向井文馨 プロフィール
沢山の起業家さんがいる中、私のプロフィールをご覧いただきありがとうございます。赤裸々に私のプロフィールを書かせていただきます。ぜひお付き合いください。私が5歳の時に父は、突然亡くなりました。(脳梗塞、父は38歳。私は5歳でした)「あの時、声かけてたら」大きなイビキが怖くて、起こせなかったんです。お母さんが、ベットで寝ている父を起こしてきてーと言った時には冷たかったんですあのイビキの時に私が起こしておけば…と今でも悔やまれます。だから、思った事を声に出す!あの時のような後悔は2度としたくないから。事に私はしているのです。父が死んだこと以上に苦労を見たことそれは、幼い私たち兄妹には(私は、3人兄妹の末っ子)大きなインパクトになっています。父が亡くなった翌日から、母は否応なく、自営だったため社長になりした。父の会社を引き継ぎ、残された従業員と家族のために身を粉にして生きるために稼ぐ。文句ひとつ言わず。残されたものの重みと重圧に押し潰されそうになりながら働いてくれていた母。今なら母のことをもう少しは理解できたかもしれないけれど・・・と思いますが幼すぎました。当時まだ私は5歳だったから。大きくなるにつれ母への経済的負担は大きくなり我武者羅に働く母の背中をみて育ってきました。親戚や近所の人を含め、一度も泣き言を言わず、我慢もしながらも「自分を生きる」姿を見せてくれました。母は辛いとは一度も行ったことはない「あんたらおるから頑張れるんや!」って。ただそれだけ笑顔で言ってくれてた。肩肘はっていましたが、「かわいそうな目に遭わしたくない。 お父さんおらんから・・・って我慢させたくない。」言葉にしないけれどそう感じていましたし実際、好きなこと全てさせてくれました。そんな母を見ていたので迷惑かけまいと、兄は、母を手伝いながら専門学校へ姉は、バイトで稼いで高校へ行き留学もしました私は、先生を目指し大学へ大学へは、もちろん奨学金制度をフル活用し、バイトを3個掛け持ちしながら、月13万円ほどを稼ぎながら家賃と生活費はもちろん、遠征代や学費も・・・親が全てを出してくれている友達を羨ましいと何度思ったことか。その反面、その頃から沸々と「早くお母さんを楽にしてあげたい!」と思うようになっていました。この写真は、起業を決意した晩、「お母さんどこか行きたいところある?」と聞いたら私の想像では 国内を予想。北海道とか九州とか・・・母は、超えてきました。笑「死ぬまでに1回、マチュピチュ行きたいわ。」そのオーダーを叶えたい。そのために私はただただ、純粋にそう思って原動力にしてきました。私の原動力・源が母への想いでした。結果、安定収入のある会社員を卒業し全てがゼロの自営で、3年かかりましたが母をマチュピチュまで連れて行くことができた。10日旅行現地のペルーの友達がずっと同伴で行ってくれたので、その費用も含めて全部で250万円ほどっだったかな。でもこの母との思い出は今でも、私の宝物です。今も母は健在74歳で元気です。(母は当時68歳。私は38歳。)記念すべき、マチュピチュの山頂での写真です。次は、来年くらいにはヨーロッパ一周(父との新婚旅行)で行った思い出の地につれてあげたい。父を感じながら母と旅したいな。起業3年目で、母が一度は行ってみたい!とつぶやいていた、マチュピチュへ連れて行くその夢を叶えることができました。大切な人の夢を叶えること。こんな感動は今までで、初めて。母の笑顔が忘れられません!!!目に焼き付いています。私の夢は、聴いたその人の夢を叶えることなのかもしれないそう思えた瞬間でもありました。夢を聞かせてくれた人の願望を叶えることこそ最幸(サイコー)だ!と思えたんです。母は、なかなか面白くて・・・朝から晩まで3つ掛け持ちで働きながら、50歳の頃に猛勉強をし調理師免許を取得。新たな事に挑戦し続け、働くと楽しいよ!と、笑いながら過ごす母。