概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(12)
西暦2016年3月7日:月曜日

前半(12)
【『A・Course・in・Miracles』
クズを罰したがるのが特別性】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『低位、下位(クズ)を罰したがるのが特別性。特権階級の自分達をより高くさせる為に下位を落とし、強引に罪を擦り付け、有無を言わせず罰したいのは特別性だけだ。全ては特権階級の特別性をえげつなく死守する為に』
②公的、公務員系の【異世界】では「下位」を「クズ」としてスケープゴートを世界に作り出し、自分達に不都合な思想、考え、その他全てを【歪めた要素】を押し付けて、「クズ」の言うことだと否定させ、可能な限り罰して排除しようとする。それがこの一連の不当過ぎる投稿妨害の影響の理由だ。全ては世界の一部の特権階級の特別性を死守する為にだけ、「下位(クズ)」は作り出される

【①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『低位、下位(クズ)を罰したがるのが特別性。特権階級の自分達をより高くさせる為に下位を落とし、強引に罪を擦り付け、有無を言わせず罰したいのは特別性だけだ。全ては特権階級の特別性をえげつなく死守する為に』】

しばらくは去年西暦2015年の続きで「特別性」に関する概念記事を書いていく。この概念は徹底的に書き尽くし、どれほどエゴが「特別性」を死守し欺きの手段としているかをはっきりさせる。
今回西暦2016年前半概念(12)でも前回の続き
【A・Course・in・Miracles】原書
テキスト6章
『I. The Messege of the crucifixion』
14~16
を提示していく。
この原書箇所も数回に分けて提示している。イエス(Jesus)の言い訳、誤魔化し取り繕いの箇所だが、今回の目的においては内容的に使えなくはない。

この辺りは、『「除外」、「排除」、「排他性」、「迫害」、「スケープゴート」を作り出すのが「特別性」である』という方向性を書いている。
たくさん書ききりたい内容があるので、【A・Course・in・Miracles】原書は分けながら提示している。

今回西暦2016年前半概念(12)では
『低位、下位(クズ)を罰したがるのが特別性。特権階級の自分達をより高くさせる為に下位を落とし、強引に罪を擦り付け、有無を言わせず罰したいのは特別性だけだ。全ては特権階級の特別性をえげつなく死守する為に』
という方向性の内容だ。【A・Course・in・Miracles】原書引用箇所は直に特別性とは結び付いてはないが、これを説明するのに解りやすいと思ったので引用した。
この辺りでは原文引用よりも、②からの内容を書き尽くすことに重点を置いている。

西暦2015年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html
後半(43)【A Course in Miracles】特別な関係のバリケード
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12108305324.html

西暦2013年12月30日分のバリケードに関する記事リンク
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11739278617.html

【A・Course・in・Miracles】で言う『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』という主要概念。仏教で言う意味に近い幻想。

Jesus(イエス・キリスト)はクズであるユダの裏切りが必要だったのだ。「クズに裏切られた、高尚で高邁な自分はそのクズを赦し、罪に問わない」―この構図がJesusの魅力を増幅させ、特別性の誘引を高めることができるからだ。

だからこそ、裏切り者のクズ、罪を置かしたクズは世界に作り出されたのだ。完全に、特別性を死守したいエゴの目的だ。Jesusの特別性を高める為に、クズが必要だったからだ。
だから、Jesusは「弟子達がまだわからないことが沢山ある」と弟子達のせいにして、【A・Course・in・Miracles】原書の中で取り繕ったのだ。ユダを断罪していなかったと言い訳する為に。

常に、この知覚ある世界の中で、エゴが作った各主人公の特別性を高める為にだけ、罪も、罪人も、クズも作られる。

世界の中に高くさせたい対象がいるからこそ、低位、下位、クズが作られるのだ。一方を高くさせる為に、他方を低くさせなくてはならないからだ。
それこそがエゴの目的。

他方を低く低く貶めて低くさせる程に、もう一方をより高くさせることができる。その高低さが激しい世界が、エゴがより初期に作った世界の領域。

問題はクズではなく、クズが世界に作られる理由。それが解ると、どれだけエゴがえげつなく、主人公達の高さを死守するための道具としてクズが世界に作り出しているのかがよく解る。


