概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(14)
西暦2016年8月13日:土曜日

後半(14)
【『A・Course・in・Miracles』
人間性欠落の特別性の領域】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『人間性欠落の特別性の領域―
エゴが作った初期の世界では特別性の誘引が強固だ。だからこそ初期の領域では人間性が欠落した人間であれ特別性の誘引で全て誤魔化される。いくら人間性が疑われる、倫理や道徳に著しく欠けた状態でも特別性の誘引が効果をなしてしまう。しかしカントが言うように人間とはこのようなものだ。「―もし道徳という概念が真実でありまたなんらかの可能的存在に関係しているということをことごとく否定し去ろうとしない限り、道徳的法則は極めて広大な意義をもち、ただに人間のみならず、すべての"理性的存在者一般"にも―偶然的条件や例外の有無などにかかわりなく―"絶対的"-"必然的"に妥当せねばならないということを否認できるものではない、と。」(『道徳形而上学原論/カント』から引用)』
②エゴが作った初期の世界であればあるほど、人間性が欠落した、とても人間とは言えない言動が基本として成り立っている。日本の義務教育を受けた大人(障害的な何かを持つ者は除く)なら誰もが知っている種蒔きすら小学校教師が知らないという例すらある。世界構造のかけ離れ過ぎとは、種蒔きすらも知らない人間を露にさせるわけだ。最後か最後に近いこの領域の世界構造に照らし合わされると、初期の世界が如何に人間的ではないかが露にされる。エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】によって

【①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『人間性欠落の特別性の領域―
エゴが作った初期の世界では特別性の誘引が強固だ。だからこそ初期の領域では人間性が欠落した人間であれ特別性の誘引で全て誤魔化される。いくら人間性が疑われる、倫理や道徳に著しく欠けた状態でも特別性の誘引が効果をなしてしまう。しかしカントが言うように人間とはこのようなものだ。「―もし道徳という概念が真実でありまたなんらかの可能的存在に関係しているということをことごとく否定し去ろうとしない限り、道徳的法則は極めて広大な意義をもち、ただに人間のみならず、すべての"理性的存在者一般"にも―偶然的条件や例外の有無などにかかわりなく―"絶対的"-"必然的"に妥当せねばならないということを否認できるものではない、と。」(『道徳形而上学原論/カント』から引用)』】

しばらくは去年西暦2015年の続きで「特別性」に関する概念記事を書いていく。この概念は徹底的に書き尽くし、どれほどエゴが「特別性」を死守し欺きの手段としているかをはっきりさせる。
今回西暦2016年後半概念(14)では、
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON167
4
ワークブックLESSON132
6-(2~5)
を提示していく。
LESSON132の6は入れていた方がいいという判断から添え付けで入れている。
LESSON167は西暦2016年後半(11)から小分けに全提示する。

今回西暦2016年後半概念(14)では
『―人間性欠落の特別性の領域
エゴが作った初期の世界では特別性の誘引が強固だ。だからこそ初期の領域では人間性が欠落した人間であれ特別性の誘引で全て誤魔化される。いくら人間性が疑われる、倫理や道徳に著しく欠けた状態でも特別性の誘引が効果をなしてしまう。しかしカントが言うように人間とはこのようなものだ。「―もし道徳という概念が真実でありまたなんらかの可能的存在に関係しているということをことごとく否定し去ろうとしない限り、道徳的法則は極めて広大な意義をもち、ただに人間のみならず、すべての"理性的存在者一般"にも―偶然的条件や例外の有無などにかかわりなく―"絶対的"-"必然的"に妥当せねばならないということを否認できるものではない、と。」(『道徳形而上学原論/カント』から引用)』
という方向性の内容だ。
【A・Course・in・Miracles】原書引用箇所は直に特別性とは結び付いてはないが、②を説明するのに解りやすいと思ったので引用した。
この辺りでは原文引用よりも、②からの内容を書き尽くすことに重点を置いている。

西暦2016年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。

「heal」とは「癒し」ではなく「エゴの思考システムに囚われた状態から正常な(『聖霊』要するに【終わらせる為に作用する何か】の)思考システムへの移行」というようような意味で捉えるべきだ。

【A・Course・in・Miracles】の『illusion』と『dream』は仏教で言う意味に近い意味。『世界は幻想』という意味。
『knowledge』は『知っている状態』位にとるべき。「知識」だと全体の意味がとれなくなる。

▽以下引用

LESSON167

4. Death is the thought that you are separate from your Creator.
It is the belief conditions change, emotions alternate because of causes you cannot control, you did not make, and you can never change.
It is the fixed belief ideas can leave their sourse, and take on qualities the source does not contain, becoming different from their own origin, apart from it in kind as well as distance, time and form.

