日、LTEに対応したAndroid 4.0搭載スマートフォン「Xperia GX」および「Xperia SX」の2モデルを発表した。日本市場向けのXperiaシリーズとして、初めてソニーブランド(SONY)を採用する機種となる。発売は今夏以降を予定している。

 Xperia GX(写真1)は、下り最大75Mビット/秒のLTEに対応したフラッグシップモデル。約4.6インチの液晶ディスプレイを搭載し、おサイフケータイに対応する。「Xperia arc」のデザインを踏襲したアーク形状を採用。背面にはマットな質感の塗装を施した。最薄部は約8.6mmである。  一方、約3.7インチの液晶ディスプレイを搭載するXperia SX(写真2)は、重さが約95gと軽いのが特徴だ。厚さは約9.4mm。同社によると、LTE対応スマートフォンとしては5月7日時点で世界最軽量だという。おサイフケータイのほか、赤外線通信機能やワンセグにも対応。ボディ全体を縦と横のクロスラインで4ブロックに分けたデザインを採用した。  両機種ともにOSはAndroid 4.0(Ice Cream Sandwich)。1.5GHz動作のデュアルコアプロセッサを搭載する。従来のXperiaシリーズと同様、画像・映像関連の機能としては光の反射を抑える「クリアブラックパネル」や画像処理用の「モバイルブラビアエンジン」を採用。カメラ機能にはソニー製の裏面照射型CMOSセンサー「Exmor R for mobile」を搭載する。テレビとの接続時には、専用のユーザーインタフェース「TV launcher」が起動する。

 GX、SXいずれもソニーの技術やサービスと連携した音楽やアルバム、映像アプリを搭載する。音楽プレーヤーには「WALKMAN」の名称を冠したアプリが初めてプリインストールされる。アルバムアプリはFacebookとの連携強化やピンチズームによる閲覧性の向上などを実現。映像アプリは米Gracenoteのコンテンツデータベースと連携する機能などを備える。

 なお、現時点ではどの携帯電話事業者から販売されるかは発表されていない。