「brother」、「the holy relationship」等の概念は特別性を死守するエゴの目的ゆえ、例外を作り出す為の算段でしかない。

故に、すべき全ては、徹底的に【例外なく】「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究することだ。何も鵜呑みにしない。断定しない。常に歪みを受け入れさせられている可能性を考慮に入れ、とことん「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究する。そうしなければ、必ず歪みを受け入れさせられている。

エゴがどれだけ徹底的に特別性を死守するのかを目の当たりにすれば、その必要性が理解できる。

実際は一切、徹底的に、例外はない。
エゴの魅力の魔法から完全に醒めれば理解できる。

実際は、「聖霊」として歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用により、エゴが作った全て、特別な関係をはじめ、知覚ある世界の全てが再利用されて、全て幻滅へと持っていかれる。
幻滅しなければ、棄てられないのだ。

特別な関係は幻滅の為に再利用されるということだ。

特に特別性は、幻滅がなければ絶対に棄てられない。

西暦2016年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
「student」、「teacher」は矛盾であり、歪みでしかない。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。


▽以下引用

14. If you interpret the crucifixion in any other way, you are using it as a weapon for assault rather than as the call for peace for which it was intended.
The Apostles often misunderstood it, and for the same reason that anyone misunderstands it.
Their own imperfect love made them vulnerable to projection, and out of their own fear they spoke of the "wrath of God" as His retaliatory weapon.
Nor could they speak of the crucifixion entirely without anger, because their sense of guilt had made them angry.

15. These are some of the examples of upside-down thinking in the New Testament, although its gospel is really only the message of love.
If the Apostles had not felt guilty, they never could have quoted me as saying, "I come not to bring peace but a sword."
This is clearly the opposite of everything I taught.
Nor could they have described my reactions to Judas as they did, if they had really understood me.
I could not have said, "Betrayest thou the Son of the man with a kiss?" unless I believed in betrayal.
The whole messege of the crucifixion was simply that I did not.
The "punishment" I was said to have called forth upon Judas was a similar mistake.
Judas was my brother and a Son ofGod, as much a part of the Sonship as myself.
Was it likely that I would condemn him when I was ready to demonstrate that condemnation is impossible?

16. As you read the teaching of the Apostles, remember that I told them myself that there was much they would understand later, because they were not wholly ready to follow me at the time.
I do not want you to allow any fear to enter into the thought system toward which I am guiding you.
I do not call for martyrs but for teachers.
No one is punished for sins, and the Sons of God are not sinners.
Any concept of punishment involves the projection of blame, and reinforces the idea that blame is justified.
The result is a lesson in blame, for all behavior teaches the beliefs that motivate it.
The crucifixion was the result of clearly opposed thought systems; the perfect symbol of the "conflict" between the ego and the Son of God.
This conflict seems just as real now, and its lesson must be learned now as well as then.

△以上引用

※「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
テキスト6章
『I. The Messege of the crucifixion』
(全:P91~96)
14~16(内:P94~95)



【②公的、公務員系の【異世界】では「下位」を「クズ」としてスケープゴートを世界に作り出し、自分達に不都合な思想、考え、その他全てを【歪めた要素】を押し付けて、「クズ」の言うことだと否定させ、可能な限り罰して排除しようとする。それがこの一連の不当過ぎる投稿妨害の影響の理由だ。全ては世界の一部の特権階級の特別性を死守する為にだけ、「下位(クズ)」は作り出される】

視野が狭いから一面的な物事の見方しかできない。故に盲目。
ある視点に偏っていれば、その視点の内側でしか物事が見えないからだ。
漫画も専門書も同じ物質に過ぎない。
物質レベルでの視点でしか、物質の違いなどに囚われる事はない。
「何のために」という目的自体に2つの決定的な方向性だけがあるとは、盲目故に気づくことはできない。


