概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(15)
西暦2016年3月16日:水曜日

前半(15)
【『A・Course・in・Miracles』
価値観で落伍者を作る特別性】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『価値観で落伍者を作る特別性―エゴは落伍者を作り出す為に、発言力のある強者を使って、身勝手で、強者だけに都合が良い、下位を落とし排除する為の偏った不平等な価値観を教えさせることで、社会に落伍者を作り出す。その価値観から外れた者がアウトサイダーとして社会から排される。エゴが特別性を死守したい型を高くさせ、価値あるものとさせるために、その「価値ある型」から外れた者を「生きる価値がない」として落とす。その全てが、エゴが作った主人公型の特別性を死守する為だけになされる』
②エゴは、最後の世界から漏れても主人公用として直に利用して取り繕いできない要素を、スケープゴート用に歪めて利用することで、それらの要素を否定し排除する為に社会的価値観を作り上げる。落伍者を作るための価値観だ。エゴはそれを発言力を持つ者達に提唱させ、それが社会的価値観となる。その価値観から外れた者に落伍者というレッテルを貼り、馬鹿にして笑い、非難し、否定する為の価値観だ。エゴの思うままの、都合がよい、故に偏りすぎた価値観だ

【 ①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『価値観で落伍者を作る特別性―エゴは落伍者を作り出す為に、発言力のある強者を使って、身勝手で、強者だけに都合が良い、下位を落とし排除する為の偏った不平等な価値観を教えさせることで、社会に落伍者を作り出す。その価値観から外れた者がアウトサイダーとして社会から排される。エゴが特別性を死守したい型を高くさせ、価値あるものとさせるために、その「価値ある型」から外れた者を「生きる価値がない」として落とす。その全てが、エゴが作った主人公型の特別性を死守する為だけになされる』】

しばらくは去年西暦2015年の続きで「特別性」に関する概念記事を書いていく。この概念は徹底的に書き尽くし、どれほどエゴが「特別性」を死守し欺きの手段としているかをはっきりさせる。
今回西暦2016年前半概念(15)では
【A・Course・in・Miracles】原書
ワークブックlesson198
『Only my condemnation injures me.』
1~5
を提示していく。

この辺りは、『「除外」、「排除」、「排他性」、「迫害」、「スケープゴート」を作り出すのが「特別性」である』という方向性を書いている。
たくさん書ききりたい内容があるので、【A・Course・in・Miracles】原書は分けながら提示している。(今回は未定)

今回西暦2016年前半概念(15)では
『価値観で落伍者を作る特別性―
エゴは落伍者を作り出す為に、発言力のある強者を使って、身勝手で、強者だけに都合が良い、下位を落とし排除する為の偏った不平等な価値観を教えさせることで、社会に落伍者を作り出す。その価値観から外れた者がアウトサイダーとして社会から排される。エゴが特別性を死守したい型を高くさせ、価値あるものとさせるために、その「価値ある型」から外れた者を「生きる価値がない」として落とす。その全てが、エゴが作った主人公型の特別性を死守する為だけになされる』
という方向性の内容だ。
【A・Course・in・Miracles】原書引用箇所は直に特別性とは結び付いてはないが、これを説明するのに解りやすいと思ったので引用した。
この辺りでは原文引用よりも、②からの内容を書き尽くすことに重点を置いている。

西暦2015年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html
後半(43)【A Course in Miracles】特別な関係のバリケード
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12108305324.html

西暦2013年12月30日分のバリケードに関する記事リンク
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11739278617.html

【A・Course・in・Miracles】で言う『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』という主要概念。仏教で言う意味に近い幻想。

【A・Course・in・Miracles】で言う『forgiveness』とは『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想と例外なく全てを見ること』。故に他者が犯した罪を『存在しない』と見て、実際は何も起きてないと見ることだ。『罪は幻想であり罪は存在しない』と見ることだ。世界は幻想だからだ。


「brother」、「the holy relationship」等の概念は特別性を死守するエゴの目的ゆえ、例外を作り出す為の算段でしかない。

故に、すべき全ては、徹底的に【例外なく】「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究することだ。何も鵜呑みにしない。断定しない。常に歪みを受け入れさせられている可能性を考慮に入れ、とことん「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究する。そうしなければ、必ず歪みを受け入れさせられている。

