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3月3日4日は「キネマの怪人」!

みなさんこんにちは。
ここのところ北の京芦別の話ばかりでしたが、僕は札幌市教育文化会館の職員。
教文での仕事のお話をしますね。

次のホール公演は・・・

コチラ!!
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悲喜劇
「キネマの怪人」
舞台はオペラ座!・・・ではなく映画の撮影所。
毎日映画の撮影で賑わっているこの撮影所だが、最近は不審な影がスタジオをうろつき、役者が次々殺されていくという「いわく」付きの撮影所・・・。
この謎を解くのは名探偵の金田一か小五郎とか江戸川のうちの誰か。多分。

オ○ラ座の怪人をベースに、ハムレットや鞍馬天狗、ドラキュラや西遊記まで和洋折衷往年の名作をパクりにパクった気分爽快のストーリー!
前作「スパーク!忠臣蔵!」で会場を大いに沸かせた笑劇一座が初めて挑む、
笑って泣けるミステリー演劇!
犯人は、怪人だ!!!

悲喜劇
「キネマの怪人」

作・演出 棚田満(劇団怪獣無法地帯)
■日時
2012/3/3 (土) 18:30開演(18:00開場)
2012/3/4 (日) 14:00開演(13:30開場)
■会場
札幌市教育文化会館 小ホール
■料金
全席自由 1200円 ※3日公演のみ65歳以上・学生は500円割引(教文PGのみ取り扱い)
■お問合せ
札幌市教育文化会館事業課 011-271-5822


教文13丁目笑劇一座というのは、平成20年に教育文化会館の呼びかけに集まった市民による喜劇団です。「見る側も演じる側も笑って元気になろう」を合言葉に、これまで教文13丁目笑劇場や出張公演、テレビCMやドラマ、北海道労働委員会のPR映像などにも出演し、活動の幅を広げています。

まぁ何故教文がお笑いに手を染めたかというと、「札幌市教育文化会館」のイメージが固かったから!
ひねりがなくてごめんなさい!!
お笑いの事業を始めたことで、教文のイメージも変わっていれば幸いです。

笑劇一座に参加している市民の方は、現在42名。下は小学生から上は70代の方まで幅広く、職業も医療系や公務員、主婦や自宅警備員など様々です。

こんな悪いおじいちゃんも居ます。
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こんなおっさんも居ます。
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皆さん心当たりあるでしょう?

養殖モノより天然モノだと。

いわゆる「素人」のパワーさく裂のこの笑劇一座。
頑張っている姿が、妙に胸を打つんですよね。僕も毎回楽しみにしています。
しかし前回の忠臣蔵のパロディは会場に感動の涙を流す人も・・・!

喜劇なのにね!

3月の公演にむけて、今回の劇の魅力を少しずつ紹介していきますね!
今後ともよろしくお願いします!

カウントダウン北の京【北の京の魅力】

私は、北の京芦別を守りたいと思っています。
なんともうそ臭いですが、北の京への無償の愛が今の原動力です。笑
その理由は以下の3つです!

「昭和バブルミュージアム」としての価値がある!
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ホテル五重塔?ホテル三十三間堂?北海道大観音???
バブルの豪華絢爛さ、この規模の施設は平成の世にはまず作られません。むしろ金輪際作られないと行っても過言ではありません。その勢い、ある意味での狂気はバブルを的確に物語っていると思います。

さらに、悪意はありませんが、北の京芦別は施設も昭和ですし、従業員の方も昭和です。これは宿泊施設として致命的ではありますが、ミュージアムとしては最高の逸材です。ここは日本でも珍しい「バブル」や「昭和」をありのまま体験でき、付加価値として「宿泊」もできる「泊まれるミュージアム」なのです。

ここで私たちが感じる「違和感」は、バブルの時代からどんどん便利なサービスを享受できるようになった時代の経過から生まれたものです。そうなんです、30年で日本人の価値観はすごく変わったのです。北の京ではそれを実感できるのです!


北海道らしさの象徴となりえる!?
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この施設が生まれた背景について1つの仮説を立ててみます。
バブル当時、本州と物理的な距離という壁があり、住人は移住した人間たちばかりで、先住民の方たちの文化はあれど「和」の文化は欠乏していました。私はそこに「和の文化への憧れ」があったのではないかと推測しています。
未開拓の北海道の地に「日本らしさ」は無いも同然。日本であって日本ではない、そんな劣等感を持っていたのかも知れません。

だとしたら。仮にそうだとしたら、この北の京芦別という施設はその「北海道ならではの憧れ」を解消すべく産まれたとも解釈できるのではないでしょうか。潤沢な資金のあったバブルという時代に、土地の文脈を無視した強引なコピー&ペーストと、それがまかり通る寛容性のある北海道に。

