塵輪が熊襲と結託して蓋井島から豊浦宮に浸入したように、神功皇后の三韓征伐の時代から本土防衛のことは考えられておられた。吉見の龍王山と龍王神社、乳母屋社の間に旧北浦往還道(県道244号)があり、安岡から長府に行くには船越を山越えすることになる。吉母、吉見に上陸した侵略軍団が旧北浦往還道(県道244号)を南下する時、船越の手前で阻止する役目を持っている。右手、南方向が安岡この黒井の杜屋神社、吉見の龍王神社、乳母屋社は共に長門国の三ノ宮を競っている程の格式のある古社である。吉母の若宮神社は長門一宮の住吉神社の元宮で、神功皇后の三韓征伐からの帰還地、応神天皇の出生地である。参考た。
テーマ:下関歴史
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