西暦2016年3月5日:土曜日に気づいた、Amebaで更に不当に掲載妨害されていたブログ記事一覧。

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧3
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115092803.html
不当に消されてたから再投稿
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12135831806.html

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧20→異常にも659越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12120898853.html
(不当な掲載妨害で再投稿。ピアニストの関連づけはやはり深刻レベルの異常さだったからか)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12135834919.html

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧21→異常にも700越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12121358989.html
(不当な掲載妨害で再投稿)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12135838088.html?frm=theme

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧22→異常にも730越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12121687567.html
(不当な掲載妨害で再投稿)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12135840344.html?frm=theme

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧24→異常にも800越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12122679145.html
(不当な掲載妨害で再投稿)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12135843024.html?frm=theme

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』一覧25→異常にも815越え
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12122736451.html
(不当な掲載妨害で再投稿)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12135845501.html?frm=theme

不当な掲載妨害をされた記事を見てみると、一定の法則が見えた。あからさまな公務員や医者(看護師)の関連づけ、ストレス系の関連づけ、仏教を用いたツッコミ。そして教師系へのツッコミ。また、あり得なさ過ぎるピアニスト等の関連づけ。これはあまりに異常過ぎて【異世界】と言うのを否定はできない。
総合して北隣【近藤】系(仮)が不都合な部分を妨害されている。これらの掲載妨害は西暦2016年3月3日:木曜日に最初に発見し、更に前々の記事も掲載妨害されていたとその2日後に気づいたのと連動しているあらゆるスマートフォン機能的妨害やいちゃもんつけコメントの大元がはっきりと見えた。

こちらは【但書】で初段階で礼節を尽くしている上に、以下のようにAmebaブログ記事毎に全ての記事に【但書】を置いている。

《メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。例外は一切ありません。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。
あらゆる一般的な内容、あらゆる概念、例外なくやり取りは一切致しません。
全て場違いだから他でやって下さい。
【異世界】の取り繕いの証拠を突きつけるツッコミしかしません。
※詳しくはコメント欄の
[但し書き]を必ずご覧下さい
あるいは、直ちにこのブログから立ち去って下さい。

「いいね」つけたら容赦なくツッコミます↓
『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』リンクまとめ
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115515187.html
以上

このような【但書】が西暦2016年3月現在では多分Ameba全記事についている。【但書】を始めてからは。

その上、【A・Course・in・Miracles】の『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』(仏教で言う意味に近い幻想)故に『知覚ある世界の中の全てを価値として完全に棄てなくてはならない』という主要概念をはじめ、『特別性はエゴの最大の欺きの手段だから完全に棄てなくてはならない』というような概念は万人には受け入れられないと経験から知っており、反発も、歪みしか教えられない教師、歪みしか受け入れられない学習者達を沢山見てきた。
これまでに見てきた中で【A・Course・in・Miracles】本道を言えているのは教師のゲイリー・R・レナードしかいないが、彼は特別性も世界の価値も何も棄てられないから妥協に走っている。自分でも「今世では終われない」と言ってる。

そんな、本レベルですら誰もが受け入れられない概念、【A・Course・in・Miracles】共著者ですら提唱する内容と全く一致していない人生だった(Jesus[イエス・キリスト]の声を書き留めただけだから)と序文に書かれる位に、誰もが受け入れられない概念を扱っているブログなのだ。だから、受け入れられないのは当然。故に反発が酷いことは重々解っているからこそ「いっそフィクションだとお考えになり、直ちにこのブログを立ち去って下さい」とも【但書】に書いている。誰も受け入れられないのを目の当たりにしてきたからだ。

