概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(16)
西暦2016年8月15日:月曜日

後半(16)
【『A・Course・in・Miracles』
外観で欺き歪める特別性】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『外観で欺き歪める特別性―
知る手段は偏ってはならない。簡単に欺かれるからだ。世界の全ては表現であり、例え同じに見える対象でも、エゴが作った各世界毎に概念レベルがあり、その概念レベルが表現されると判れば、その外観に『何が表現されているのか』をよく観察して見極めればいいだけとなる。外観は単なるエゴが作った器に過ぎない、と外観に惑わされなくなるわけだ。個体や本等の外観手段と中身の概念レベルを固定させて結びつけなくなる。【異世界】の表現によりいくらでもその外観の中身の概念レベルは変化する、と考えると外観が無意味となる。エゴの思考システムと歪み、あるいはエゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】が全てを終わらせる為に世界に投入した思考システム―知覚される表現の中に必ずこの2つの目的があり、それを見出さなくてはならない』
②この領域では有能な人物を原始的な概念レベルの領域でエゴが利用して歪めて世界を作ると、概念レベルが致命的に引き下げられ、別人となる。舛添氏は単に最低な「公私混同」の別人と化した。【異世界】の概念レベルが、個体や本や物体その他全てに表現されるというわけだ。だから、カントだとて、【A・Course・in・Miracles】だとて、【異世界】の原始的な概念レベルが表現された時、中身が空っぽなハリボテと化す。外観なんか全く意味ないということ。カントの【人間レベル】概念で平和論がかなり使えたのは、この領域の概念レベルが表れていたから。原始的概念の領域が表現されると、同じ人物が書いた本なのに概念的基盤が欠落する位に中身が空っぽの本と化す

【①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『外観で欺き歪める特別性―
知る手段は偏ってはならない。簡単に欺かれるからだ。世界の全ては表現であり、例え同じに見える対象でも、エゴが作った各世界毎に概念レベルがあり、その概念レベルが表現されると判れば、その外観に『何が表現されているのか』をよく観察して見極めればいいだけとなる。外観は単なるエゴが作った器に過ぎない、と外観に惑わされなくなるわけだ。個体や本等の外観手段と中身の概念レベルを固定させて結びつけなくなる。【異世界】の表現によりいくらでもその外観の中身の概念レベルは変化する、と考えると外観が無意味となる。エゴの思考システムと歪み、あるいはエゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】が全てを終わらせる為に世界に投入した思考システム―知覚される表現の中に必ずこの2つの目的があり、それを見出さなくてはならない』】

しばらくは去年西暦2015年の続きで「特別性」に関する概念記事を書いていく。この概念は徹底的に書き尽くし、どれほどエゴが「特別性」を死守し欺きの手段としているかをはっきりさせる。
今回西暦2016年後半概念(16)では、
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON167
6
ワークブックLESSON132
6-(2~5)
を提示していく。
LESSON132の6は入れていた方がいいという判断から添え付けで入れている。
LESSON167は西暦2016年後半(11)から小分けに全提示する。

今回西暦2016年後半概念(16)では
『外観で欺き歪める特別性―
知る手段は偏ってはならない。簡単に欺かれるからだ。世界の全ては表現であり、例え同じに見える対象でも、エゴが作った各世界毎に概念レベルがあり、その概念レベルが表現されると判れば、その外観に『何が表現されているのか』をよく観察して見極めればいいだけとなる。外観は単なるエゴが作った器に過ぎない、と外観に惑わされなくなるわけだ。個体や本等の外観手段と中身の概念レベルを固定させて結びつけなくなる。【異世界】の表現によりいくらでもその外観の中身の概念レベルは変化する、と考えると外観が無意味となる。エゴの思考システムと歪み、あるいはエゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】が全てを終わらせる為に世界に投入した思考システム―知覚される表現の中に必ずこの2つの目的があり、それを見出さなくてはならない』
という方向性の内容だ。
【A・Course・in・Miracles】原書引用箇所は直に特別性とは結び付いてはないが、②を説明するのに解りやすいと思ったので引用した。
この辺りでは原文引用よりも、②からの内容を書き尽くすことに重点を置いている。

西暦2016年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。

「heal」とは「癒し」ではなく「エゴの思考システムに囚われた状態から正常な(『聖霊』要するに【終わらせる為に作用する何か】の)思考システムへの移行」というようような意味で捉えるべきだ。

【A・Course・in・Miracles】の『illusion』と『dream』は仏教で言う意味に近い意味。『世界は幻想』という意味。
『knowledge』は『知っている状態』位にとるべき。「知識」だと全体の意味がとれなくなる。

▽以下引用

LESSON167

6. The mind can think it sleeps, but that is all.
It cannot change what is its waking state.
It cannot make a body, nor abide within a body.
What is alien to the mind does not exist, because it has no source.
For mind creates all things that are, and cannot give them attributes it lacks, nor change its own eternal, mindful state.
It cannot make the physical.
What seems to die is but the sign of mind asleep.