3つ掛け持ちしていても友達を作り、いろんなものを貰ったりあげたり・・・どこの職場でも仲良くなれる優れもの。何に対しても弱音を吐かずに、どんな時も楽観的。とても尊敬しています。そんな環境で育った私たちは兄弟全員が働く事が好きになったのだと思うんです。母の影響力は、本当にすごい。忙しくっても仲間や家族の事が好き!夜ご飯が22時を超えるなんて当たり前。そのおかげで、小学校の頃から買い物も行って、家族のみんなのご飯が作れるようになったし洗濯物やお掃除も自分でできるようになった。お父さんが居なくても家族3人で、大笑いしていたな。もちろん、数えきれないほど周りの方々に協力を得ながら生きてきた。おかげで、頼み事、甘えることなどコミュニケーション能力やちょっと図々しいところもありながら、人とのご縁を大事に、愛を持って育むことを多くの多くの大人から教わりました。近所の人に叱られたり、私には、お父さんがいっぱいできました!友達のお父さんや、高校の恩師なんかも娘のように叱ったり育ててくれましました。そして、私の人生の中で衝撃的な運命の出会いがあったんです。きっと神様があっといたら〜とご褒美にくれたのかもしれません。私も我武者羅に朝から晩まで働くようになってから、父の友達と3人と出逢わせてもらったのです。営業マン時代、地域のお店や企業に飛び込みをしてまわっていたのですが名刺を渡すと・・・「向井 文雄(ふみお) の娘か?」と聞かれたんです。そりゃ、何年も回っていてそんなことなかったので驚きました。父のこと知ってくれてるんですか?そう思うだけで、涙が溢れ出しました。3人とも、母も聞いたことのない、初めて聞く父の顔。特別な父の昔の話や父との思い出を聞かせてくれたのです。とても嬉しく今でも忘れられません。そして、3人が共通していたのが、「お前の、お父さんには ものすごい世話になったんや! なんかさせてくれへんか。」とたくさんの紹介をくれたのです。なんと、何十年も経っても父のことを覚えてくれてそれだけではなく父へのお礼を娘の私にしてくれたこと初めての経験でした。自分や生きてる家族にお礼など言われたことがあっても死んでしまったしかも、はるか昔の恩を娘の私に返したい・・・と。神様の力かな?父や先祖の存在は深く信じていて何かあれば、仏壇に手を合わせお願いしていたから一番欲しい、父からの愛を人を通じていただけた気がしたんです。嬉しさと共に改めて父の偉大さを実感し感動はいつまでも心に残る。そして、感動は人を動かす。父の友達や知人がしてくださったこと当たり前ではない恩義やあり方に触れさせてもらえた。私は、こんな風な大人になりたい。こんなあったかい社会にしたい。組織や、家族、がこんな社長たちみたいだったら争いも蹴落としもなく純粋に平和だし幸せだなって。愛と感謝を忘れずに生きていこうとその時に決めた気がします。父がどれほど素敵だったか。父が人に対する振る舞いどれだけ勇気とチャンスを与えてきたのか恩義を受けたことでその事柄の大きさを知りましたしお金では決して味わえない繋がりを味わえました。だからこそ、父と母からもらった愛と感謝、考え方、あり方を「ご縁を愛を持って育み、 感動を次の世代に届け恩贈りをする」と心に決め今のシゴトを通じみんなにその想いで関わっています。父が残してくれたDNA にインプットされ生まれつきその想いを持って生まれて来させてもらったのだから。この、メッセージを届けていきたいと思う。何年経っても、いなくなっても、誰かの心に一生に宿るあったかさや、感情は「感動」から生み出されるんじゃないかな私は心で体感させてもらえた特別な人なんだから。そう思って、出会う人たちの夢を聞きその夢を実現するために「応援」をしてきました「応援」と言っても私にできることでね。私が応援できること夢を共有してもらったら、共感してその夢を掴むチャンスを広げ近づくために共鳴していくことこの10年で2000名近くの夢を叶えるための6つのチカラ(要素)で応援してきました。