この本物:佐藤篤代のブログに来ても、誰もが受け入れられない概念内容しか見えない筈だから、普通の人間は直ちに立ち去るのが当たり前。それを全てのこの世界の内側レベルの教えや物質主義者レベルの人間が関連づけてくるこの状況は、あきらかにあり得ないのだ。
だから【異世界】の関連づけと書いている。知覚ある世界の何も価値として棄てられない段階の人間が関連してくるブログ内容ではないのだ。

全てがあり得なさすぎる。

故に、全てがエゴの作り物に過ぎないと言っている。要するに、全部が同じ、エゴが作ったインチキだと言い、あまりにインチキ過ぎて甚だしいので、【A・Course・in・Miracles】の『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』(仏教で言う意味に近い幻想)という概念を証明する証拠として逆に再利用しようと考えたのだ。だからツッコミを始めた。

ここまで初段階で徹底して【但書】を書いているのだから、どんなに痛烈にツッコミをされても誰も文句は言えない。逆に、「何故、【但書】を無視して関連づけてきた?【但書】が見えていないのか?」というくらいにあちこちに【但書】を置いている。見落とせない位に沢山置いている。

故に、Amebaブログだろうが何だろうか投稿を妨げるのはおかしいのだ。あり得なさすぎるが見物人がいたとしても、「【但書】を無視して関連づけくる方に完全に非がある。言われて当然だ」と正常な思考の主ならば判る。

だからこそ、このAmebaブログの投稿を妨げる行為は不当だと断言できる。強権でも発動されているのではないかと言いたくなるくらいの不当さであり、理不尽さだ。中国かと本当に思うくらいの暴挙だ。日本ではあり得ない。
「見れば判るだろう!?」―だ。

いちゃもんつけコメントと連動しているのだから、いちゃもんつけコメントの主がやっているのかとも思うくらいに不当だ。そして、いちゃもんつけコメントの主は明らかに公的系、公務員系だ。あるいは擁護しなくてはならない何らかの理由がありすぎて、こちらを否定せざるを得ない。

この公的、公務員系の【異世界】がこの不当過ぎるあり得ない投稿妨害を引き起こしているのは明らかだ。西暦2012年にブログを始めてからずっと何らかの妨害を受けてきている。

公的、公務員系の【異世界】では「下位」を「クズ」としてスケープゴートを世界に作り出し、自分達に不都合な思想、考え、その他全てを【歪めた要素】を押し付けて、「クズ」の言うことだと否定させ、可能な限り罰し排除しようとする。それがこの一連の不当過ぎる投稿妨害の影響の理由だ。全ては世界の一部の特権階級の特別性を死守する為にだけ、「下位(クズ)」は作り出される。

こちらはそのえげつない特別性の世界の実態にツッコミさせられ、その世界の異常さと理不尽さを浮き彫りにするために動かされている。エゴとは正反対の作用
【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用により、エゴはこの最後のルートを作らざるを得なくされているからだ。