※生命と信じられている全ても死もエゴが作ったインチキだということ。知覚ある世界に存在するように見える全てが、エゴが作ったインチキだということ。

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON167
6
(P318~319)

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)



【②この領域では有能な人物を原始的な概念レベルの領域でエゴが利用して歪めて世界を作ると、概念レベルが致命的に引き下げられ、別人となる。舛添氏は単に最低な「公私混同」の別人と化した。【異世界】の概念レベルが、個体や本や物体その他全てに表現されるというわけだ。だから、カントだとて、【A・Course・in・Miracles】だとて、【異世界】の原始的な概念レベルが表現された時、中身が空っぽなハリボテと化す。外観なんか全く意味ないということ。カントの【人間レベル】概念で平和論がかなり使えたのは、この領域の概念レベルが表れていたから。原始的概念の領域が表現されると、同じ人物が書いた本なのに概念的基盤が欠落する位に中身が空っぽの本と化す】

西暦2016年8月15日:月曜日
http://mainichi.jp/articles/20160815/k00/00m/040/148000c
終戦記念日戦没者の妻7人、追悼式参列へ 過去最少
71回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。全国の遺族約5100人に加え、天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら計約6600人が参列。日中戦争と第二次大戦で犠牲となった約310万人を悼み、平和を祈念する。
以上ニュースから引用

なんで『第二次世界大戦』って書けないの?【異世界】の誤魔化しにしか見えないが、そんなに『第二次世界大戦』が不味い【異世界】が未だにあるの?


11日
【新:国民の休日:山の日】とは
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%97%A5
山の日(やまのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は8月11日。2016年1月1日に施行された。
以上引用

もはやこじつけ。意味不明。単に国民の休日を増やすために無理矢理捩じ込んだ休日。安倍首相の狂乱的な、楽に緩く全てをさせるための魔法のハリボテっぷりが如実に表れた異常な国民の休日。

その安倍首相も、狂乱の【異世界】を激しく表してしまい、日本の首相としてあり得ない、初めて見る異常な2回目夏休みとかやり出した。本当に初めて見たんですけど。休み長いな、首相なのに大丈夫なんかとは思っていたが(他の総理の時にはそんなの感じたことはない位)、この西暦2016年の夏はあまりにも異常。1~2日しか前回取れなかったとか言うなら判らなくはないが、前回西暦2016年7月に9日間位夏休みとったくせに(それでもギョッとした位に長過ぎる)、8月にまた9日間(つづく土日も休むなら11日間)また夏休みって、どこの世界の首相だよ。明らかに狂ってる。頭おかしいわ。一国の首相だぞ?日本の首相だぞ?そんな暇、あるわけないだろ。首相なんか休みがあってないようなもの。その位に当たり前に忙しい職業なのに。首相になるなら、休みや安楽は犠牲にされなくてはならない、と誰でもわかる位に忙しい職業なのに。あり得なさ過ぎる。バカなのか、【異世界】。
完全に【異世界】だよ。そんな異常に長々と休める首相、見たことないわ。
やっぱハリボテの中身が空っぽ状態は隠せないな。

しかし……西暦2016年8月10日:水曜日(平日)に何かあるのかと言いたい位に、10日からまたニュースが無法地帯の【異世界】の影響に汚染され、ニュースが異常な内容になっていてインチキ過ぎて見てられない状態に陥ったが、安倍首相が異常な2回目夏休みに入ったり、……そして北隣【近藤】(仮:50才前後公務員夫妻:西暦2016年)がまたサボり。北隣【近藤】息子(秋田県の医大4年:西暦2016年)ももはや卒業や就職できず留年決定宣言をするかの如くいきなり出現。
異常サボり一家も蠢き出す位に。
平日なのに。