※死はエゴが作ったインチキだから。

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON167
4
(P318)

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)



【②エゴが作った初期の世界であればあるほど、人間性が欠落した、とても人間とは言えない言動が基本として成り立っている。日本の義務教育を受けた大人(障害的な何かを持つ者は除く)なら誰もが知っている種蒔きすら小学校教師が知らないという例すらある。世界構造のかけ離れ過ぎとは、種蒔きすらも知らない人間を露にさせるわけだ。最後か最後に近いこの領域の世界構造に照らし合わされると、初期の世界が如何に人間的ではないかが露にされる。エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】によって】

7日
西暦2016年8月6日:土曜日
ここ【栃木県宇都宮市】
最高気温:35.1度/最低気温:24.8度
平年最高気温:31.0度/
平年最低気温:22.5度
日出:AM4:50/日没:PM18:42

お前はブラジルか!
要するに地球の裏側位に離れすぎた無法地帯だって言ってんだよ。
日本の裏側がブラジル付近だからね。
ブラジルでは歩きスマホやったら必ず位にひったくりなどの犯罪に巻き込まれるくらいに治安が悪すぎるらしいからな。
ほど遠いんだよ。
なんて迷惑な影響なんだ。
で、「はい、そうです」と自白するようにに北隣【近藤】(仮)異常近接向い合せ風呂で音がした。その異常近接風呂設置も風呂場の出入りの意味不明さも、ブラジル以上に世界がかけ離れすぎてるという証拠。なんで二日連続で剣道用具を駐車場に干してるんだよ。こんな異常さは世界のやり直しだろうが。しかも、普通、玄関に干すもの全て運んでから干すだろ。なんで何回も玄関出入りしながら、どこか遠くから運ぶ的な間で10分位まで時間かけて干すんだ?頭おかしいんかと思ったわ。仕事の実質性がやはりかけ離れすぎてるのがよく見えるわ。世界が違いすぎる。ハリボテ生活、インチキさ丸見え。ここ最近の北隣設定、現在地球の裏側以上に世界構造がかけ離れすぎてると如実に表れてるから説得力しかない。その影響で西向いの日神工業が無法地帯の狂乱状態に陥っていて、見るに耐えない位だ。

西暦2016年8月6日:土曜日
http://news.tv-asahi.co.jp/sphone/news_international/articles/000080770.html
リオ五輪まもなく開幕 市内では大規模デモも(2016/08/06 05:52)
南米初の開催となるブラジルのリオデジャネイロ・オリンピックの開会式を目前に控え、街では大規模なデモが起きています。
リオ市内で5日、停職中のルセフ大統領を支持する市民がオリンピック開会式にも出席する暫定大統領のテメル氏に抗議するデモを行いました。デモ隊が車道にあふれ、一時、交通がストップする事態になりました。
西暦2016年8月6日:土曜日
http://news.tv-asahi.co.jp/sphone/news_international/articles/000080800.html
リオ五輪開幕迎え市民は…開催に“複雑な心境”(2016/08/06 16:37)
開幕の日を迎えたリオデジャネイロの市内の様子、そして市民の人々はどのくらい盛り上がっていたのでしょうか。
開会式の最中、パブリックビューイングの会場がある街の中心部を取材していました。会場内は活気がありましたが、それ以外の場所は街が閑散としていました。半年前にこの街を取材した際は、ちょうどリオのカーニバルが開催中で、街全体が連日、朝までお祭り騒ぎでした。それに比べると、今回は非常に局地的で、盛り上がりに少し欠けるのではないかという印象です。そして、開会式当日の地元の新聞のスポーツ面には、かつてオリンピックの招致を決めた瞬間の写真を大きく掲載したうえで「長年の夢が現実になった」と南米初開催という悲願達成までの経緯を詳しく伝えています。しかし、同じ新聞の一面には「最悪の不景気のなかでオリンピックが開幕」と見出しが付けられ、公務員の給与すら支払われないなか、開催すること自体に疑問を投げ掛けています。一見、矛盾したような相反する論評ですが、これがまさに今、経済低迷と財政難にあえぐブラジル国民の複雑な心境を象徴しているといえます。
西暦2016年8月6日:土曜日
http://news.tv-asahi.co.jp/sphone/news_international/articles/000080779.html
開会式会場近くでデモ 五輪開催に反対し暴徒化(2016/08/06 11:20)
開会式の会場の近くではオリンピック開催に反対するデモ隊が暴徒化し、警察が催涙弾を使って制圧する騒ぎがありました。
各国の首脳や観光客が滞在するコパカバーナビーチ。デモ隊は、世界中のメディアが詰め掛けるこの周辺の道路を埋め尽くしました。デモの参加者は停職中のルセフ大統領を支持する市民ら約1万5000人で、代理で開会式に出席するテメル暫定大統領を激しく非難しました。怒りの矛先はオリンピックにも向けられています。
デモに参加した人:「(多くの人が)教育も医療も与えられていないのに、政府は五輪開催のために多額の資金を投じている。全く馬鹿げた話だ
開催に反対する一部のデモ隊は、開会式の会場近くまで押し掛けて国旗を燃やすなど暴徒化しました。警察が催涙弾を撃ってデモ隊を制圧しましたが、この衝突で1人が拘束され、1人がけがをしました。国を二分した大統領の弾劾(だんがい)審議から3カ月。国民の団結をアピールしたかった開会式ですが、皮肉にも不安定な国内事情をさらけ出す結果となってしまいました。
以上ニュースから引用

