「創造」と「覚悟」
私のお仕事はどんなご相談でも大丈夫と謳っているので様々なご相談をいただきます。その中でたまに、ですが「命」「寿命」に関わるおはなしをいただくことがあります。もちろんそのご相談も「チャネリング」を通してお応えを伝えさせていただきます。「制限はない」私がそう思っているので「応え」はやってきて私はやってきた「応え」をそのままお伝え致します。私自身は家族4名をおくり愛犬2頭をおくってきたこともあり「死」に対して過度な恐れなどなく「ただ在る」「次の世界への門」くらいに捉えていました。(過度な恐れを持つことでチャネリングの言葉を歪めることの方があってはならない事ですし、死後の方とお話する機会もあるので「死」は悲観的なものでは無い、と実感してもいます)もちろん現世に生きておられるご相談に来られた方、お身内の方の「死」に対する恐れは充分に感じ取りできるだけ配慮した言葉を使いますが、基本的にチャネリングでやってきたことはそのままお伝え致します。そういった感じですので今までも「死」に関するご相談について私の感情が大きく揺さぶられる、ということはなかったのですが今回は私へのメッセージでもあったのでしょうね。なぜか悲しくて苦しくてどうにかできなかったものかと泣き崩れてしまいました。どうにかできなかったか↑↑↑これね。これが「湧いてくる」ってことがきっと、魂からのサインというか言葉というか「なんとかできる」のだと、魂が言うのです。除霊の時もそうだった。「やりたくない」と言う私に魂からの答えは「やれるよ」と言われて号泣した。やりたくなくて泣くのではなく「やれる」ことに気がついて涙が止まらなかった。私にはなんとかできる「命」のルールに触れてはいけないと思っていた変えてはいけないと考えていたその「ルール」さえもが自分の創りだした世界だとしたらそんな「ルール」はそもそも存在しない。「命」も、私が好きに変えていい。彼の死が私にそれを教えてくれた。そして、彼の死は私に「死ぬまで」を考えさせてくれることになった私は「死ぬまで」なにをしていたい?私の答えは「私は死ぬまでこの仕事をする」だった。もうここまで来たら「救う意識が救われたい人を作る」なんて言葉で論議したくない。そんなの当たり前だ。救いたい人の前に救われたい人が創られる。そういうシステムだから。そこに善も悪もない。ただ「無」から生じて「在る」だけ。それは「やりたいことをやる」だけのこと。「救いたければ救えばいい」救われたい人を創ることにジャッジして「悪」にしなくていい。私の役割は「創造」だ。人間の最大の性質が「創造」だ。誰かの「創造」したルールに自分を縛るのも「創造」だけどそこから解放されて自分を自由のフィールドに解き放つのも「創造」だ。「創造」に制限などないこの世界には「方眼用紙」と「座標」だけが存在する。その中にある欺瞞と虚構もまた自分の「創造」に過ぎないんだ。私は死ぬまで救い続けるチャネリング(ヒーリング)と歌とアートで。それが、私の「創造」と「覚悟」彼の死がもたらしてくれた私の魂の声ありがとう。彼の尊い死に感謝致します。ありがとう。