更に、朝、普段はいない時間帯にサボりでいる状態の中、向い合せ近接異常風呂場に潜んでいる北隣【近藤】(仮)どちらかの異常男(【実母】洗面中)。もはや朝から異常な犯罪レベルの気配はしていたから、予感はしていたが、やはりあからさまにこちらの風呂中(いつもと同じ時間帯)に、北隣【近藤】(仮)向い合せ風呂場に入って何かやってた。完全に犯罪だ。あからさま異常ストーカーだ。サボりでしかできない時間帯だから絶対に狙い打ちの犯罪。
何度も何度も何度も何度も…風呂中にすぐ外を彷徨かれたり、向い合せ風呂場に潜まれたり、近接地で何かやられたりして風呂のタイミングを壮絶に狙われてきたから何度も「変態!近藤犯罪ストーカー!」とかと(悲鳴的に)叫んでおいたから、認識できていない筈がないから、完全に風呂を狙った犯罪だ。普通は避けなくては風呂狙い犯罪行為になるから避ける。明らかな意図的な行為だ。普通の人間は犯罪行為になると認識できる。故に、間違いなくストーカー行為だ。どれ程狙えないように避けてきて、時間をずらしてきたことか。ちゃんと仕事していたら狙えない時間帯なのにサボりで何度も風呂を狙ってきている位にしつこいのだ。
これほど執拗だと以下のような犯罪ストーカーコメントも北隣【近藤】(仮)がやっているという証拠となる。

【異世界の異常者犯罪レベルコメント】
西暦2016年
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
近藤 さん
04月09日 14:42
^^
ブログ更新してないじゃん
いいねが2264になってるよ
おばあちゃんは元気かな?送迎頑張ってる?
見えてるよお風呂
IP:210.149.125.35
[但し書き]に「いいね」を付けたブログが見えない者一…についたコメント

まあ、北隣【近藤】(仮)は後から、こちらの家の設計図を借りて近接して50才前後公務員夫妻(西暦2016年現在)の方の家を建て(20年位前)、それなのに風呂場を近接して向い合せに建てたのだから、明らかな意図的な犯罪目的があると言われても仕方がない位に、人間性が欠落している。同時に風呂場に入ったり、風呂場に潜んでいたり、意図的としか言いようがない位に風呂場付近を彷徨いたり…狂ってるとしか言いようがない。
風呂に異常な焦点が向けられているのは確実だ。

だから、何も知らない頃、最初は身に覚えのない嫌がらせだと思っていたが、今回のは狙ったというより、真似である気がする。バックに入れりゃいいのにわざわざ手に盛って帰宅する文庫本真似【近藤】変態男(50才前後公務員:西暦2016年)。缶飲料まであからさまに真似をするバカ男。本当に何なんだ、このあからさまさ。そういや、コーヒー屋の持ち帰り用紙コップコーヒーも真似されてたことも度々ある。コーヒー屋とかの種類とか、度々食い違ってるがな。歪みのせいだろうが。特殊なのやるとすぐ真似してるのを見せられる。だからどの時点をやりたいかが判るのだが。
男のくせに、何故女の真似をするのか本当に歪められ方の激しさにアホらしくて仕方がないが、恐らくそれらの真似系の領域が、早い風呂を真似したから時間が被ったのだ。眼鏡外せば男でもできると思ってる所が本当にアホらしい。本物は女なのに、男で真似しようとしてしまう位にかけ離れすぎた【異世界】の領域の猿真似だ。猿真似【近藤】は犯罪ストーカーコメントにも表れていたし。