ハリボテの中身の空っぽな実態が露にされたような、ブラジル、リオ・オリンピック。

政治経済は最悪レベルにガタガタ、治安も最悪に悪化な状態で、見せ掛けの華やかさを見せつけるリオ・オリンピック開会式をテレビで見ながら、データ放送画面に流れるデモ暴徒化のニュースにゾッとする思いだった。
まさにハリボテ。
その華やかな開会式会場の近くで、市民はデモを行い暴徒化していたというそのちぐはぐさ。
そりゃ、自分達の生活を圧迫した最悪な政治経済状態の中で、そんな明らかに異常にも多額の税金が使われるオリンピックなんかが華やかに開かれていたら、国民は怒り反発するのは当然。経済が酷すぎて公務員には給料が支払われない状態だし。安泰の筈の公務員ですら呑気に安穏とはいられない。
見た目の見せ掛け、ハリボテのために、政府というのはいつの時代でも中身(国民や低位や実質的内容とか)を犠牲にする。
西暦2020年の東京オリンピックにも似たような前兆がいくつも出ている。
オリンピックというのは、これでは中身が空っぽで実質的な内容を犠牲にしたハリボテの象徴のようだな。

中身の空っぽな実態は常に突きつけられる。

【A・Course・in・Miracles】で言う『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』という主要概念。仏教で言う意味に近い幻想。


9日
西暦2016年8月8日:月曜日、【祖母】の用事の1つで送っていくのに家を出ようとしたら、北隣【近藤】(仮:70代~80代位:西暦2016年)の方へ東の細道を介護施設(デイサービス)のシルバーワゴンが入って行った。最近毎回時間を完全に狙いすましてきていて、いずれ書こうとは思ってはいた。そこを狙っているとしか言いようがない。完全に時間的に不自然で説明がつかない。
それだけでも不自然なのに、家を出て車に乗り込んだ途端に、北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)が自転車(チャリ)で帰宅しすぐ側を通りすぎた(東ではなく西の細道から入る)。あまりにも酷いあからさまな狙いだ。時間はもう狙い以外のなにものでもないとしか言いようがない真っ昼間。言い訳はできない。完全にサボりでストーカーだ。
北隣【近藤】(仮)ダブルでタイミング狙いストーカーだ。完全に狂乱の【近藤】。
関連付けの為に時間を追いかけてくる位に躍起だ。てゆーか、70代~80代の方だけでも関連付け足りないのかよ。それとも別の【異世界】用なのか?本当にあきれ果てる狙いだ。
先週の同じ曜日は、【祖母】を送った帰りに家の近くで、北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)にそっくりの男が自転車(チャリ)で付きまとうように動き、北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)で男としてやりたい系統だなと心底気持ち悪い思いだった矢先だった。今回はそっくり男ではなく本人。本当に女らしい服をきてないと男にしか見えないからな。男に見せ掛ける為のショートカット。最近風呂系タイミングをあからさまにタイミングを狙いすぎて狂乱状態になってはいたが、ここまで執拗。