エゴがどれだけ徹底的に特別性を死守するのかを目の当たりにすれば、その必要性が理解できる。

実際は一切、徹底的に、例外はない。
エゴの魅力の魔法から完全に醒めれば理解できる。

実際は、「聖霊」として歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用により、エゴが作った全て、特別な関係をはじめ、知覚ある世界の全てが再利用されて、全て幻滅へと持っていかれる。
幻滅しなければ、棄てられないのだ。

特別な関係は幻滅の為に再利用されるということだ。

特に特別性は、幻滅がなければ絶対に棄てられない。

西暦2016年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
「student」、「teacher」は矛盾であり、歪みでしかない。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。

「heal」とは「癒し」ではなく「エゴの思考システムに囚われた状態から正常な(『聖霊』要するに【終わらせる為に作用する何か】の)思考システムへの移行」というようような意味で捉えるべきだ。

【A・Course・in・Miracles】の『illusion』と『dream』は仏教で言う意味に近い意味。『世界は幻想』という意味。
『knowledge』は『知っている状態』位にとるべき。「知識」だと全体の意味がとれなくなる。

▽以下引用

lesson198

Only my condemnation injures me.

1. Injury is impossible.
And yet illusion makes illusion.
If you can condem, you can be injured.
For you have believed that you can injure, and the right you have established for yourself can be now used against you, till you lay it down as valueless, unwanted and unreal.
Then does illusion cease to have effects, and those it seemed to have will be undone.
Then are you free, for freedom is your gift, and you can now receive the gift you gave.

2. Condemn and you made a prisoner.
Forgive and you are freed.
Such is the law that rules perception.
It is not law that knowledge understands, for freedom is a part of knowledge.
To condemn is thus impossible in truth.
What seems to be its influence and its effects have not occured at all.
Yet must we deal with them a while as if they had.
Illusion makes illusion.
Except one.
Forgiveness is illusion that is answer to the rest.

3. Forgiveness sweeps all other dreams away, and though it is itself a dream, it breeds no others.
All illusions save this one must multiply a thousandfold.
But this is where illusions end.
Forgiveness is the end of dreams, because it is a dream of waking.
It is not itself the truth.
Yet dose it point to where the truth must be, and gives direction with the certainty of God Himself.
It is a dream in which the Son of God awakens to his Self and to his Father, knowing They are One.

4. Forgiveness is the only road that leads out of disaster, past all suffering, and finally away from death.
How could there be another way, when this one is the plan of God Himself?
And why would you oppose it, quarrel with it, seek to find a thousand ways in which it must be wrong; a thousand other possibilities?

5. Is it not wiser to glad you hold the answer to your problems in your hand?
Is it not more intelligent to thank the One Who gives salvation, and accept His gift with gratitude?
And is it not a kindness to yourself to hear His Voice and learn the simple lessons He would teach, instead of trying to dissmiss His words, and substitute your own in place His?

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
lesson198
『Only my condemnation injures me.』
1~5
(P379)



【②エゴは、最後の世界から漏れても主人公用として直に利用して取り繕いできない要素を、スケープゴート用に歪めて利用することで、それらの要素を否定し排除する為に社会的価値観を作り上げる。落伍者を作るための価値観だ。エゴはそれを発言力を持つ者達に提唱させ、それが社会的価値観となる。その価値観から外れた者に落伍者というレッテルを貼り、馬鹿にして笑い、非難し、否定する為の価値観だ。エゴの思うままの、都合がよい、故に偏りすぎた価値観だ】

▽以下引用

16. As you read the teaching of the Apostles, remember that I told them myself that there was much they would understand later, because they were not wholly ready to follow me at the time.
I do not want you to allow any fear to enter into the thought system toward which I am guiding you.
I do not call for martyrs but for teachers.
No one is punished for sins, and the Sons of God are not sinners.
Any concept of punishment involves the projection of blame, and reinforces the idea that blame is justified.
The result is a lesson in blame, for all behavior teaches the beliefs that motivate it.
The crucifixion was the result of clearly opposed thought systems; the perfect symbol of the "conflict" between the ego and the Son of God.
This conflict seems just as real now, and its lesson must be learned now as well as then.

