山口県の最北西端にある向津具半島の小学校のある辺りの水田は全ての要素を備えている。山頂に溜池を用意し、下流域の条里制地割の水田を潤している。その周りの山の斜面に棚田を耕作している。さらに近くに漁港があり、海幸と山幸を交換している。
斉系弥生人(D2)と海人族安曇氏(C1)の共同体を象徴している。山東半島あたりから直接に渡海して来た(参考)。
山口県長門市の向津具半島の水田と漁港
川尻の漁港
参考
① 壱岐の呉系弥生人(O2b)の水田とみている。鶏の骨が出土しており、魚介類を100%は食しない自給自足の弥生人で近隣の漁師とのつながりは少なかったと考えている。壱岐は朝鮮半島と日本(北九州)の間にあって、呉系弥生人や燕系弥生人の行き来があった(参考)。
② 条里制地割の水田のルーツは斉の国があった山東省あたり(参考)。
③ 朝鮮半島の百済国のあったあたりの水田(参考)。
④ 棚田と平野の水田のどちらが先かの起源の議論(参考)は実は無駄だった。
⑤ 山口県の条里制地割の水田(参考)
⑥ 王屋敷遺跡(参考)、出土の剣は安曇氏のものか?