【異世界の異常者犯罪レベルコメント】
西暦2016年
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
近藤 さん
04月09日 14:42
^^
ブログ更新してないじゃん
いいねが2264になってるよ
おばあちゃんは元気かな?送迎頑張ってる?
見えてるよお風呂
IP:210.149.125.35
[但し書き]に「いいね」を付けたブログが見えない者一…についたコメント

北隣【近藤】(仮:70代~80代位:西暦2016年)は今年のゴールデンウィーク付近で老男の方が入院し、退院してから、家にいたら歩けないのだから世話で忙しい筈の老女が不自然過ぎる動きだったのが明らかになったせいか、介護施設(デイサービス)へ通うように設定にしたらしく、西暦2016年7月25日:月曜日からこちらの外出時ピッタリに時間を完全に合わせて、デイサービスのシルバーワゴンが北隣【近藤】(仮)へやってくるようになった。車が1台分幅の狭すぎる道だから、駐車場に何度か閉じ込められ邪魔をされている位の狙いだ。完全な迷惑行為。こちらは長年この曜日、この時間なのに。
しかも、時間が異常過ぎる。一体何の動きなのかが全くわからない真っ昼間。午前中だけなら帰りが中途半端すぎ。午後からならやはり異常過ぎ。完全に昼食中か昼の食休み時間だ。というか、普通半日とかではなく朝から夕まで、1日だろ。完全に時間があまりにも不自然で中途半端すぎて、この時期を狙うために無理矢理時間を合わせているようにしか見えない時間帯だ。あからさまな狙いにしか見えない。
大体、前々からルーティン用事とかの【祖母】の送迎時には必ず車出る前に目の前を横切られたり、道沿い(ルートを変えるとそのルートに不自然に道沿いに現れる)を歩いたり、自転車(チャリ)に乗っていたり、もう完全な超常現象的ストーカー状態が酷すぎて気持ち悪いどころの話ではない位にあからさまにタイミングを狙われてきていたのだ(ただ、今回狙われている方はまだあまり狙われていなかった用事だった。別の用事の方とか)。
とにかく、北隣【近藤】全体が完全に現実的ではなく、実質的ではなく、インチキにしか見えないのだ。

北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)など、植物の種の蒔き方まで知らない。
西暦2016年8月7日:日曜日昼前、こちらは書き物で大忙しなのに、真下の北隣駐車場で蠢き出すから見たら、なんと………種みたいなのを蒔いてた。夏に。………いや、普通なら何も言わないんだが、メルセデス・ベンツ黒ワゴンの後ろ北隣建物に程近いごく狭い(1メートル位か)砂利の部分に、種を蒔いてるようにしか見えなかった。砂利に種を……。人間なら誰もが判る。それが異常だと。人間は砂利に種は蒔かない。
いや、百歩譲って、土に蒔いたと言い張るなら、しかし、それでも異常なのだ。普通、人間が種を蒔くときは、雑草を全てむしり、根が伸びやすいように土を耕し、土をならして、肥料などを混ぜて、土壌を整えてから種を蒔く。蒔くといっても、土の上に置くのではないと誰もが知ってる。種の種類によって多少違うだろうが、大体は人差し指第1関節位までの深さの穴を作り、その中に種を入れて土を被せて埋めるのだ。そうしないと鳥などに食べられてしまう。その後で、水をやる。
学校行った人間なら誰もが判る。幼稚園、小学校から、学校で実際に朝顔等を育てたりするからだ。
それを小学校教師が知らない……もはや人間ではないよ。辺りの土がある所は全部、耕されてないし、雑草だらけ。種を土の中にではなく、砂利の上に放り投げて蒔いてたが、土ですらあり得ないんだよ。小学校教師どころか、人間ではないよ、完全に。狂ってる狂人にしか見えなかったから。

……だから、数ヵ月前から雨の早朝にザッザッと何か穴を掘るような音が聞こえたり、西向かいの日神工業で東部を異常に車で塞いでいるからより狭くなっている中、倉庫北東部外、砂利部分(車が塞いでいるせいで1メートル幅もない)を何故か掘ってる異常行為をする作業員がいたのか。意味が全くわからない行為過ぎて、ゾッとしながら笑ってしまったし、狂人にしか見えなかった。
もう、日常的に意味不明な狂人にしか見えない異常行為をやるヤツばかりで、その時は一切人間的ではないから全く意味がわからないのだが、繋ぎあわせると【異世界】で何がやりたかったのかパズルが合わさる。
まず、立地的な設定からして違うから、場所が異常になりすぎたりするわけだ。だから

