概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(20)
西暦2016年9月3日:土曜日

後半(20)
【『A・Course・in・Miracles』
不正横行の倫理欠落の特別性】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『不正横行の倫理欠落の特別性―
倫理が欠落した医者ばかりでは不正が横行するのは当たり前。精神指定医の不正100人ニュースで、医者が自分の利己的な目的と都合で病気ではない人間を病気に仕立てあげるという事実が判明するだろう。制度自体が不正まみれということで、正常に機能しているはずがない。医者の組織、精神科医の組織全体で不正が基盤なのだということは簡単に窺える酷さだ。この領域の心理学もユングの内容も知らない精神科医の実態だ。道徳と倫理がきちんと機能している世界では、中世ヨーロッパのような閉じ込める強硬的な精神科医が全く成立できないと解るとよいのだが。精神主義者レベルというものが何なのか少しはこの原始的領域に浸透すればだいぶこちらは楽なのだがな』
②北隣【近藤】(仮)の世界構造のかけ離れすぎ状態顕著例+医者の傲慢が顕著に表れたニュースと精神指定医100人不正ニュース。確実に人間的な感情と感覚が欠落している。医者が自分の身だけが大事な証拠。患者の命と心を蔑ろにしすぎている証拠。医療全体が倫理、道徳、規範意識、モラルが著しく欠落しているから、医療ミスや犯罪ニュースばかり出てくる。道徳と倫理がきちんと機能している世界にこんな医者と医療は存続できない

【①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『不正横行の倫理欠落の特別性―
倫理が欠落した医者ばかりでは不正が横行するのは当たり前。精神指定医の不正100人ニュースで、医者が自分の利己的な目的と都合で病気ではない人間を病気に仕立てあげるという事実が判明するだろう。制度自体が不正まみれということで、正常に機能しているはずがない。医者の組織、精神科医の組織全体で不正が基盤なのだということは簡単に窺える酷さだ。この領域の心理学もユングの内容も知らない精神科医の実態だ。道徳と倫理がきちんと機能している世界では、中世ヨーロッパのような閉じ込める強硬的な精神科医が全く成立できないと解るとよいのだが。精神主義者レベルというものが何なのか少しはこの原始的領域に浸透すればだいぶこちらは楽なのだがな』】

しばらくは去年西暦2015年の続きで「特別性」に関する概念記事を書いていく。この概念は徹底的に書き尽くし、どれほどエゴが「特別性」を死守し欺きの手段としているかをはっきりさせる。
今回西暦2016年後半概念(20)では、
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON167
10
ワークブックLESSON132
6-(2~5)
を提示していく。
LESSON132の6は入れていた方がいいという判断から添え付けで入れている。
LESSON167は西暦2016年後半(11)から小分けに全提示する。

今回西暦2016年後半概念(20)では
『不正横行の倫理欠落の特別性―
倫理が欠落した医者ばかりでは不正が横行するのは当たり前。精神指定医の不正100人ニュースで、医者が自分の利己的な目的と都合で病気ではない人間を病気に仕立てあげるという事実が判明するだろう。制度自体が不正まみれということで、正常に機能しているはずがない。医者の組織、精神科医の組織全体で不正が基盤なのだということは簡単に窺える酷さだ。この領域の心理学もユングの内容も知らない精神科医の実態だ。道徳と倫理がきちんと機能している世界では、中世ヨーロッパのような閉じ込める強硬的な精神科医が全く成立できないと解るとよいのだが。精神主義者レベルというものが何なのか少しはこの原始的領域に浸透すればだいぶこちらは楽なのだがな』
という方向性の内容だ。
【A・Course・in・Miracles】原書引用箇所は直に特別性とは結び付いてはないが、②を説明するのに解りやすいと思ったので引用した。
この辺りでは原文引用よりも、②からの内容を書き尽くすことに重点を置いている。


「brother」、「the holy relationship」等の概念は特別性を死守するエゴの目的ゆえ、例外を作り出す為の算段でしかない。

故に、すべき全ては、徹底的に【例外なく】「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究することだ。何も鵜呑みにしない。断定しない。常に歪みを受け入れさせられている可能性を考慮に入れ、とことん「特別性を否定し、棄てる」方向性を追究する。そうしなければ、必ず歪みを受け入れさせられている。