以下の犯罪ストーカーコメント2つは、数年前にこの個体が書いた内容のコピー。これは【近藤】が当たり障りのない内容を盗んで後は歪めている証拠。

【異世界の異常者犯罪レベルコメント】
西暦2016年
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
近藤 さん
04月09日 14:46
無題
ゲイリーR.レナードの「神の使者」はA Course in Miraclesの原文(second edition)へ否応なしに運んだ本だ。奇跡のコースが生涯取り組まなければならないものだとわからせた本だ。ただ、その域を超えない。その後、2~3年後には、A Course in Miracles以外は必要ないとわかり、その他の全てを捨てた。もちろん、A Course in Miraclesだけでも足りなすぎる。原文にも「このコースは始まりであって終わりではない。この後は『聖霊(the Holy Spirit)』に従って進んで行く」というようなことが書かれている。書物に頼るのは、コース(本)で終わりということで、後は独自で真実を知る方法がとられる。一つには偏らない。つまり、コース関連本やその他の手段などいらないということだ。人間にとってコース入門書は各自一冊で充分であり、それ以上はあまり意味がない。入門書は今のところまでは、エゴにそらされていく者の本しかない。ゲイリーの本も、奇跡のコースをきちんと訳していくと、だいぶ言っていることが違う、と気づく。ゲイリーはエゴに狙われやすく、だいぶエゴの妨害が入っている。内容も、エゴがそらす方向へどんどん向かった。今のところ(2012年現在原書は別問題で本物購入できる)で見えているコース関連本はみなエゴによるものか、エゴの妨害が入っている。
IP:210.149.125.35
[但し書き]に「いいね」を付けたブログが見えない者一…についたコメント
↑↓数年前に書いた内容を盗んだらしい
【異世界の異常者犯罪レベルコメント】
西暦2016年
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
. さん【=近藤】
04月09日 17:03
無題
この世界の中の一つでも肯定しているうちは、真実を知ることはできない。本当には事実に辿り着けない。この世界とは、ありとあらゆる存在が今いる世界のことを常に指す。
真実を知る為には、今まで信じていた全て、教えられていた全て、知っていた全てを、この世界の全てを全部否定しなければならない。これが真の否定だ。
世界はない。この意味が本当にわかる時、この世界に一切の未練がない時だろう。それまでは「世界がない」というエゴが作った意味を、型を変えられ、歪められたたくさんの意味を教えられ、信じさせられることになる。真実のありとあらゆるエゴにより歪められた型が違う意味を、何度も教えられることになる。そして、あらゆる作り出された偽物や敵をすべての型で攻撃するように仕向けられる。
その末に攻撃は自分にしか向かわなかったと知る。自分自身の攻撃にボロボロになるだろう。そして攻撃的思考を全部棄てなければ何も終わらない事を知る。真実を自分に来ないようにさせていたのは、それが可能だったのは自分自身だけだったと知る。
自分は何も知らない、自分はきちんと見えても聞こえていないと知らなければ、真実を知れない。
IP:210.149.125.35
[但し書き]に「いいね」を付けたブログが見えない者一…についたコメント

カント引用盗んで歪めてるから、北隣【近藤】(仮)で真似が生じている可能性が高い。【異世界】で真似が生じているから壮絶ストーカー化状態が狂乱レベルに達している可能性が高い。このパターンは何かが相当決定的に漏れて採り入れざるを得なくなったなと窺える時点で生じやすい。

何度も言うように、カントは【人間レベル】の概念を提示して、それすらもかけ離れすぎている【異世界】を崩すために引用しているだけだ。
【A・Course・in・Miracles】からは本で知ろうとする終わりだったと言ってるのに。知る手段の偏りの終わりだったと何回も言ってるのに。
だから、その知る手段の偏りが終わっている西暦2016年現在に新しい概念なんか本に期待してるわけないだろ。これまでに知ってきた【人間レベル】概念の中で再利用して、【異世界】の原始的な概念レベルを引き上げる目的で本とか引用してるだけなんだけど。何でわからないかな。今更、本で知れる新しい概念なんかあるわけないだろ。既存なんだよ、全て。カントも他の全ても何も新しくない。もう終わってるの。

舛添状態で重々判った筈だろ。個体も本も物体も在るように見える全ては表現でしかないと。
有能でやり手でまともな改革を期待されていた筈の舛添氏は公私混同の駄々っ子状態で辞任に追い込まれた。
それは、原始的な概念レベルの領域が利用できそうな舛添氏を使い、原始的な概念レベルへやる全てを歪めたからだ。それで個体の信用を利用して、【異世界】に都合がよい全て、例えば「公私混同」を合法正当化させて納得させられると判断を誤ったエゴの失策。この領域の概念では絶対に許されないことばかりを正当化しようとしてしまったので、全否定にあい、辞任に追い込まれた。
この領域では有能な人物を原始的な概念レベルの領域が利用して歪めると、概念レベルが致命的に引き下げれ、別人となる。舛添氏は単に最低な別人と化した。
【異世界】の概念レベルが、個体や本や物体その他全てに表現されるというわけだ。
だから、カントだとて、【A・Course・in・Miracles】だとて、【異世界】の原始的な概念レベルが表現された時、中身が空っぽなハリボテと化す。外観なんか全く意味ないということ。カントの【人間レベル】概念で平和論がかなり使えたのは、この領域の概念レベルが表れていたから。『道徳形而上学原論』はまだ使えそうな箇所はあった。だが、読み進めるごとに【異世界】の原始的な概念レベルの表れと化していくのが判る位に、『純粋理性批判』では中身が空っぽなハリボテで【異世界】の言い訳がつらつら無意味に連ねられたかの如く、中身がなくなった。とても同じ人間が書いたとは思えない位に中身がない。これまでブログに書いてきたことの取り繕いと言い訳と否定にしか見えない腐った中身。平和論で視えた概念的基盤はある筈と期待していたが基盤は取り去られ、空っぽハリボテ状態に。『永遠平和のために』はカントの晩年作だとしても、基盤が別人だ。
まさに舛添状態が引き起こされてしまったわけだ。本当に残念だ。これでは否定的にしか使えない。【異世界】の原始的な方向性が激しく表されているなか貴重なのに。
一応買いだめした本は全部読むが、速読ざら読みが続くのみ。喧嘩売りの否定箇所とかで時々立ち止まるのみ。やっぱ、エゴが信用を利用しやすい学者系、哲学者とかの本は駄目だな。その危惧はしていたから、真面目な本はやらないようにしていたんだが。予測通り、どんどん歪みが致命的になってく。水面下を変えるためにエゴが躍起になる。
【A・Course・in・Miracles】ではっきり判ったからな。はっきりとして隠せない部分以外はエゴが都合がよいように歪めていく、と。エゴは用語や言葉だけ使い、中身が致命的に空っぽ状態で、無意味な言葉の羅列を作り出して、見せ掛けのそれっぽいハリボテを作り出す。漏れて隠せない部分だけは内容を使う。『純粋理性批判』がまさにその代表例。