△以上引用

※「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
テキスト6章
『I. The Messege of the crucifixion』
16(P95)


このテキスト6章Iの16を読めば、【A・Course・in・Miracles】がどれほどまでに歪められやすいかが解るのだ。
だから、【A・Course・in・Miracles】が普通の本のようにそのままの内容と意味で広く広められることが可能だと考える者は、頭がどうかしてるとしか言いようがなくなるわけだ。
【人間レベル】にいた頃は、エゴの思考システムにどっぷり浸かっていると、思考プロセスをエゴに誤魔化されるか論理的に考えられなくさせられているからかと思ったが、少し違う。
世界レベルで歪められて作られているからだ。
『1+1=2』位に一目瞭然な文章を目の当たりにしながら、その論理と結果を否定することは、狂人でしかない。目に見えて明らかな事実を認めたくなくて耳を塞ぎ目を閉じて駄々をこねているとしか言いようがなくなる。

要するに、エゴが作った世界は1つではないという事実に気づかなくてはならないわけだ。

知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想(仏教で言う意味に近い幻想)。だが、この見ている世界1つだけを作ったという固定観念に囚われるようにエゴに思考を制限されてきたのだ。実際はあらゆるパターンの世界が数えられない位に作られてきた。

エゴとは正反対の作用、【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、そのエゴが順番に別々に作った多々ある世界に、別の世界の要素を漏らすことで、エゴは最後の世界にどんどん合わせて作らなくてはならなくなった。結果的に順番に作ることになったわけだが、1つ前の世界は、だからこそ次の世界に似ている。
故に、【A・Course・in・Miracles】の内容が後の世界から前の世界へ漏れたら、隠せないものは採り入れながら、内容と意味を歪めながらエゴは世界と歪んだ【A・Course・in・Miracles】を作らなくてはならない。

だから、真実に至るプロセスとして必須の【A・Course・in・Miracles】は各世界ドミノ式に漏れながら、段階的に歪められているわけだ。Jesus(イエス・キリスト)のような初期の世界では、最後の世界から飛び越して漏れているだろうが、どこまで隠せるかエゴには判断できなかったのだと考えられる。だから、所々内容が濃く表現されている領域がある。その領域すら、後で浅く歪められた領域に漏れれば効果は出る。全てがドミノ式に漏れるわけではなく、最大効果を狙った漏れ方をしているのは確かだ。

このように、【A・Course・in・Miracles】は世界レベルで内容と意味を各世界毎に歪められているわけだ。

じゃなければ、同じ本を読んでいる筈なのに、目か頭がどうかしてる人間ばかりとなってしまい、『1+1=2』位に一目瞭然な論理が解らない異常な人間が多々いるとしか言いようがなくなるわけだ。
この段階でもはや人間全体が何かがおかしいどころか正常ではない。人間は正常ではいられないのだと判明する。エゴの支配を受けた操り人形として、突如あり得ない正常ではないことをしてくると判る。人間に対する見方は、血の通った、話が通じるこれまで考えていた性質ではなくなる。いつでも暴走しかねないエゴの操り人形でしかないのだ。その事実がまずこの段階ではっきり見える。
だが、実際は同じ本を読んでいるのではなく、中身が違う本を読んでいるのだ。
世界が違うから本の中身が違う。

そして、目か頭がどうかしてるとしか言いようがない【A・Course・in・Miracles】教師や学習者達を見せられたのは、この事実に気づかせる為だ。だから、この同じ領域に、違う領域の影響を表現されている。


以下は、西暦2016年3月13日:日曜日、前日に概念記事
『西暦2016年段階概念:佐藤篤代
前半(14)【A Course in Miracles】選民意識の特別性』
を投稿前、まだ書いている最中に、読者登録申請をし、その後で更に関連づけてきた『いいね』だ。
明らかに、投稿前に、記事で触れた『いいね』主の世界一気持ち悪い名前と、別口の医者系が組み合わされて、関連づけられていたわけだ。
【異世界】の取り繕い以外に何なのか―あまりにも明らかなエゴの取り繕い過ぎて、言い訳できるのか疑問だな。

ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達(リンクまとめ)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115515187.html

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧80→異常にも1820越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12138689399.html