エゴがどれだけ徹底的に特別性を死守するのかを目の当たりにすれば、その必要性が理解できる。

実際は一切、徹底的に、例外はない。
エゴの魅力の魔法から完全に醒めれば理解できる。

実際は、「聖霊」として歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用により、エゴが作った全て、特別な関係をはじめ、知覚ある世界の全てが再利用されて、全て幻滅へと持っていかれる。
幻滅しなければ、棄てられないのだ。

特別な関係は幻滅の為に再利用されるということだ。

特に特別性は、幻滅がなければ絶対に棄てられない。

西暦2016年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。

「heal」とは「癒し」ではなく「エゴの思考システムに囚われた状態から正常な(『聖霊』要するに【終わらせる為に作用する何か】の)思考システムへの移行」というようような意味で捉えるべきだ。

【A・Course・in・Miracles】の『illusion』と『dream』は仏教で言う意味に近い意味。『世界は幻想』という意味。
『knowledge』は『知っている状態』位にとるべき。「知識」だと全体の意味がとれなくなる。

▽以下引用

LESSON167

10. Let us today be children of the truth, and not deny our holy heritage.
Our life is not as we imagine it.
Who changes life because he shuts his eyes, or makes himself what he is not because he sleeps, and sees in dreams an opposite to what he is?
We will not ask for death in any form today.
Nor will we let imagined opposites to life abide even an instant where the Thought of life eternal has been set by God Himself.

※生命と信じられている全ても死もエゴが作ったインチキだということ。知覚ある世界に存在するように見える全てが、エゴが作ったインチキだということ。

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON167
10
(P319)

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)





【②北隣【近藤】(仮)の世界構造のかけ離れすぎ状態顕著例+医者の傲慢が顕著に表れたニュースと精神指定医100人不正ニュース。確実に人間的な感情と感覚が欠落している。医者が自分の身だけが大事な証拠。患者の命と心を蔑ろにしすぎている証拠。医療全体が倫理、道徳、規範意識、モラルが著しく欠落しているから、医療ミスや犯罪ニュースばかり出てくる。道徳と倫理がきちんと機能している世界にこんな医者と医療は存続できない】

8/20日
北隣【近藤】(仮:50才前後女教師:西暦2016年)が4週間は殆どまともに出勤してない、もはや不正レベルのサボり異常さの中、昼間日が当たる玄関先、ほぼ駐車場にまた剣道用具を干しているのを見て、最近あまりにも異常過多なので、やり直しのインチキがなされてるなと思いながら、ふとある記憶が甦った。
「あれ…剣道用具って、日陰干しだったよね……」
過去の記憶をいきなり思い出した。
【実母】に言うと、笑いながら頷いた。

ずっと忘れていた過去の知識がふとした瞬間に浮き上がって来ることは多々ある。

しかし、例外なく人間の記憶は不確実性の中にあり、確実な証拠とはできない。
更に、情報というものに常に確実性はない。
エゴが作ったからだ。
だから如何様にも歪められてしまう。
故に、エゴが作ったそのもの自体では確実な証拠材料とはできないのだ。

だが、この前提による論拠で、確実な証拠となり得る。

もしエゴが世界の全てを欺きの目的で作り、特別性の誘引でこの世界に惹き付け呪縛しているならば、エゴは「この領域と違う世界」という事実、世界構造のかけ離れ状態を何とかして誤魔化さなくてはならない。
エゴにとって、エゴが前々に作った各世界とこの領域に食い違いがあるとなるわけにはいかない。
この領域の要素が前々に作った各世界に漏れるので、その食い違いを取り繕うため、かけ離れすぎた未知の世界があるという事実を隠すため、同じ世界だと見せ掛けるために、漏れた要素を採り入れながらエゴは世界を作り直し続けてきた。
そうしなければ世界がインチキだとバレるからだ。既存の古い概念等を否定され新しい概念の存在を突きつけられるので、そのまま世界を存続できないということだ。未熟者、低レベルに陥る。故に魅力が著しく喪われるので、そのままではエゴの目的が遂げられなくなるわけだ。
簡単に言えば、エゴにとって、隣近所の世界構造がこの個体の世界構造と食い違うわけにはいかない。何故、同じ領域にいるように見える近所の人間の世界構造が食い違うのか。それは、全てがインチキであり、エゴが前々に作った世界の表現として表れているから。それ以外に、近所の人間の世界構造が食い違う理由は説明できない。