もしかしたら北の京芦別は開拓から百数十年余りしか経っていない北海道に住む道産子の本質を表した、一つの象徴的な建物なのではないでしょうか。和の文化を如実に求めた、デラシネ(根無し草)文化とも言える自虐的でもありながらもクリティカルな文化施設(大きなアート作品)なのではないでしょうか。

私はそんな可能性を備えたこの施設が、廃墟にならず41年を過ぎても現役でいることそのものに感動しています。よくぞ残ってくれたと。そしてこれからも文化施設として残していくべきだと。


北海道の未来がある!?
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北海道裏観光ガイドの堀さんも言っていますが、芦別の衰退は何も芦別に限った問題ではありません。これから各都市の経済が疲弊していったとしたとき、新しいものを短いサイクルで生産し続ける現代のスピードについていける市町村がどれだけあるでしょう。

恐らくそのスピードについていく必要は無いのではないのでしょうか。
逆に、新しいものをどんどん消費し使い捨てる時代は、終わりに近づいている気さえします。
であれば、この状況で元々その町にあるものの価値を再度認められなければ、よりどんどん時代に取り残され、価値の無いものになってしまいます。

今あるものへの視線を改め、新しい価値を見出していく。

北の京芦別は、とんでもない存在感とは裏腹に「負」のイメージを背負っています。
ここに、大きく価値を反転していける「可能性」や「未来」があるのだと思います。
難しいことかも知れないけれど、北の京芦別が復活すれば何か自分も頑張れそうな気がするじゃないですか!大仰な言い方をすると、私たちはそういう「未来」に希望を感じて突き動かされているのかも知れません。



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仮説と憶測ばかりが入り混じった推測に過ぎませんが、私は文化芸術に従事する人間として、現在チャレンジしてみたいものはまさにこの「新しい価値感の提案」なのです。

それを支えているのが、08年に初めてこの施設を訪れた時に感じた、自分の価値観が壊れていく今までにない衝撃と、極めて純度の高い、北海道が産んだ得体の知れない存在感抜群のこの施設の魅力と、そこに働く人たちの情熱です。

▽北の京芦別の佐々木さんと
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とは言え、まだまだスタート地点に立ったばかりです。
皆さんも是非北の京芦別へ一度足をお運びになり、忌憚無き意見を施設へお聞かせいただければと思います。必ずやその1つ1つの意見に、しっかり耳を傾け、丁寧に対応してくれることと思います。

今回イベントを通じて思ったことは「これまでの北の京ではない」ということ。
再生に向け、ただならぬ意気込みと、これまで以上の切迫感を感じます。
皆さん、北の京芦別を、改めてよろしくお願いします。北海道が世界に誇る文化遺産となるよう、まずはその世界を体験して欲しく思います。


北に楽しい京あり。


北の京に未来あれ!



北の京未来作戦
北の京芦別観光親善大使
山下智博
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カウントダウン北の京【終えてみて】

「カウントダウン北の京2011→2012」を実施します、とプレスリリースをしたのが12月21日。イベント実施の10日前でした。

それこそ10日前にはお正月の予定はそれぞれ決まっているでしょうし、イベントを知らしめる手段やメディアも限られています。そこで僕たちはインターネット上の「ツイッター」や「Facebook」を使ってイベントを告知しました。

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※僕はメッセージなく申請してきてもビビって承認しないので一言添えてくださいねw

そして札幌でこのプロジェクトに協力してくれるメンバーでチームを組み、追い込みをかけていきました。このチーム、北の京復活への願いを込めて「北の京未来作戦」と名づけました。(未来にこめた意味は、明日書きますね)

▽スタッフパス
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最終的には北海道で一番のシェアを誇る北海道新聞さんにも記事として取り上げていただいた効果もあり、平年だと約20名ほどの年越し宿泊客のところ、予想を大きく上回る50名以上の予約が入ったのです。

結果、年越しの瞬間は30名を越える方々と共有でき、イベントとしても予想以上の盛り上がりを見せて終わることができました。懸念していた大観音のライトアップも想像以上に美しく、雪の降る予報だった元旦の朝も晴れ間が覗き、ホテル五重塔の最上階展望台にて初日の出を拝むことができました。

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少ない広報期間の中でベストは尽くしましたが、まだまだ地元の方とのコミュニケーションは物足りない形で終わってしまいました。
が、一方で今回新しくこれまで触れ合う接点の無かったスタッフの皆さんと信頼関係を築くことができました。現に「大晦日は朝から働いて疲れたんだ」という北の京のスタッフのおじさんが、年を越して夜中の3時になっても嬉しそうにビールを飲んでワイワイ話し込んでいる姿を見ることができました。スタッフの皆さんの顔は、満足感に溢れていて、生き生きしていて、楽しそうで、逆に僕たちが元気を貰ってしまうくらい素敵な表情でした。やってよかった、そう思える瞬間でもありました。