だから意味不明に北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)は砂利に種を蒔く状態として表れた。時間も食い違い、ずれるから、土をならそうとしたら、数ヵ月前雨の早朝とか、場所がずれて西向かい日神工業になってしまう。

憐れすぎる。関連づけようと躍起になるあまりに、完全な不自然な狙いすぎるストーカーになったり、人間的ではない行為過ぎて、殆ど狂人にしか見えなくなりながら、この領域に表れる。
まあ、自業自得。もし、狂人にしか見えない状態でしか表れないなら、その【異世界】はスケープゴートを狂人にさせて作り出しているからだけだよ。

自分がやったことが返される。
自分が与えた全てを受け取ることになる。
自分が与えた種類が返されるんだよ。

そういう意味なんだけどさ、『蒔いた種を刈り取る』という意味。概念タイトルか言葉だけか、変に盗んだから種なんか蒔いたわけだろ、【異世界】が。

西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
後半(3)【A Course in Miracles】蒔いた種を刈り取る特別性
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12176863221.html

この概念記事をバカみたいに言葉そのまま盗んで種を蒔く……蒔いて狂人に。バカとしか言いようがないな。やはり知能的に人間とは言えない領域だな。種の蒔き方まで知らないなんて。というか、やり直しても位置や時間がずれて表れて狂人に。
種を蒔くとか、花壇とか近接地に彷徨く言い訳やりだすと狂人にしかならない。あるいは北隣設定と違う別人ババアになってるから。体格まで違うとか…笑わせんなよ。頭おかし過ぎて気持ち悪過ぎる。

だから、北隣【近藤】(仮:50才前後近接家:西暦2016年)はこちらの設計図を借りながらのくせに、向い合せ近接地に風呂を作って家を建ててしまった。人間的ではない異常者、犯罪にしかならないのに。近接地に風呂を作るのは人間ではない。更に、人間は風呂場に用もないのにあまりにも異常に出入りしない。風呂場に潜まない。意味がないから。しかも人間なら、隣とタイミングをずらす。合わないように気を付ける。意図的には犯罪であり、気を付けないなら、あまりにも人間的ではない。
だから、近接地、南東部分リビング外に、日光が全面的に当たる時期から、ゴミ箱設置を異常にやってしまう。人間は日の当たらない北裏口に置く。あるいは家の中だから。
北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)の異常行為一例で前に書いたが。東の細道から朝ゴミ捨てに行くくせに、後でゴミ捨て場の向かい側近くにあるコンビニに行くなら、普通の人間はそのついでに行く。ゴミ捨てに行った直後に、わざわざ西の細道から回り道して、コンビニまで行かないんだよ。あるいは自転車(チャリ)で出勤する時についでに寄っていく。何度も何度も同じ異常行為を。行為が全て不自然で、人間的ではない。頭おかしいようにしか見えない。
明らかに、【異世界】だから、設定と実際の立地がかけ離れすぎているから、こんなにまで異常行為となる。

まあ、大方、北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)の動きで、色々な【異世界】設定の動きをやりたいのは見え見えだが。だから、西向かい日神工業の東部に、改修工事から最近、異常に塞いで車を停めるんだよ。最大で4台南北にとめられた車を見るといつもいつもゾッとするがな。しかも、白か黒かシルバーの車しか停められない。明らかに北隣【近藤】(仮)関連車の色だ。北隣【近藤】(仮)設定で必要だからとしか言いようがないだろ。だから北隣【近藤】(仮)と日神工業が連動し過ぎる。現実的とはとても言えない動き出しタイミング一致。それで、北隣【近藤】(仮:50才前後小学校女教諭:西暦2016年)の動きで、別の設定の動きをする。だから狂人にしか見えなくなる。
北隣設定は【近藤】と名のつく【異世界】ばかりがやっているのではなく、公的系、医者系、金持ち系、学術系…と多くの領域がやっている。だから、北隣【近藤】(仮)で車を運転できる人間が50才前後公務員男だけだと関連づけに困るわけだ。朝出勤するのが50才前後公務員夫妻だけだと困るわけだ。北隣【近藤】(仮)医大の大学4年(西暦2016年)の息子は遠く秋田県にいるから使えない。卒論就活やらないと、卒業も就職もできない。というより、重要な時期2~3ヶ月間実家にいた時期があるから、世界が現実ならもう卒業就職は不可能で完全に留年だがな。
だから、日神工業で誤魔化そうとし、動きが非現実的に一致して、異常化する。だから、日神工業東部に異常な焦点が集まる。この日神工業の異常さで、出勤や通学するような設定人数を誤魔化したい。北隣設定では二人しか出勤できないのに。一人しか車を運転できないのに。両方公務員だから、土日祝日しか家にいられないのに。いたらサボりにしかならないのに。だからこそ、北隣【近藤】(仮)はイタリアでは逮捕される位のサボり状態に陥り、毎日毎日パートより早い帰宅となってしまい、新システムなんかあり得ない位に準備するための時間なんかないから、教育システムが成立できなくなる。栃木県では宣言していた小中一貫システムを西暦2016年にはできなくなった。当たり前。教師がパートより早い帰宅ばかりしていて、いつ準備できるんだ?北隣【近藤】(仮)は全てにおいて破綻状態なんだよ。やることなすこと犯罪レベル、狂人レベル。
だから別設定の【異世界】は誤魔化すしかない。しかし、その誤魔化しのせいで、その誤魔化しが蓄積され、北隣【近藤】(仮)が狂人、犯罪になる。違い、ズレがあればある程、その度合いが酷くなる。種まきが人間ではないと証明する位に。

