出雲弁 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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出雲弁は東北弁に近いと言う。如何してか?縄文人の系統が卓越していたのか?そうでは無い、縄文時代も弥生時代も他の地域に比べ、人口密度は低かった!


どの時代も争いの形跡は無く仲良く暮らし、古墳時代に一時的な人口移入もあったが争いもなく、縄文時代からの言語が伝えられたとも推測出来る。


さらに日本海側は江戸時代まで北前船の航路があったが、実は遅くても弥生時代初期から北東日本との交流があったことが証明されている。さらに、政治の中枢であった大和政権に従属しない文化を楽しんでいた。これらが理由と考えられないか!



参考


砂の器』では、東北弁は、東北地方だけで話されているのではなくて、島根県の出雲地方でも話されている事になっているのだが、これは事実だろうか。ネットで調べると、その可能性はあるような気がする。しかし、出雲と、東北地方とはどういうつながりがあるのだろうか(参考)。



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音声・音韻面で隣接する地域とはかなりの違いがあるため、方言区画では中国方言と切り離されて扱われる。雲伯方言ではイ段とウ段の発音が近く中舌母音になり、エの発音もイに近くなるなど、東北方言と共通する特徴(ズーズー弁、裏日本式発音)があるが、この特徴が雲伯方言に飛地状に分布する理由について明確な結論は出ていない(wikiより)。

現代人の血液型から見ると、近隣との異差はない!