要するに、個体、本、何か読み物、物体その他全て、外側は同じように見えても、中身を全く違うように作られてしまうということだ。世界を作ったエゴは、いくらでも水面下を変えられる。水面下を変えることで、可能な限り中身を歪める。エゴの常套手段。
世界がインチキだからだ。
故に、個体も本もその他全て、世界の全ては信用に値しない。中身がいかようにも変えられてしまうものは信用に値しない。

だからこそ、知る手段は偏ってはならない。簡単に欺かれるからだ。

世界の全ては表現であり、例え同じに見える対象でも、エゴが作った各世界毎に概念レベルがあり、その概念レベルが表現されると判れば、その外観に『何が表現されているのか』をよく観察して見極めればいいだけとなる。外観は単なるエゴが作った器に過ぎない、と外観に惑わされなくなるわけだ。個体や本等の外観手段と中身の概念レベルを固定させて結びつけなくなる。【異世界】の表現によりいくらでもその外観の中身の概念レベルは変化する、と考えると外観が無意味となる。

更に、エゴとは正反対の作用【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】が、エゴが作った全て、欺きの全てを終わらせる為に、世界に投入した(エゴに作らせるように作用して)終わらせる為の概念がある。その概念も表現される。
もはや、新しいとしたら、【終わらせる為に作用する何か】による概念しかない。それを知るにはもはや手段の偏りはあり得ない。知るには、手段の偏りが一切なされないパズル的知り方しかあり得ない。
故に、これまでに世界に表現されてきた概念は全て当たり前に古い既存概念。

直感、インスピレーション、啓示は手段の偏りでしかないのだ。エゴが如何様にも中身を変えられる1手段に過ぎない。偏ればどんどん歪みに落ちていくのみ。

世界にある全てを作ったのはエゴだけなのだから、例外なく何も信用できない。世界に表れる全てには2つの目的だけがあり、エゴか【終わらせる為に作用する何か】のどちらかの目的のどちらかだ。
表れている中にはどちらもの目的が必ずは含まれるから、それを見出そうとする。しかも、単体的な表れたものだけではわからない場合が多い。大概別の表れと関連されているので、複数繋げて視ると判る場合が多い。
すると、必然的にパズル的知り方となる他はない。

とにかく、世界の全ては表現だと判れば、この領域には、エゴが前々に作った各世界の影響として多々表されているのが判るわけだ。

安倍首相の異常に長すぎる夏休みもそう。北隣【近藤】(仮)の狂乱ストーカー状態もそう。完全に【異世界】の表れ。
その表れを見ることで、エゴが作った世界の全ては初期であればあるほど、概念も世界構造もかけ離れすぎているとはっきり判る。
だから、その違いをツッコミする。世界の違いのはっきりとた説明だな。
それを手段として、【終わらせる為に作用する何か】が作用し、世界の違いと矛盾とインチキさをはっきり判らせるように前々の領域に漏らすわけだ。それにより、エゴは世界を作り直さなくてはならなくなる。