【異世界の関連づけいいね】(27) ―1823
http://s.ameblo.jp/universalacim/iine_entry-12114073474.html
『Yasu@クリニック専門人事コンサルタント
医療事務の面接対策と医療事務になってから』
↑犯罪か、お前は。昨日、読者登録申請でこいつの名前見て怖気が走ったわ。(以下の)概念記事投稿する前だぞ。気持ち悪い取り繕いするな!【異世界】
【A・Course・in・Miracles】の『知覚ある世界の全てはエゴが欺きの目的で作った幻想故に完全に世界の全てを価値として棄てなくてはならない(仏教で言う意味に近い幻想)』『身体はエゴが作った幻想』という主要概念が見えてたら、関連づけてくる筈がないと一目瞭然だからね

西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
前半(14)【A Course in Miracles】選民意識の特別性
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12138360742.html

この概念記事を書いた日、西暦2016年3月12日:土曜日の夜、北隣【近藤】(仮)にメルセデス・ベンツ黒ワゴン以外に1台車が増えていた。スズキのハスラー車体が赤で天版が黒の公道でもこれまで見たことない組み合わせ。ここから視界に増えたら完全に北隣【近藤】系の関連づけだとなる。新設定の始まりだろう。
今年、西暦2016年から西暦2012年~西暦2013年をやり直ししている【異世界】があるとはひしひしと感じてはいた。これで高校卒業、入学時の北隣【近藤】のやり直しだとパズルが合わさった。医学部では無理が出て法学部ででもやり直したか?最近やたらと司法系の関連づけが酷いからな。5月3日は憲法記念日。しかし、法律をやってしまうと崩れるだけだろう。憲法9条すら知らなかったくせに【異世界】がやりきれるわけがない。しかも選民意識の攻撃的過ぎる【近藤】の領域にやりきれる憲法内容ではない。新設定が法学部なら更に破綻へ加速するだろう。
しかしそれ以前に、地方公務員一家がまた不自然で無理があることを。西暦2013年の1年間で4台も新車を買うという異常行為をやった、3年後という車検も済まない内にまた新車を買うというあり得なさ。残っていた筈のホンダ赤フィットはどこへ行ったんだか。医学部は普通の大学より金がかかるし、私立なら更に相当かかるわけだから、散財どころの話ではない。タレント医者どころではない豪遊金づかいが荒い公務員だ。これは普通ならば不正が疑われてしかるべきところ。あり得なさすぎる。
国民の血税を扱い、そこから給料を貰っている公務員が、サボりを横行させて毎日パートよりも働かずに、湯水のように金を使う強欲さの亡者。血税で豪遊。はっきりと不正が疑われる。
やはり世界が違いすぎて、北隣【近藤】(仮)系は不正や犯罪にしかならない。
近接地リビング外のゴミ箱設置がいかに異常者のすることか、判らない位に。向かい合わせ近接した洗面所で待機してこちらのルーティーンを狙い、それを避けて洗面所行為を諦めるとまるで5才児以下のように追いかけてそのゴミ箱を鳴らして関連づけるストーカーっぷり。そんなにかまって欲しいのか、幼児並の公務員、と呆れ果てる。嫌がらせにしたってルーティーン追回しで攻撃性満載でゴミ箱音立てるのは、まさに幼児並だ。精神レベルの低すぎる領域なのだろうが、西暦2010年の激しさを思い出す。風呂掃除中にドタドタと大音量で近接風呂へ入ってきていた北隣【近藤】の異常さ。そのせいで風呂掃除をやめた位の執拗さ。猿やゴリラの威嚇じゃないんだから、その行為が人間的じゃないと判らないのか?最近、この西暦2010年系が関連づけてきている。
いい加減にして欲しいわ。本当に精神的未熟さが激しい領域は嫌だ。隣人を追いかけ回すなんて、犯罪レベルだと判らない原始的領域は嫌だ。
せめて【人間レベル】になって欲しい。ゴリラや猿や化石レベルの領域は、人間レベルの言葉や常識が通じない。