西暦2016年3月3日:木曜日
http://datazoo.jp/w/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%AD%A6%E5%9C%92%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1/26068960
2016年3月3日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー (ニュース)
三重県のある高校で不適切な授業が行われているとして卒業が取り消される可能性がある事が分かった。USJを見に行ってお釣りの計算を数学の授業などずさんな授業が明らかになった。問題の高校「ウィッツ青山学園高等学校」は全日制と通信制の生徒がいる、通信制の生徒達は年2回の「スクーリング」と呼ばれる授業を学校を訪れて、受けるそうだ。「スクーリング」とは、国語・数学・体育など直接学校の指導の下に行われる授業のこと。
文科省はこれらの授業は「高校教育に値しない」と言い放った。義家弘介副大臣は「この度の事件は広域通信制・高校通信教育の信頼を根底から覆しかねない極めて悪質なケースであり、はなはだ遺憾な実態であると」発言した。伊賀市教育委員会は卒業した生徒に対しても授業を受けなおさせることも視野に入れているという。また、この高校に入学しないよう呼びかけている。
URL: http://www.i-iku.com/
他にもこんな番組で紹介されています…
2016年3月3日放送 13:55 - 15:51 TBSゴゴスマ~GOGO!Smile!~ゴゴの一面!ランキング
三重県伊賀市にあるウィッツ青山学園高校が不適切な授業を行っていたとして伊賀市に改善を求める通知を渡した。ウィッツ青山学園高校・西尾隆一校長のコメント。移動中のバスの車内で生徒が外国映画を見たことを英語の授業とし、邦画鑑賞で国語を履修したことに。また大阪市のテーマパークに行った際、土産物などのお釣の計算をしたことを数学、舞台セット鑑賞が「美術」の授業とされていた。伊賀流忍者博物館でスマートフォンで歴史を調べ「情報」「国語」「地理歴史」の授業とされていた。他にもアイスクリームの手づくり体験が「社会」「家庭科」。文部科学省は不適切な教育を受けた在校生の指導をやり直す事や、改善されるまでは新たな生徒の募集を考え直すよう学校側に求める通知を出した。
東京地検特捜部は受給資格がない通信制の複数の生徒について、資格があるように装い国の就学支援金を不正に受給した疑いがあり詐欺容疑で捜査している。通信課程の卒業生は「学校から教科書が届くが一回も開けた事はない。お金だけ払った年2回学校に行って卒業という感じ」とコメント。
↑このニュースは、STAP細胞問題の小保方晴子の幼児並の研究ノートを思い出させる。小保方晴子の全てもこのウィッツ青山学園と同じだったのだと思える。

西暦2016年3月1日:火曜日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160301-OYT1T50116.html
2017年春入社の就活スタート…短期決戦へ危機感
2017年春に卒業予定の大学生らを対象にした会社説明会が1日解禁され、就職活動がスタートした。
今年は面接などの選考解禁日が2か月前倒しされた影響で「短期決戦」となりそうだ。
千葉市美浜区の幕張メッセでは、就職情報会社リクルートキャリアによる合同会社説明会が開かれた。約460社が参加し、開始時刻の午前11時には学生の長い列ができた。この日は2万5000人の来場が見込まれている。
私立大学3年の男子学生(22)は「今年は売り手市場なので、いろいろな企業を選びやすいと思う。それでも日程変更の影響が心配だ」と気を引き締めていた。
経団連は今年の就職・採用活動から、面接など選考活動の解禁日を2か月早めて「大学4年生の6月」とした。多くの企業にとっては会社説明会に充てられる期間が短くなるとみられ、「学生と企業の双方に短期決戦への危機感が強く、例年以上に過熱した就職戦線になる」(就職情報会社)と指摘されている。
以上ニュースから引用

西暦2016年3月1日:火曜日、この就活ニュース関連の新聞記事を日々の写真に撮ろうとして、スマートフォン写真カメラ妨害が始まった。就活の実態と情報が余程【異世界】とはかけ離れすぎていて、それでこれらの情報が不味いのかと思っていた。何故なら、北隣【近藤】(仮)の大学三年生の息子は少なくとも2月下旬には帰省していて西暦2016年3月5日:土曜日(7日:月曜日もいる)にも帰省中だからだ。就活だけでなく卒論もある状態下、就職をするならば、大学3年生の10月くらいからは色々大忙しの筈なのだ。2~3月以降は特に帰省なんかしていられない筈。大学に行っているフリとしか言いようがない。実は大学など行かずに家に潜んでるのではないかという動きも多々見える位だ。医学部で卒論が無いわけがなく、研究室、ゼミ等に入らないわけがない。県外の医学部に言ったくせに栃木県内での就活は絶対にない。 このあからさまな違いが浮き彫りになるから、カメラを妨害されてるのかと思った。更に、西暦2016年3月7日:月曜日はこちらが定期的な外出日にまた北隣【近藤】(仮:役所系公務員男)がストーカーの如く仕事をサボった。もはやこのサボり過多状態は仕事をやっているフリをしているとしか言いようがないレベルだ。帰宅は公務員夫妻どちらもいつも普通のパートより早いか同じ位の帰宅時間。あり得なさすぎる。
だから、オリンピックの聖火位置を考慮に入れずに、一度問題で白紙化された新国立競技場の設計を採用し、聖火が置けなくて困る事態に陥るのだ。公務員全体の仕事自体があり得なさすぎる。
北隣【近藤】(仮)一家は仕事や学校が滅茶苦茶でとても同じ世界とは思えない位の有り様だ。全部が嘘で塗り固められているとしか言いようがない位に異常過ぎる。
恐らく、この直前の「ウィッツ青山学園」のずさんなカリキュラムと同等なあり得ない世界が、北隣【近藤】系(仮)の世界なのだろうと思えてならない。「ウィッツ」とは「ヴィッツ系」が含まれる筈だ。