北隣【近藤】(仮)の猿真似状態もそのやり直しの取り繕いと言い訳と誤魔化しと歪める目的でなされるわけだ。【異世界】では漏れた要素を採り入れながら後は歪める。その表れが北隣【近藤】(仮)の猿真似。全ては表現なのだ。

ブラジルは地球上で日本の裏側となる。現在西暦2016年8月(5~22日まで)、世界の裏側ブラジル、リオデジャネイロでオリンピックが開かれているが、現在ブラジルは無法地帯だ。その位に世界構造がかけ離れすぎた世界の影響が来ているのだという実感がある。【異世界】のゲームとしか言いようがない無法地帯を引き起こす『ポケモンGO』もその影響である気がしてならない。

更に、西暦2016年8月11日:木曜日から新しく国民の休日になった、休みを増やしたいだけのゴリ押しにしか見えない狂乱の「山の日」。まさに、山の頂点のように高い位置を死守する特別性の領域の影響だと思える。アカデミア(学術)系なような気がするが。要するに、壮絶に世界構造も概念もかけ離れすぎた世界の影響の最大級がこの時点なのだと察する。

だからこそ、ここ最近、あからさまなストーカー状態多発や、無法地帯レベル、倫理や規範意識やマナーやモラルや常識や普通や人間性が欠落しすぎた【異世界】の影響が来すぎているのだな、と本当にうんざりする。

しかし、この時点が「山の頂点」ならば、後は下るしかない。頂点に達したら後は下るしか道はないのだからな。
ここからトップが落ちて崩れていくと考えれば、北隣【近藤】(化)ストーカー化激化で人間とは言えない位に風呂をあからさまに狙われたり、トイレ狙っていきなり玄関開ける無法者ゴリ押し狂乱異常茶番(あまりにタイミング狙いすぎて数秒思考停止に陥って固まった位に酷い)、西向いの日神工業が狂乱状態にあるこの嵐のような異常状態の最中でも救われるわな。
あーめんどくさい。


『アントーニオー:(バサーニオーだけに)聞いたか、バサーニオー、悪魔も聖書を引きあいにだす、手前勝手にな。ねじけた心が、聖句を楯に使うとは、それ、悪党の造り笑いと同じこと、見かけだけで、しんは腐っている林檎みたいなものさ…なるほど、贋物たるもの、結構立派な外見をそなえているものだな!』
(『ヴェニスの商人/シェイクスピア』から引用)

『アラゴン王:…さあ―「我を選ぶ者は、衆人の欲し求むるものを得べし」と。衆人の欲し求めるもの!が、その「衆」は愚衆の意味かもしれぬ。かれらは見せかけだけで物を選ぶ。愚かな眼の教えるまま、それ以上、深く極めようとはしない。内側が見えないのだ。いわば、あの燕も同じこと、嵐の日に壁の外側に巣をつくる、禍もなにもあなたまかせだ。おれは衆人の欲し求めるものなど選びはしないぞ。凡人どもとつきあえる男ではない。無知蒙昧な大衆の仲間入りはまっぴらだ…』
(『ヴェニスの商人/シェイクスピア』から引用)

―と、ポーシャの結婚相手になる条件として金、銀、鉛の箱いずれかを選び、正しい箱を選ばなければならないシーンで、金の箱を警戒し、銀の箱を選んだアラゴン王は、『目をしょぼつかせている阿呆の絵』を見出した。所詮、能書きだけの人間は見せかけだけで物を選ぶ。
因みに金の箱の中身は『朽ちはてた髑髏』でハズレ。正解は『汝、うわべにて選ばざるもの』として鉛の箱。
銀の箱の中には、
『火はこの箱を七度きたえたり―
思慮もまた七度きたえられてこそ、
はじめて正しく選びえめ。
世には影を求めて口づけするものあり、
はたまた影の祝福に酔うものあり。
まこと、いずれを見るも阿呆のみ、
面を白銀に塗りかたむ―かくのごとくに…』とかと書いてある。
外観では決して中身は決定しないという【人間レベル】ですら欠かせない教訓だ。