この世界の法則に普通に従って、北隣【近藤】(仮)が当然の結果を出してくるならば何も言わないことだ。医大3年の息子は就活も研修も卒論もゼミも部活等をやらずに少なくとも西暦2016年2月~3月の長期間帰省しているのだから、大学中退とか休学とか就職卒業できないという結果を出すなら何も言わないね。公務員夫妻もサボりすぎて当然解雇されてるという結果を出すならな。それ以外なら不正が行われている。だから不正だという結果を出すならそれでいい。世界が現実ならば、それでは食い繋いでは生きていけない。その結果を受けとればいい。それならそいつの生き方の勝手だ。何も言わないね。言う必要がない。この領域で当然の結果ではなく、魔法としか言いようがない誤魔化しのインチキにしかツッコミはしない。その為だけのために、この世界の「普通」を持ち出しているだけだ。その「普通」が生き方として大切だなどとは一切言っていない。

いいとこ取りする【異世界】はそれを歪めるから偏った価値観の押し付けに走る。
そして、いつも言うように【人間レベル】が歪めて、本物がやることをいいとこ取りすると非難にしかならない。


視野が狭いから一面的な物事の見方しかできない。故に盲目。
ある視点に偏っていれば、その視点の内側でしか物事が見えないからだ。
漫画も専門書も同じ物質に過ぎない。
物質レベルでの視点でしか、物質の違いなどに囚われる事はない。
「何のために」という目的自体に2つの決定的な方向性だけがあるとは、盲目故に気づくことはできない。


西暦2016年3月12日:土曜日
http://mainichi.jp/articles/20160312/ddn/041/100/007000c
不適切発言
女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと 大阪の中学校長
大阪市立中の男性校長(61)が2月29日、全校集会で「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと。仕事でキャリアを積む以上に価値がある。子育てをした後に大学で学べばよい」と発言していたことが、市教委関係者への取材で分かった。市教委は「不適切な発言」として処分を検討している。
今月初め、市教委への匿名の電話で発覚した。市教委の聞き取りに、校長は発言を認める一方、間違ったことは言っていないとの認識を示したという。校長は2015年3月に定年退職したが、再任用されていた。
以上ニュースから引用

戦後まもなくの時代から脱け出せない亡者のような偏見で狭量すぎる価値観の押し付けを校長が行う。西暦2016年の現代日本で教育者が公言して良い価値観ではない。生き方の自由と平等を否定するのは教育者がやっていいことではない。教育組織全体が腐りきっているのがよく判る。

この相当な偏見の校長のニュースは、各ニュース番組でもワイドショーでも多々採りあげられた。「公務員が偏った価値観を公言してはいけない」、「そもそも何故このような偏った価値観の人物が校長として選ばれたのか」という方向性の非難の内容だ。この領域で非難されるのは当たり前だ。

しかも、この校長は、校長にインタビューする記者達に「勉強してないから解らない。勉強しなさい。貴方は派遣?」というような、また頭がおかしいとしか言いようがないことを言った。救いがたい偏見に満ちた価値観が丸わかりだ。「お前の方こそちゃんと勉強しろ。児童書や道徳の教科書にも載ってるだろう。人を差別してはならない、人には多種多様な生き方があり、むやみに他者の生き方を否定してはならない。人は生まれながらに皆平等であり自由だ、と。偏見の目で物事を見ず、視野を広く持とう、と。何で教師のくせに知らないの?」だ。色々な意味で勉強しなくてはならないのはこの偏りすぎて視野が狭すぎる校長だ。地中に埋まった狭い箱の中でしか生きてきていないのではないかと言えるくらいの経験値の乏しさ。その地中の狭すぎる箱の中しか見えていない。バイトやパートや派遣だと勉強していないと考える狂ってるとしか言いようがない価値観。
世界には多種多様な人間がいるということすら解らない狭さ。
こんな校長に教えられた生徒達は悲劇だ。押し込められ感に息が詰まりそうになり自由と平等を否定されて3年間生きなくてはならない。戦時中の日本兵への教育じゃないんだから、「お国のために命を捨てなさい」という狂った教育の時代ではないのだから、時代遅れにも程があると判らない石頭。