各北隣設定【異世界】のやり直しの繰り返しが、北隣【近藤】(仮)を非現実的に不自然な動きにさせ、強迫神経症者的(鍵を何度も開けたり閉めたり、何度も鍵を確認しに戻ったり)にさせ、ストーカー、犯罪レベル、狂人レベルにさせる。新設定でやり直しをすれば、更にそれらが酷くなる。

北隣設定はもはや人間とは言えない決定的レベルに達している。北隣であるだけで、やることなすこと犯罪レベル、狂人レベル。故に、その悪循環から脱するには、北隣設定を捨てなくてはならない。
そして、最終的に、関連づけが単に致命的に【異世界】の証拠にしかならないと決定的に突きつけられ続けた末に、エゴは関連づけで世界を作り直すのを止めなくてはならなくなる。

スケープゴートを嘲笑い、バカにし、貶め、狂ってるとさせるために躍起になりすぎて、この領域では「人間的ではない狂人」として表現されるんだよ、北隣主人公設定。

これこそが、『蒔いた種を刈り取る』という意味。そのまんま、種蒔きしてんじゃねーよ、知能が単細胞の【異世界】。
人間的に種蒔きすらできねーくせに。

エゴとは正反対の作用【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用により、『蒔いた種を刈り取る』という本来の意味を思い知るようにされる。
世界の全てはエゴが作ったインチキだという事実を突き付けられる。

【A・Course・in・Miracles】に
『エゴ=confusion(混同)』とある。
『エゴ=混同=近藤』。
エゴは北隣設定を相当保護して尽力してきたってことさ。
全ては象徴的なんだよ。
全てがインチキだからね。
全てがインチキの中で、知るための方法が特定の手段に信頼を置かせないよう、限定的ではあり得ない理由。手段の偏りは決してなされない。
全てはエゴが作ったインチキだからね。

西暦2016年8月8日:月曜日朝に、虫に関するインチキが酷いから不可能にさせるために付けてる自室の虫除け水性リキッドを交換するためにコンセントを弄くったせいだとは思うが、【異世界】関連づけ設定がかけ離れすぎてるせいで、西暦2016年8月9日:火曜日に、最初満タンだったのにどんどんスマートフォン電池残量が減っていくからコンセントを見たら、コンセントから外されてたんですが。バカなのか、【異世界】。超常現象になっただろうが。ずっと数時間使ってたのに、コンセントから外れにくいのに、何故途中で外れるんだ、バカが。アホなのか?無理やりすぎだろうが。不可能なインチキゴリ押しするな、【異世界】。

スマートフォンと言えば、最初にスマートフォンを買ってから間違い電話なんか1度もない位に電話なんかかかってこないのに、何故、西暦2016年8月8日:月曜日に間違い電話なんか掛かってくるんだ。取るはずないし切れずにガイダンスになってたからそのままにしてたら(切ろうとしても切れない)、直後に家の電話が鳴り、外出先から【祖母】からの迎え要請。完全にインチキだろ。完全に【異世界】の影響だろ。東京の03ナンバーだったから、東京系の【異世界】のゴリ押し関連づけだろ。外出先でやたらと東京ナンバー車が走ってる筈だよ、全く。