そして、この甘く楽で緩い【異世界】の取り繕いの為にあらゆる妨害の影響が来ているのはまず確かだろう。甘く楽で緩い領域は、特権階級の自分達だけがその甘さを享受しているのみで、下位(クズ)の落とし方があからさまに酷い非人道的な扱いによる、有無を言わせない強引な罪の擦り付けだということだろう。その表れを見せられているのだ。

下位を追いかけ回しながらその対象の下位の「クズ」さを証明しようと躍起になり、何とか落とそうと必死になり、貶めようとするから、自分の高さを死守する為に下位を落とす、特に公務員のような系統は、「自分こそがクズ」だと証明されてしまうのだろう。その高さはまさに「幻」でしかなかったと証明されるのだ。

前に言ったが、自分が焦点を合わせる方向性へ向かう。クズに必死に焦点を合わせ続けた、自分の高い位置を死守しようとした者達は自分がクズになる。

クズをゴミ箱に閉じ込めて出られなくさせようとして、自分がクズとなりそのゴミ箱に閉じ込められる結果になったのだ。それが特に顕著に表れたのが公務員。他者を「クズ」にさせようとすれば自分がそうなる。

自分が与えたことを受けとる―【A・Course・in・Miracles】にも【人間レベル】の概念にもあるが、まさにその通りなのだ。

【人間レベル】で考えても、骸骨になれば皆同じなのに、高低差を作り出し、自分を高くさせる為に下位を落とそうとせるならば、「他者をそうと決めつけたような状態」に自分がなる。成功法則にもこの考え方はあるのに。

そして、【A・Course・in・Miracles】で言うように、『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想のインチキ』。仏教で言う意味に近い幻想。だから、個体も全ての個々の存在も全て、存在しない幻想に過ぎない、エゴの作り物に過ぎない。皆、例外なく同じなのだ。
高いも低いもない。良いも悪いもない。
焦点が向かう先はこの真実でなくてはならない。

閉じ込めようとすれば閉じ込められる。
実質的な解放の考えを与えれば解放を与えれる。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(12)
【A Course in Miracles】
クズを罰したがるのが特別性
西暦2016年3月7日:月曜日



西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
前半
(1)【A Course in Miracles】特別な関係の再利用
(2)【A Course in Miracles】特別性におけるエゴの目的
(3)【A Course in Miracles】特別性の裏切り
(4)【A Course in Miracles】個体の特別性誘引による弊害
(5)【A Course in Miracles】エゴによる特別性の例外作り
(6)【A Course in Miracles】特別性は真実を妨げる障壁
(7)【A Course in Miracles】スケープゴートを作る特別性
(8)【A Course in Miracles】不都合を排除する特別性
(9)【A Course in Miracles】罪をでっち上げる特別性
(10)【A Course in Miracles】戦争と排他性を作る特別性
(11)【A Course in Miracles】迫害と思想弾圧を作る特別性