・応援力 人とのご縁を繋ぎチャンスを広げる 応援すること・販売力 売ることが苦手な人に商品の良さと必要性を磨くトレーニング・実践力 ロールプレイングやマーケティングに必要なことを実践しながらスキルを磨く・聴く力 コーチングスキルをUPする (ニーズを徹底的に知る)・企画力 ストーリーや商品設計 ・巻き込み力 共感者と共鳴者を作り出すこの6つの力を実践してくれた仲間はどんどん夢を実現し、世の中に影響を与えて仕事って楽しい!働くの語源、傍(周囲の人を)を楽にする。つまり、自分の仕事や役割で周りの人を楽しませ、ラクにしてあげることそう願って今私も仕事をさせてもらっています。独自のメソットはどんどん進化していて恩贈り考動学・応援学をベースに本来持っている可能性を最大限にいかす働き方をして世に役立つ人になることを目指してみんなで楽しんでいます。●現在の活動「シゴトと遊ぶ」をモットーに、一生語り続けられる「感動」を恩贈りするを理念に掲げ、一人ひとりが「らしく」を活かし、貰った恩を次の世代へと繋いでいく感動が溢れる社会にすること。----------------応援大学応援セールス企業研修コンサルティング講演活動応援ノートの使い方応援ノート講師育成---------------地域と人、モノとコトを繋ぐ企画運営から、面白い発想で周囲を巻き込み、共に生み出し創り出す、人財共育・プロデュース・研修を行っています。会社員時代からのコンサルティングを含め述べ2200名以上の目標達成の支援を経験。1店舗から6店舗に事業拡大したお店売り上げが10倍以上になったり自身も1億円プレイヤーと言われるほど人気営業マンとして活躍。前職の時に1000人来場イベントの企画運営も経験し現在では30〜100名規模のイベントを毎年2−3回は開催。2018年西日本大豪雨災害時、即イベントをしたく何か力になりたい!と仲間に声をかけ3日で、チャリティーを企画し開催。述べ300名以上(支援金75万円)を集めた。●仕事の経歴泉州広告株式会社 マーケティング営業13年間従事。年間9600万円を販売するトップ営業マンとなる。全国1位の四冠を達成し、商売名人賞は26回受賞。女性最年少 課長に就任1,000件以上のクライアントさんの商売繁盛に携わる2014年退職後、サイトにてshopをオープンし1年で1年待ち状態となった、「デニムリメイク専門店 dozika」を運営。2016年 人脈道 主宰2018年1月応援される起業家育成大学 4月法人化・株式会社設立・和歌山開講 8月に上場会社の企業研修などイベントプロデュース開始 2019年 1月企業顧問コンサル 3月法人プロデュース企画運営2020年 42歳第一子出産2023年 4月法人5周年 7月応援大学7周年●ライフスタイル大阪から愛媛まで約297kmを完走ホノルルマラソン2回完走・万里の長城マラソングランドホッケーにて国体準優勝・インターハイ出場経験あり教員免許習得NSC40期卒業●MY USP一生のうち約9万時間を仕事に費やすといわれている。そんな貴重な時間をもっと自分らしく、楽しく!おもしろく!傍を楽にしながら、シゴトと遊ぶ大人を増やす。●プライベート30歳で離婚(バツイチ)となり、39歳で再婚!料理ずき、食べ歩き好き。なるほどザ・ワールドのレポーターになりたいと夢をみてきていました。最後まで、自己紹介を読んでくださりありがとうございました。ぜひ、お会い出来る事たのしみにしています♫セミナーやプレゼント動画など先行案内はこちらからご案内のみとなります。▼▼▼ 無料メールレター(メルマガ)登録はこちら人気おすすめ記事人気記事1 ずっと黙っていたこと人気記事2 仕事を辞めずに起業する方法人気記事3 普段をプレミアムに・・・人気記事4 何を捨て、何を守るか?人気記事5「応援セールス」でこんな結果が出たプロフィール問い合わせお客様の声YouTubeチャンネル動画