伊都国は不思議な国でした。魏志倭人伝では卑弥呼の女王国に従う優等生であり、日本書紀では神功皇后を迎えに引島に行く伊都の県主がイトテでした。すなわち、ヤマト政権側の国でした!
ところが、現在、甕棺墓や漢鏡が多数出土し、隣の福岡市あたりの奴国と同様に倭国(中国の漢に朝貢した国)と同じ文化圏と思われ(
参考)、九州王朝論(トンデモ説)の似非研究家は、九州王朝の中心地の一つと見なしていた。また、女性が甕棺に埋葬され漢鏡が多数埋納された遺跡は卑弥呼であろうと誤解していた。
条里制地割の水田を見て分かりました。実は、この地は元々、海人族安曇氏(C1)が開発し、家主として、また県主として振舞っていました。しかし、入植者たちは甕棺墓制の玄界灘文化圏に属する燕系(または呉系)の弥生人(O2b)でした(
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唐津や松浦(末盧国)あたりも同じく、条里制地割の水田があります。
参考
② 元々、日本は海人族安曇氏が土地開発した(
参考)
③
筑紫の伊都の県主(あがたぬし)の祖イトテが天皇が行幸したのを聞いて、五百枝(いほえ)の賢木を抜き取って、船の艫舳(ともへ)に立てて、上の枝には八坂瓊(やさかに)を掛けて、中の枝には白銅鏡を掛け、下の枝には十握剣(とつかのつるぎ)を掛けて、穴門の引島に迎えに来ました(参考)。
⑤ 従来研究成果: 海人族安曇氏が日本列島を開発した(
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⑥ 唐津市あたりも条里制地割の水田があった。
近くに海人族の厳島神社(宗像)や宮地嶽神社(阿部丞相)があった。
⑦ 伊万里(松浦市、末盧国)にも条里制地割の水田がある。
⑧ 例外として、五島市の福江島は呉系弥生人(O2b)の島でした。その汚い地割は中国の江南あたりとソックリでした。
⑨ 朝鮮半島では、任那があった南東部の一部を除いて乱雑な区画を持った農地ばかりだった(
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10 奴国は博多湾沿岸にあった。この地も条里制地割を持っていた(
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11 糸島市、唐津市、松浦市の航空写真を見れば分かるが、入植者の住宅地が汚らしく並んでおり、入植者は呉系や燕系の弥生人(O2b)であることを如実に表している。
入植者と土地開発者が違っても良いことの例示(
参考)