西暦2015年段階の佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html
西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
前半
(1)エゴの隠す特質
(2)エゴが隠し取り繕う過程
(3)2つの正反対の思考システム
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
(5)スケープゴートの世界構造
(6)原因と結果の法則
(7)繰り返しのサイクルの終わり
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
(10)やり直しのスパイラル
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
(12)エゴが作った幻想の再利用
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
(14)身体は幻想・死はない
(15)【死の超越】の実態
(16)『罪の起源』の実態
(17)罪は幻想・罪はない
(18)罪の投影の世界構造
(19)スケープゴートへの罪の投影
(20)罪をでっち上げる世界
(21)エゴが罪悪感を作った理由
(22)罪悪感の投影の実態
(23)自分自身に対する戦いの実態
(24)【異世界レベル】の穴概念
(25)エゴが作った全ての再利用
(26)真の公平な視点
(27)「夢の主人公」の実態
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
(29)与えることと受け取ることは同等
(30)【A Course in Miracles】の実態
(31)【A Course in Miracles】世界はない
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
(37)【A Course in Miracles】聖霊
(38)【A Course in Miracles】死はない
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し


西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
(2)【A Course is Miracles】神概念
(3)【A Course is Miracles】真の世界
(4)【A Course is Miracles】原因と結果
(5)【A Course is Miracles】与える&受け取る
(6)【A Course is Miracles】与える全てを受け取る
(7)【A Course is Miracles】平和を知らせる意味
(8)【A Course in Miracles】6章:聖霊のレッスン
(9)【A Course in Miracles】peace
(10)【A Course in Miracles】第1:平和に対する障害
(11)【A Course in Miracles】第2:平和に対する障害
(12)【A Course in Miracles】第3:平和に対する障害
(13)【A Course in Miracles】第4:平和に対する障害
(14)【A Course in Miracles】miracle
(15)【A Course in Miracles】trust
(16)【A Course in Miracles】神の教師
(17)【A Course in Miracles】teach・learn
(18)【A Course in Miracles】権威問題
(19)【A Course in Miracles】judgment
(20)【A Course in Miracles】聖霊の判断
(21)【A Course in Miracles】夢の主人公
(22)【A Course in Miracles】the dreamer
(23)【A Course in Miracles】自己概念
(24)【A Course in Miracles】What am I?
(25)【A Course in Miracles】picture・frame
(26)【A Course in Miracles】seek・find
(27)【A Course in Miracles】外側を探し求めてはいけない
(28)【A Course in Miracles】偶像=全個々の存在=無
(29)【A Course in Miracles】全ての偶像を超えて
(30)【A Course in Miracles】幻想に隠された真実
(31)【A Course in Miracles】内側を見ること
(32)【A Course in Miracles】内側を見る恐怖
(33)【A Course in Miracles】隠された内側へ向かう実践
(34)【A Course in Miracles】たくさんの型;1つの修正
(35)【A Course in Miracles】1つの問題;1つの解決
(36)【A Course in Miracles】必要性の幻想
(37)【A Course in Miracles】根っこの問題と完全解決
(38)【A Course in Miracles】唯一の答え
(39)【A Course in Miracles】完全性・誤創造・償いの計画
(40)【A Course in Miracles】本当に求めること
(41)【A Course in Miracles】神の愛
(42)【A Course in Miracles】エゴの欺きの手段;特別性
(43)【A Course in Miracles】特別な関係のバリケード
(44)【A Course in Miracles】特別性の赦し
(45)【A Course in Miracles】特別性を棄てる




西暦2016年(年号:平成28年)
申(さる)年現在

【佐藤篤代について】

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。


[佐藤篤代]

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2016年)
佐藤篤代は西暦2016年1月17日(日曜日)で40才
栃木県宇都宮市のド田舎生れずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


西暦2015年段階概念
http://simplog.jp/comment/19063121/23

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

西暦2016年版プロフィール
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111502426.html

43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html















【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい例外は一切ありません
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年前半(12)
【A Course in Miracles】
クズを罰したがるのが特別性
西暦2016年3月7日:月曜日