

~今は亡き中村天風氏~
それでは、僕の病を克服へと導いた中村天風とはどういう人物だったのかをご紹介します

しかし、皆さんに、僕が尊敬している人を知ってもらう事が目的ではありません。
私の命、あなたの命は毎日『生きよう』『治ろう』としています。それが本能です。私たち人間の頭脳は、どうしても後ろ向きなことや心配事をしてしまう性分ですが、そのサポートを力強くしてくれる情報は必ずある!
見つかるまで諦めずに探すことの大切さを伝えたいのです。
僕にとっての最大のサポーター、今は亡き中村天風(なかむら てんぷう)は明治9年生まれ。松下幸之助氏を始めとする大企業の社長の方々も師と仰いだ人物です

中村天風氏が若いころは、日露戦争の軍事スパイとして大活躍します。人一倍気が強く、体もとても強靭な青年。
任務中は馬賊と刀で斬り合うこともあり、とても過酷なものでした。
武道と頭脳にひいでた日本の精鋭113名の軍事スパイのうち、生きて日本へ帰国できたのはたったの9名だけ。
その9名なかに入っていたのですからどれほど心身ともに強靭だったか想像できます
しかし

その9名なかに入っていたのですからどれほど心身ともに強靭だったか想像できます

しかし


日露戦争後、30歳にして突然の吐血。
奔馬性肺結核(ほんませい はいけっかく)という、きわめて危険な病気になります。
この病は当時、死病(必ず死ぬ病)とまでいわれ、今の癌よりもずっと恐れられていた病です。
文字どおり走る馬のように、急速に症状がすすむ肺結核で、当時は助かる見込みがまったく無い病でした。
日露戦争で活躍して心の強さには自信があった天風ですが、病になったことを知ってから死の恐怖に襲われます。
結核の最高権威といわれていた医学博士の治療を受けますが、病はよくなりませんでした。
死の恐怖がますます彼の心をむしばんでいきました。病が天風の心を弱らせいったのです。
ふたたび強い心を取り戻したいという思いから、医学、宗教、哲学、心理学の本を読みあさります。
日本に答えは無いと感じた天風は、心と体を強くする方法を求めて、アメリカへ密入国
します


この病は当時、死病(必ず死ぬ病)とまでいわれ、今の癌よりもずっと恐れられていた病です。
文字どおり走る馬のように、急速に症状がすすむ肺結核で、当時は助かる見込みがまったく無い病でした。
日露戦争で活躍して心の強さには自信があった天風ですが、病になったことを知ってから死の恐怖に襲われます。
結核の最高権威といわれていた医学博士の治療を受けますが、病はよくなりませんでした。
死の恐怖がますます彼の心をむしばんでいきました。病が天風の心を弱らせいったのです。
ふたたび強い心を取り戻したいという思いから、医学、宗教、哲学、心理学の本を読みあさります。
日本に答えは無いと感じた天風は、心と体を強くする方法を求めて、アメリカへ密入国





そして世界の一流の哲学者、宗教家を訪ねますが彼にとって納得のいく答えは得られませんでした。
からだは衰弱していき、絶望のなかせめて日本で死にたいと思って、帰国の船に乗ります。
そして帰国の途中、エジプトのカイロで、ヨガの聖者とめぐり合うことになります。導かれるままにインドのヒマラヤ山に入り、ヨガの指導を受けることになります。
天風はヨガの聖者に導かれ、ヨガの村までやってきました。中村天風氏が、ヨガの村で、困惑したのが食事でした。
よく観察してみると、この村の人たちはとても健康でした。みんな体力があって病人がいなかったのです。
《明日へ続く》
Never give up!











健康な自分と再会しよう!!!!





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