こんな甚だしい偏りを認識できずに公言し、しかも「間違っていない」と信じてしまっているような人間が、まだ日本にいることが信じがたい位のニュースなのだ。普通ならば、自分が信じていたが表沙汰にすると非難されるのは当たり前だから公言はできない価値観をうっかり漏らしてしまった、というならば話はわかる。だが、世間から隔絶されていない限りは判るはずなのに、偏りを偏りだと認識できていないその異様な状態は、【異世界】だからとしか言いようがない。同じ領域ならば、「知らなかった」ということはあり得ない。そんな偏った価値観を公言すれば白い目で見られるのは当然判る。

そこから、エゴが作った世界の中で、より初期の世界では、偏りすぎた価値観を教師が教えすぎているという事実が浮上する。この領域では狭量で、視野が狭く、頭がカチカチの古くて化石のような価値観とされることが教師により正当化されながら教えられているということだ。アニメや漫画などを否定する価値観もそう。

『男の人にも女の人にも、
いろいろな人がいて、
いろいろな考えがあって、
人はそれぞれに個人性…』
「漫画:聖ライセンス」より引用

だからこそ、100%理解し合うことはできない。
だが、理解しようと努力はできる。
だから、他者を、どんなに価値観が違うように見えても否定してはならないし、理解しようと努力しなくてはならない。
それは結局自分自身の為に、だ。
他者には他者の価値観と生き方がある。
自分には自分の価値観と生き方がある。
無論、受け入れられない価値観を受け入れろという意味ではなく、価値観が違えば違う道に進むしかない。他者には他者の生き方と価値観があるのだと理解し尊重しなくてはならないという意味だ。価値観の違う他者をむやみに自分と同じ価値観に変えようとしてはならないといいことだ。それは押し付けであり、他者の自由を奪おうとする行為だからだ。
他者も自分もどう生きるかは自分で決められる。だから、その自由を奪ってはならない。
自分自身が自由であるためには、他者の自由を奪ってはならない。
他者に生き方や価値観を強要したり、押し付けてはならない。
自分自身が自由に生き方や価値観を選べるように。
それが【人間レベル】の『他者尊重』。

非難すれば囚われる(断罪すれば囚人となる)。
赦せば解放される。
【A・Course・in・Miracles】にある言葉だ。

自分の高さを死守する為に他者を落とそうとすれば、最終的には自分自身が落とされる。高さ(高レベル)だと信じられていた全てが、実は低かった(低レベル)に過ぎないという事実を突きつけられる。

自分が囚われないようにするためには、他者をあらゆる意味で縛り付けてはならない。

学校では、皆人は同じなのだから、誰かを『除け者』にしてはならない、ハブいてはならない、と教える。どんなに欠点や短所や人から劣った部分があろうと、人は皆不完全なのだから馬鹿にしてはならないし仲良くしなくてはならないと教える―筈なのだ。少なくとも、本物:佐藤篤代はそう習ってきた。実態がどうであれ、表向きは必ずそう教えられる。

アニメや漫画でも、どんなに悪人の敵でも、「絶対助ける!」と主人公が助けて最後にわかり合えるパターンも多いし、沢山ある。「みんな友達。あなたは敵じゃない。きっとわかり合える。私はそう信じてる。だから見捨てることなんてできない!」と言うように、敵ですら除け者にはしない。

しかし、エゴは、この人間全ての生き方や価値観の自由を認めるような自由と平等と公平な世界を後になるまで作らなかった。

【日本国憲法13条】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC13%E6%9D%A1
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

【個人の尊重】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B0%8A%E5%8E%B3
個人の尊厳あるいは、個人の尊重とは、すべての個人が互いを人間として尊重する法原理をいう。日本法では最高の価値基準であり、各種基本的人権、中でも平等権を直接根拠づけるものとされる。世界的ないし歴史的には憲法制定権力に正当性を与える自然権として理解される。人格尊重主義や個人主義は原理が誕生する文化的背景であったが、より直接のきっかけは市民革命である。
市民は革命のときこそ団結して絶対王政を打破したが、それ以前は個々ゆえに虐げられていた。そこで個人は国家より弱く、法の支配により保護しなければならないと考えられるようになった。この理解は特に国家の警察力を脅威とするとき妥当する。しかし、経済力を物差しとするときには個人を国家が常に圧倒するわけではない。
以上引用