全く……何回書かせるんだか。スマートフォンは通話目的で全く使ってないと。【祖母】は外出先から自宅に迎え要請電話かけるんだよ。スマートフォンはブログ目的でしか使わない。使う必要もない。電話かけると直に料金かかるインターネット重視料金プランになってるから絶対使わないし。2つ目スマートフォンにしてから、部屋の外に持ち出さなくなったのは、スマートフォンで迷惑なインチキをやられるからだよ。2つ目の時は電池残量もやりたい放題にやられるから充電コードから離さなかった位だよ。3つ目スマートフォンにしてからは、引用時で部屋の机でやるときとか、部屋限定でコードから離しはするがな。
本当に好き勝手にやられるんだよ。

【異世界】はスマートフォンでやりたい放題に関連づけて世界を作るなよ。迷惑な。使い方を制限させてるのは、無法地帯的に超常現象引き起こす位に迷惑な食い違いを正当化しようとする【異世界】の領域自体なんだからな、言っとくが。
【異世界】の関連づけがあまりにも非常識的に、非現実的に迷惑だからだ。

コンセントを弄るという似たような行為ですら、こういう食い違いで超常現象になるくらいなのに、世界構造が違いすぎる領域の食い違いでどんだけ迷惑な影響が来てるか、少しは判れよ、【異世界】。

不可能なんだよ、【異世界】なんだから。同じ領域と証拠付けるために関連づけて世界を作り直しても、こちらは一番最後か最後近くに作られた領域なんだから、食い違いが出るようにエゴが作らされるに決まってんだろ。【終わらせる為に作用する何か】の作用により、だ。

電気屋や宇都宮アピタに異常な焦点とゴリ押しがなされてる状況で、そんな【異世界】の異常な影響が来ると判ってながらわざわざ行くバカいないだろ。
当たり前に全力で避けるわ!!
避けきれる最大限まで粘って避けるわ!
北隣【近藤】(仮)設定の影響だとまる判り状態下では、更に全力で避けるわ!


『ここで私は次のことを付言したい、―もし道徳という概念が真実でありまたなんらかの可能的存在に関係しているということをことごとく否定し去ろうとしない限り、道徳的法則は極めて広大な意義をもち、ただに人間のみならず、すべての"理性的存在者一般"にも―偶然的条件や例外の有無などにかかわりなく―"絶対的"-"必然的"に妥当せねばならないということを否認できるものではない、と。』
(『道徳形而上学原論/カント』から引用)

『つまり理性的存在者は、二つの立場をもっていて、それぞれの立場から自分自身を観察することができるし、また自分の諸力を使用するための法則と、自分のすべての行為の法則とを認識できるのである。それだから理性的存在者は、―"第一に"、感覚界に属する限りでは自然法則に従っているし(他律)、また第二に、可想界に属するものとしては、自然にかかわりのない法則―換言すれば、経験にもとづくのではなくて理性に根拠をもつような法則に服従しているのである。
人間は、理性的存在者―すなわち可想界に属する存在者としては、彼自身の意志の原因性を、けっきょくは自由の理念のもとでしか考えることができない。感性界における規定原因にかかわりなく、常に独立の立場にあるということは(理性は、かかる独立性を自分自身の特性と考えねばならない)、取りも直さず自由ということだからである。ところで"自律"の概念は、自由の概念と不可分離的に結びついているし、また道徳性の普遍的原理は、自律の概念とこれまた不可分離的に結びついている。そして道徳性の普遍的原理が、この理念において"理性的"存在者のすべての行為の根底に置かれているのは、あたかも自然の法則がすべての経験の根底に存するのとまったく同じである。』
(『道徳形而上学原論/カント』から引用)
※注意:カントは自然の法則を熟知してるとは言えない。中途半端。西暦1700年代の人間なんだから無理もない。少なくも本物:佐藤篤代が知っているレベルに達してはいない。更に、カントの概念は【人間レベル】。単に【人間レベル】段階を人間性が欠落した領域へ向けて突きつけているだけ。だから、本物:佐藤篤代と同等の概念では決してない。