『バサーニオー:なるほど、そうかもしれぬ、外観は中味を裏切るものだ―いつの世にも人は虚飾に欺かれる。裁判でもそうだ、どんないかがわしい曲った訴訟でも、巧みな弁舌で味つけすれば、邪な心のひだを消しされるではないか?宗教にしても同じこと、どんな異端邪説でも、殊勝げな坊主がそれを祝福し、聖書の言葉に照して、もっともらしく解説しさえすれば、その忌まわしさも虚飾のかげに隠しおおせるではないか?世にむきだしの悪というものはない。かならず大義名分を表に立てているものだ。どこにも多い臆病者、心臓は砂で作ったきざはし同様たわいない。そのくせ顎には勇士ハーキュリーズや軍神マルスのひげをつけ、厳しげに構えている。言うまでもない、その腹をのぞいてみれば、肝玉は乳のように白ちゃけているのだ。ただ、やつらは勇者の飾りを見せかけに、世間をおどしているにすぎない…美人を見るがいい、知れたこと、美しさもまた脂粉の目方で売り買いでき、その目方ひとつで世にも不思議な奇蹟が起る。つまり、顔に塗るものに目方をかければかけるほど、尻はますます軽くなるというわけだ。そうなれば、蛇のようにうねった金髪の捲毛にしても、あのうわべだけのお化粧美人の頭の上で、みだりがましく風とたわむれてはいるもの、もとを洗えば、わがものならぬ貰いもの、その金髪を養い遺してくれた人の頭は、今は髑髏となって墓の下に…こうして虚飾こそは、魔の海に人を誘い裏切る岸辺、色黒インド美人の面を隠すきれいなかつぎ、一口にいえば、見てくれのまことらしさというやつ、ずるがしこい世間はそれを罠にしかけて、どんな賢者も陥れるのだ…』
(『ヴェニスの商人/シェイクスピア』から引用)


『さて、地球上の諸民族の間にいったんあまねく行きわたった(広狭さまざまな)共同体は、地上の"一つ"の場所で生じた法の侵害が"すべての"場所で感じとられるまで発展を遂げたのであるから、世界市民法の理念は、もはや空想的で誇張された法の考え方ではなく、公的な人類法一般のために、したがってまた永遠平和のために、国法や国際法に書かれていない法典を補足するものとして必要なのであって、ひとびとはこうした条件下においてのみ、永遠平和にむけてたえず前進しつつあると誇ることができるのである』
(『永遠平和のために/カント』から引用)

『実践哲学を整合的なものにするには、まず最初に次の問題を解決する必要がある。すなわちそれは、実践理性の課題にかんして、実践理性の"実質的原理"、つまり(選択意志の対象である)"目的"から出発すべきなのか、それとも"形式的原理"、つまり(目的がなんであれ)汝の格率が普遍的法則となることを、汝が意志することができるように行為せよ、という(外的関係における自由を基盤とするだけの)原理から出発すべきなのか、という問題である。
疑う余地もなく、後者の原理が先行しなければならない。なぜなら、この原理は法の原理として無条件的な必然性をもつが、これに反して前者の原理は、立てられた目的の経験的条件を、つまりその目的が実現されることを前提としてのみ、強制力をもつからである。また、この目的が(たとえば永遠平和のように)たとえ義務であっても、この義務そのものは、外的行為にかかわる格率の形式的原理から導き出されていなければならないからである。―ところで、前者の原理、つまり"政治的道徳家"の原理(国法、国際法、世界市民法の問題)は、たんなる"技術的課題"であるが、これに反して後者の原理は"道徳的政治家"の原理であり、道徳的政治家にとってこの原理は"道徳的課題"である。この原理は、永遠平和を実現する方途にかんして、前者の原理とは天地ほど隔たっているが、それはこの場合には永遠平和はたんに自然的な善としてではなく、義務の承認から発現する状態としても希求されているからである。』
(『永遠平和のために/カント』から引用)