第二次世界大戦後、日本では日本国憲法により、平和主義、基本的人権の尊重などの要素が日本の基盤とされた。
『平等』の要素が基軸の社会構成が目指されてきた。
差別や偏見は残ったものの、公言することは憚られる社会とはなった。差別や偏見はより水面下となり陰湿化したというのもあるが。
表向き、差別や偏見は正当化されない社会だ。人権は尊重され、人権侵害は法で規制される。

この領域の、平等を基軸とする世界では、エゴは特別性を死守しにくいわけだ。『人は生まれながらに皆平等』という公平で自由を認める概念を長々と世界に採用しなかった理由だ。

ニュースの校長のような地位にある人間は、発言力を持つ。エゴとしてはこのような発言力を持つ人間を使い、偏った価値観を社会に作り出そうとした。
エゴにとって不都合な要素、要するに特別性を死守できなくさせる要素を否定し排除させる為の社会的価値観を作り出し、発言力がある人間に教えさせたのだ。
ニュースの校長はその例としてこの領域に表現された。

エゴの目的において、社会的価値観は、一部の人間が高い位置を死守できるように、下位を作り出す為に作られる。下位を否定し落とすことで、高い位置にある人間の特別性を死守することができるからだ。

だからアニメや漫画が否定されやすかった。本物:佐藤篤代は43歳になったらアニメや漫画をやらないからだ。それらをエゴが前々に作った世界の主人公達の特別性の誘引崩しの為だけにやっているから、1度でも結婚した者と43歳以上の型はアニメや漫画で『いいとこ取り』での利用ができなくなったからだ。
それで社会的価値観として、エゴはアニメや漫画を否定させた。発言力を持つ者に。

このようにエゴは、最後の世界から漏れても主人公用として直に利用して取り繕いできない要素を、スケープゴート用に歪めて利用することで、それらの要素を否定し排除する為に社会的価値観を作り上げる。
落伍者を作るための価値観だ。
エゴはそれを発言力を持つ者達に提唱させ、それが社会的価値観となる。
その価値観から外れた者に落伍者というレッテルを貼り、馬鹿にして笑い、非難し、否定する為の価値観だ。
エゴの思うままの、都合がよい、故に偏りすぎた価値観だ。

権威や社会的地位がある者の発言を見ればよく判る。偏った偏見に満ちた柔軟性に著しく欠けた凝り固まった価値観しか言っていない。そういう発言力を持つ者は、エゴが推奨する価値観と概念しか表現できないからだ。その目的が、下位を否定し落とし排除することだからだ。

だからこそ、エゴとは正反対の作用【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】は、スケープゴートを糾弾し、否定し、排除することを正当化できなくさせる為の、愛と公平と自由と平和の思考システムを投入した。そう最終的に世界を作らざるを得ないように作用している。
だからこそ、最後の世界ではスケープゴート糾弾はあらゆる方法で正当化できない。だからこそ、全ての攻撃的思考を完全に棄てる方向へ向かわされる。
自分を含めた全てが例外なく同じエゴの作り物であり、エゴ支配のロボットに過ぎないと実感するまで。それで全ての特別性が棄てられるまで。
世界の全てが価値として無意味となるまで。

除け者、落伍者を作るためのスケープゴート糾弾の為の価値観は、最後の世界では決して正当化されない。下位を否定し落とすことはできない。下位を否定し落とす無意味さを知らしめさせられる。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(15)
【A Course in Miracles】
価値観で落伍者を作る特別性
西暦2016年3月16日:水曜日



西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
前半
(1)【A Course in Miracles】特別な関係の再利用
(2)【A Course in Miracles】特別性におけるエゴの目的
(3)【A Course in Miracles】特別性の裏切り
(4)【A Course in Miracles】個体の特別性誘引による弊害
(5)【A Course in Miracles】エゴによる特別性の例外作り
(6)【A Course in Miracles】特別性は真実を妨げる障壁
(7)【A Course in Miracles】スケープゴートを作る特別性
(8)【A Course in Miracles】不都合を排除する特別性
(9)【A Course in Miracles】罪をでっち上げる特別性
(10)【A Course in Miracles】戦争と排他性を作る特別性
(11)【A Course in Miracles】迫害と思想弾圧を作る特別性
(12)【A Course in Miracles】クズを罰したがるのが特別性
(13)【A Course in Miracles】高位が下位を拝する特別性
(14)【A Course in Miracles】選民意識の特別性