『常識を実践的に使用してみると、上述の演繹の正しいことがよく解かる。何びとによらず―たとえ極悪人ですら、―つねづね理性の使用に慣れていさえすれば、意図の誠実さ、善なる格律を守りぬく堅忍不抜、或いは同情心や博愛心(そのうえ自分の利益や安楽を捨てるという大きな犠牲を伴えば尚さらである)等の実例を目のあたりに示されれば、自分もまたそのような心構えをもちたいものだと思わない人はあるまい。ただ彼は、自分の傾向や衝動が強いために、なかなかそのような心構えになれないだけである。しかし彼は同時に、自分にとってさえ煩わしいかかる傾向から離脱することを希望しているのである。してみると彼とても、感性の衝動に煩わされることのないような意志をもって、とにかく考えのなかでは、感性の領域における彼の欲求の秩序とはまったく異なるような、物の秩序のなかに身を置くことができるのだということを証拠だてているわけである、彼がこのような希望から期待できるのは、欲求の満足や、従ってまた現に彼の心を占めているなんらかの傾向や、そのほか考えられ得る限りの傾向を満足させる状態ではなくて(かかるものを期待するとしたら、せっかくこのような希望を彼から引き出した当の理念すら、その長所を失うことになるだろうから)、彼の人格の、これまでよりもいっそう大きな内的価値だけだからである。こうして彼が悟性界の成員という立場に身を置いてみると、彼は前よりもいっそうすぐれた人格になったことを信じるようになる。彼を強要して否応なしにかかる立場に身を置かせるのは、自由の理念―換言すれば、感性界における規定要因にかかわりがないという独立性の理念である。彼はこの立場において、自分のうちにある善意志を自覚する、この善意志は―彼自身の告白によると、―感性界の成員として彼がもつところの悪しき意志に対して法則となるものであり、彼はこの法則に背反しながらも、なおその権威を認めているのである。それだから道徳的な「べし」は、可想界の成員としての彼には、彼自身の必然的な「欲する」であるが、しかしまた彼が自分自身を同時に感性界の成員と見なす限りでは、この「欲する」は彼によって「べし」として考えられるのである。』
(『道徳形而上学原論/カント』から引用)

これが現実的な人間なんだよ、
【異世界】、そしてエゴ。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(14)
【A Course in Miracles】
人間性欠落の特別性の領域
西暦2016年8月13日:土曜日



西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
西暦2016年前半
(30)【A Course in Miracles】特別性で矛盾を覆い隠す結果
(31)【A Course in Miracles】因果の結果を受け取る特別性
(32)【A Course in Miracles】肯定法の巧妙な悪用の特別性
(33)【A Course in Miracles】信用破綻へと自滅する特別性
(34)【A Course in Miracles】低レベルへ堕とされた特別性
(35)【A Course in Miracles】特別性で操った結果の末路
(36)【A Course in Miracles】ハリボテの特別性の限界
(37)【A Course in Miracles】自分ルールの正当化の特別性
(38)【A Course in Miracles】自己中心的特別性の崩壊
(39)【A Course in Miracles】天使の姿で欺く特別性の正体
(40)【A Course in Miracles】不正の合法の正当化の特別性
(41)【A Course in Miracles】陥れれば自ら堕ちる特別性
(42)【A Course in Miracles】堕ちた偶像を死守する特別性
(43)【A Course in Miracles】空中楼閣の特別性の末路
(44)【A Course in Miracles】倫理が欠如した特別性の世界
(45)【A Course in Miracles】世界構造が違う特別性の結末

西暦2016年後半
(1)【A Course in Miracles】特別性の無法領域と外的法則
(2)【A Course in Miracles】排他的思考の特別性の大誤算
(3)【A Course in Miracles】蒔いた種を刈り取る特別性
(4)【A Course in Miracles】黒を白と言わせる特別性
(5)【A Course in Miracles】獣レベルの領域の特別性
(6)【A Course in Miracles】他を犠牲にして利する特別性
(7)【A Course in Miracles】無法地帯の特別性の異常影響
(8)【A Course in Miracles】原始的概念の領域の特別性
(9)【A Course in Miracles】無秩序・無法地帯の特別性
(10)【A Course in Miracles】他者否定・自己肯定の特別性
(11)【A Course in Miracles】倫理欠如の特別性の異常影響
(12)【A Course in Miracles】冠に縛られる特別性のヒズミ
(13)【A Course in Miracles】詭弁的悪政の特別性

西暦2015年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html


西暦2016年(年号:平成28年)
申(さる)年現在

【佐藤篤代について】

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。


[佐藤篤代]

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2016年)
佐藤篤代は西暦2016年1月17日(日曜日)で40才
栃木県宇都宮市のド田舎生れずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

西暦2016年版プロフィール
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111502426.html

43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html













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