何度倒れても起き上がろうとする強さ。そしてプライドを持って北の京を支える無垢さ。
純度の高い愛を持ったスタッフが大勢いるこの施設は、本当に無くなって欲しくない、そう思える施設でした。

▽北の京芦別HPより
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改善して欲しいサービスや、もっと頑張って欲しいところはあるけれど、それでもこの施設を支える人が居る限り、まだ大丈夫だと思いました。そしてこのサービスが現役のうちに、皆さんにも是非体験して欲しいと思いました。

それでは明日は最後。
北の京芦別の可能性、というか僕の原動力のお話をさせていただきます。

カウントダウン北の京【僕と北の京】

初めて北の京芦別を訪れたのが2009年の10月。
忘れもしません、あの衝撃を・・・。
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平成の今の時代に、一体何を考えてるの?何なの?何したいの!? と。
いちいちバブリーな設えに本当に圧倒されました。
そして直感的に「これはすごい施設だ!残さなければ!」と思い、いつの間にかそれが使命感を帯びてきたのです(勝手に)

そして勝手に義務感が生まれ、観光親善大使にしてくれ!と当時の社長に嘆願!
札幌発着のバスツアーを計2回実施。札幌・大阪・京都・東京・横浜などの都市で北の京芦別の魅力を発信するプレゼンテーションを数え切れないほど実施し、自費でパンフレットなんかも配り始めました。(横浜はなんと!あの横浜トリエンナーレ特別関連事業「新・港村」でのパフォーマンスでした)

▽2万部も作ったパンフレットw ※僕のHPで読めます。
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▽2010年5月のツアーの様子(高らかに笑ってるのが僕です)


▽かなり気まぐれな「おみくじ自販機」


このように入れ込んできましたが、今回は一味も二味も違いました。
今回は何を隠そう、北の京の責任者の佐々木さんをはじめ、スタッフの皆さんも物凄く好意的に受け入れてくださり、僕たちの想像以上の仕事をしてくださいました。

「施設に無線LANがあればいい」という提案には、その日のうちに手はずを整えてくれ、今現在では実際に無線LANコーナーが設けられています。
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カウントダウンのイベントに向けても、大観音のライトアップやショーの復活、バックステージツアーの実施など、全面的に応えていただけではなく、より良い提案をしてくれたりもしました。

このように、これまでに無かった北の京芦別全体との綿密な連携に加え、僕たちの呼びかけに札幌でも10名を越える仲間が現れました。全て僕たちのこれまでの活動を見て応援してくれていた人たち。これほど心強いものはありませんでした。

かくして、北の京芦別でのカウントダウンイベントは形作られていきました。12日の訪問から、31日の本番まで、19日間という限られた期間の中で。


明日は、僕の終えてみての感想や企画前の裏話を書きます。

カウントダウン北の京【事の発端】

カウントダウン北の京2011→2012
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デザイン:堀直人 コピー:高崎克秋

2011年12月31日から2012年1月1日にかけて行われたこのイベント。

経営難を抱えつつも頑張ってきた北の京芦別が、11年10月29日、奇しくも僕の誕生日に突然休業を発表し、そして意外にも早く同年12月12日に営業再開する知らせを聞いたところからこのイベントは始まったのです。

営業再開の案内がHPに掲載されたのを見てみると、とんでもない開き直りっぷり!
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素泊まり3,300円。そしてこの顔文字の多投。ついにここまで追い詰められたか・・・と。
素早い再開も、恐らく設備をランニングさせないと故障してしまう、そんな切迫した状況から生まれた半ばやけくそなものなのだと、何か確信めいたものがありました。

12月12日。僕は北の京フリークでもあり盟友の堀直人氏と北の京芦別へ向かいました。目的は今後の状況を聞きに。そして腹案として持っていたイベントの企画書を携えて。

今回の一件で、経営責任者が変わっていました。これまでお世話になっていた石垣社長が退任し、佐々木さんという管理人が現場の責任者になっており、僕たちは佐々木さんと対面しました。

そこでお話したのは、経営は相変わらず厳しいけど、何とか来年もやっていけると思う、という力強い言葉と、初対面だけど僕たちの活動はずっと前任の社長から伝え聞いていて知っていたとのこと。そして引き続き僕を親善大使として受け入れて、できることは何でも協力してくれるとの言葉を貰いました。

その言葉を聞いた僕たちは、カウントダウンイベントをやりたいと提案しました。
極力今ある設備でできそうで、楽しそうなことを沢山提案しました。するとほぼ二つ返事で「やりましょう」と心強い返事を貰いました。


これが今回の一件の始まりでした。