『それゆえ、"客観的には"(理論においては)、道徳と政治の間にはいかなる争いもない。これに反して、"主観的には"(人間の自利を求める性向において、ということであるが、しかしこの性向は、理性の格率に根ざしたものではないから、また実践と呼んではならない)、この争いは依然として残るであろうし、また残ってもかまわない。というのも、この争いは徳を磨く砥石に役立つからで、徳の真の勇気は(不幸に屈するな、いっそうの勇気をもって不幸に立ちむかえという原則にしたがって)、目下の場合、引き受けなければならない災厄や犠牲に対して、確固たる決意をもって対抗することにあるのではなく、むしろわれわれ自身のなかにあるいっそう危険な悪の原理を、つまり偽ったり裏切ったりしながら、しかも理屈をこね、あらゆる違反を正当化するために、人間の本性は弱いものだと思わせる悪の原理を直視し、その悪だくみに打ち克つことにあるのである。
実際、政治的道徳家は、次のように語ることもできるであろう。すなわち、統治者と国民、民族と民族とが、たがいに暴力や策略を用いて争う場合、なるほどかれらは、平和を永遠に基礎づけることができる唯一のものとしての法概念に、まったく尊敬を払わないという点で、そうじて不正を働いているとしても、しかしかれら"相互の"間では、別に不正を行なっているわけではない、と。これも一理あるが、というのも、かれらの一方が他方に対する自分の義務にそむき、他方もちょうど同じように相手に対して不法な心をもっているのであるから、かれらがたがいに滅しあうときには、双方の側にまったく正義が"行なわれている"のである。それにしても、この種族のうちで、こうした遊びをはるか先の時代まで続けさせるのに十分な数の人間がいつも生き残るが、それは後世のひとが、いつかかれらを警告事例とするためになのである。こうして世界の過程における摂理は、正当なものとされる。なぜなら、人間のなかにある道徳的原理は決して消えることはないし、この原理にしたがって法の理念を実現するのに実用的で有能な理性は、たとえ文化とともにかの違反の罪が増大するにしても、たえず進歩する文化の過程を通じて、法の理念へとむかってたゆまず成長するからである。』
(『永遠平和のために/カント』から引用)

カントの平和論はこんなにまで【人間レベル】の概念として倫理が欠落した無法な【異世界】を崩すために良い意味で使えるのに、本当に「純粋理性批判」は残念すぎる中身へと原始的な概念レベルの領域に歪められたのだ。残念すぎる。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(16)
【A Course in Miracles】
外観で欺き歪める特別性
西暦2016年8月15日:月曜日




西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
西暦2016年前半
(25)【A Course in Miracles】特権で不都合を排する特別性
(26)【A Course in Miracles】不条理は楽園の特別性が作る
(27)【A Course in Miracles】不公平な楽園の特別性の歪み
(28)【A Course in Miracles】不当な発言力と特権の特別性
(29)【A Course in Miracles】矛盾を正当化させる特別性
(30)【A Course in Miracles】特別性で矛盾を覆い隠す結果
(31)【A Course in Miracles】因果の結果を受け取る特別性
(32)【A Course in Miracles】肯定法の巧妙な悪用の特別性
(33)【A Course in Miracles】信用破綻へと自滅する特別性
(34)【A Course in Miracles】低レベルへ堕とされた特別性
(35)【A Course in Miracles】特別性で操った結果の末路
(36)【A Course in Miracles】ハリボテの特別性の限界
(37)【A Course in Miracles】自分ルールの正当化の特別性
(38)【A Course in Miracles】自己中心的特別性の崩壊
(39)【A Course in Miracles】天使の姿で欺く特別性の正体
(40)【A Course in Miracles】不正の合法の正当化の特別性
(41)【A Course in Miracles】陥れれば自ら堕ちる特別性
(42)【A Course in Miracles】堕ちた偶像を死守する特別性
(43)【A Course in Miracles】空中楼閣の特別性の末路
(44)【A Course in Miracles】倫理が欠如した特別性の世界
(45)【A Course in Miracles】世界構造が違う特別性の結末

西暦2016年後半
(1)【A Course in Miracles】特別性の無法領域と外的法則
(2)【A Course in Miracles】排他的思考の特別性の大誤算
(3)【A Course in Miracles】蒔いた種を刈り取る特別性
(4)【A Course in Miracles】黒を白と言わせる特別性
(5)【A Course in Miracles】獣レベルの領域の特別性
(6)【A Course in Miracles】他を犠牲にして利する特別性
(7)【A Course in Miracles】無法地帯の特別性の異常影響
(8)【A Course in Miracles】原始的概念の領域の特別性
(9)【A Course in Miracles】無秩序・無法地帯の特別性
(10)【A Course in Miracles】他者否定・自己肯定の特別性
(11)【A Course in Miracles】倫理欠如の特別性の異常影響
(12)【A Course in Miracles】冠に縛られる特別性のヒズミ
(13)【A Course in Miracles】詭弁的悪政の特別性
(14)【A Course in Miracles】人間性欠落の特別性の領域
(15)【A Course in Miracles】仕掛けの報いを受取る特別性

西暦2015年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html


西暦2016年(年号:平成28年)
申(さる)年現在

【佐藤篤代について】

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。


[佐藤篤代]

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2016年)
佐藤篤代は西暦2016年1月17日(日曜日)で40才
栃木県宇都宮市のド田舎生れずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

西暦2016年版プロフィール
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111502426.html

43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html













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佐藤篤代

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