下関市内の関門海峡を通らない陸路について | 日本の歴史と日本人のルーツ

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古代下関の瀬戸内と響灘、北浦海岸を結ぶ陸路について、図示して検討する。地形上必然的に通路となる峠、川、古代の湾、入江、昔からある神社仏閣、道祖神、弥生時代からあると思しき田畠、溜池などを考慮すると以下の図の様になる。吉見と福江の間の船越地区は峠越え又は海路になる。

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1 室津湊、2 梅ケ峠(高天原遺跡)、3 神功皇后の帰還・上陸ルート(吉母)、4 神功皇后の出陣・帰還ルート(吉見)、5 畑代(現総合病院、砦遺跡)、6  横野の浜(横野天満宮、菅原道真公の渡海地点)、7 菅原神社(菅原道真公の通過伝説) 8 綾羅木川河口、9 古代幡生湾(椋野、幡生、武久)、10 住吉神社、11 長府(忌宮神社、豊浦宮)

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9 古代幡生湾 生野神社

関門海峡は潮の流れが急で古代にはなるべく避けられていた様で、特に軍船を建造して朝鮮半島に渡海する場合、北浦海岸で建造、出航した。例えば、4の吉見、9の幡生には神功皇后の出航伝説、9の幡生には豊臣秀吉のお手植えの松記念があり、また筋が浜に弘法大師の帰還伝説がある。6は菅原道真公が出航し小倉に渡られた。3には神功皇后の上陸と出産伝説がある。1の室津湊には海外との交易遺跡、元寇伝説がある。10の住吉神社と11の忌宮神社の間には直線の古代からの峠越え道がある。8の綾羅木川は重要な交通路で住吉大神、神功皇后の通過伝説があり、また交易路として土器の出土例がある。11の豊浦津から瀬戸内海(周防灘)につながることになる。もちろん、関門海峡の小瀬戸、大瀬戸の通過もあることは当然である。

6と11は長安線(沿線の寺社)、1と5、7のルートは旧北浦往還として今でもほとんど変化無く利用されている。

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高槻式製塩土器(⚪️)、六連島式製塩土器(⚫️)の出土分布を見ると綾羅木川が交易路になっている。六連島式製塩土器


参考