西暦2015年段階の佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html
西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
前半
(1)エゴの隠す特質
(2)エゴが隠し取り繕う過程
(3)2つの正反対の思考システム
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
(5)スケープゴートの世界構造
(6)原因と結果の法則
(7)繰り返しのサイクルの終わり
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
(10)やり直しのスパイラル
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
(12)エゴが作った幻想の再利用
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
(14)身体は幻想・死はない
(15)【死の超越】の実態
(16)『罪の起源』の実態
(17)罪は幻想・罪はない
(18)罪の投影の世界構造
(19)スケープゴートへの罪の投影
(20)罪をでっち上げる世界
(21)エゴが罪悪感を作った理由
(22)罪悪感の投影の実態
(23)自分自身に対する戦いの実態
(24)【異世界レベル】の穴概念
(25)エゴが作った全ての再利用
(26)真の公平な視点
(27)「夢の主人公」の実態
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
(29)与えることと受け取ることは同等
(30)【A Course in Miracles】の実態
(31)【A Course in Miracles】世界はない
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
(37)【A Course in Miracles】聖霊
(38)【A Course in Miracles】死はない
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し

西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
(2)【A Course in Miracles】神概念
(3)【A Course in Miracles】真の世界
(4)【A Course in Miracles】原因と結果
(5)【A Course in Miracles】与える&受け取る
(6)【A Course in Miracles】与える全てを受け取る
(7)【A Course in Miracles】平和を知らせる意味
(8)【A Course in Miracles】6章:聖霊のレッスン
(9)【A Course in Miracles】peace
(10)【A Course in Miracles】第1:平和に対する障害
(11)【A Course in Miracles】第2:平和に対する障害
(12)【A Course in Miracles】第3:平和に対する障害
(13)【A Course in Miracles】第4:平和に対する障害
(14)【A Course in Miracles】miracle
(15)【A Course in Miracles】trust
(16)【A Course in Miracles】神の教師
(17)【A Course in Miracles】teach・learn
(18)【A Course in Miracles】権威問題
(19)【A Course in Miracles】judgment
(20)【A Course in Miracles】聖霊の判断
(21)【A Course in Miracles】夢の主人公
(22)【A Course in Miracles】the dreamer
(23)【A Course in Miracles】自己概念
(24)【A Course in Miracles】What am I?
(25)【A Course in Miracles】picture・frame
(26)【A Course in Miracles】seek・find
(27)【A Course in Miracles】外側を探し求めてはいけない
(28)【A Course in Miracles】偶像=全個々の存在=無
(29)【A Course in Miracles】全ての偶像を超えて
(30)【A Course in Miracles】幻想に隠された真実
(31)【A Course in Miracles】内側を見ること
(32)【A Course in Miracles】内側を見る恐怖
(33)【A Course in Miracles】隠された内側へ向かう実践
(34)【A Course in Miracles】たくさんの型;1つの修正
(35)【A Course in Miracles】1つの問題;1つの解決
(36)【A Course in Miracles】必要性の幻想
(37)【A Course in Miracles】根っこの問題と完全解決
(38)【A Course in Miracles】唯一の答え
(39)【A Course in Miracles】完全性・誤創造・償いの計画
(40)【A Course in Miracles】本当に求めること
(41)【A Course in Miracles】神の愛
(42)【A Course in Miracles】エゴの欺きの手段;特別性
(43)【A Course in Miracles】特別な関係のバリケード
(44)【A Course in Miracles】特別性の赦し
(45)【A Course in Miracles】特別性を棄てる

西暦2016年(年号:平成28年)
申(さる)年現在

【佐藤篤代について】

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。


[佐藤篤代]

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2016年)
佐藤篤代は西暦2016年1月17日(日曜日)で40才
栃木県宇都宮市のド田舎生れずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


西暦2015年段階概念
http://simplog.jp/comment/19063121/23

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

西暦2016年版プロフィール
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111502426.html

43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html













【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい例外は一切ありません
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(15)
【A Course in Miracles】
価値観で落伍者を作る特別性
西暦2016年3月16日:水曜日