神功皇后時代の防衛戦略について | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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塵輪が熊襲と結託して蓋井島から豊浦宮に浸入したように、神功皇后の三韓征伐の時代から本土防衛のことは考えられておられた。

黒井の杜屋神社は室津、黒井、川棚から国道191号線や旧北浦往還道(県道244号)を南下する侵略軍団を阻止する。
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右手、北方向が室津、黒井、川棚方向
左手、南方向が梅ケ峠、吉見方向
手前、東方向が鬼ケ城山、吉見方向

吉見の龍王山と龍王神社、乳母屋社の間に旧北浦往還道(県道244号)があり、安岡から長府に行くには船越を山越えすることになる。吉母、吉見に上陸した侵略軍団が旧北浦往還道(県道244号)を南下する時、船越の手前で阻止する役目を持っている。
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左手、北方向が鬼ケ城山、黒井
右手、南方向が安岡

この黒井の杜屋神社、吉見の龍王神社、乳母屋社は共に長門国の三ノ宮を競っている程の格式のある古社である。

吉母の若宮神社は長門一宮の住吉神社の元宮で、神功皇后の三韓征伐からの帰還地、応神天皇の出生地である。


参考




この時代に既に梅ケ峠に防塁、砦があった可能性もあり、これを調査した。

後々の元寇、弘安の役にまで役に立たっ
た。

彦島八幡宮の場所は神功皇后時代からの防衛基地であり、北浦海岸の北端の島戸に東門鎮護、住吉八幡宮が鎮座していた。