故に、もしエゴならば、「この領域と同じ世界」だと信じさせなくてはならない理由がありすぎて、この記憶を否定させるだろう。更に、情報という手段があるならば、その情報を否定させるだろう。

そこで常にスケープゴートが作られるわけだ。記憶や情報自体を撤回させられないならば、その主を否定する。この領域ではメジャーな情報である為に、同意するような情報が複数発信されていれば、複数の場合もある。
だから、エゴは度々病気か何かにさせようとするために周囲を固めるわけだ。世界構造を病気を正当化させる方向性にさせる。情報の信憑性をなくし否定するためにあらゆる専門家を使う。それで、その為に世界構造は更にこの領域とはかけ離れた、不当な行いの正当化としかならず、墓穴を掘るわけだ。
とにかくあらゆる手を尽くして、エゴは情報の主を否定させる世界を作る。それにより、世界がインチキだとバレる情報をひた隠しにする。

しかし、もし、エゴとは正反対の、エゴの欺きの目的全てを終わらせる為に作用する、【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用ならば、崩すべき各世界の主人公の領域の概念とは異なる概念を後からエゴに作らざるを得ないように作用するだろう。全てがインチキだと証明するために。

エゴの要石は各世界の主人公による特別性の誘引手段だ。だから、その要石の特別性の誘引手段を無効にさせるように作用するのが【終わらせる為に作用する何か】だ。
故に、各主人公の領域の"事実"とは異なる情報が「事実」だ、と食い違いを生じさせ、その領域の主人公やその他特別性の誘引手段への信頼を崩すように作用する。

世界を作ったのはエゴのみだ。
所詮、『事実』も作りもの。
故に、『事実』も再利用されるのみだ。
各主人公の特別性の誘引を終わらせる為に、エゴが作った全ては再利用される。

それ故に、「剣道用具は陰干し」という記憶は、【この領域】の「事実」である可能性は高いわけだ。

その【この領域】の「事実」として可能性が高い情報からすれば、北隣【近藤】(仮)は剣道についてのこの基本情報を知らないというあり得ない状態になるわけだ。長年、干すのは滅多になくたまにだが、必ず日の当たる場所に干していた。
故に、北隣【近藤】(仮)は、
世界が現実ならば剣道をやっているフリをしていると証拠となるか、
あるいは世界構造が違う領域を表しているのであり、【この領域】とは違う【異世界】の表れである証拠となる。

知覚ある世界の全てを作ったのはエゴ。
だから、エゴによって情報は如何様にも歪められるという前提の中、誰がこの情報自体に反論しようが、情報というもの自体が不確実性の中にある。情報の確実さは誰にも証明できないのだ。

しかし、この論拠により、この領域の「事実」である可能性は否定できないどころか、「事実」である可能性の方が余程高いわけだ。

北隣【近藤】(仮)がこの領域とかけ離れた【異世界】を表しているということは否定はできないのだ。あり得ない仕事サボり過多、種蒔きが人間とは言えない方法、風呂や自転車やゴミ箱の設置が犯罪目的としか言いようがない、この領域の普通の人間なら絶対にやらない行為のあまりにも多さが、この論理を更に裏付ける。

情報―しかも常識的な情報、あるいは専門的な情報であればある程、食い違いは、特別性の誘引の手段である主人公には致命的なのだ。故に、【終わらせる為に作用する何か】は特別性の誘引手段の要石を崩すために作用する。

各世界間における世界構造の違いによる、常識、普通、概念、事実、情報その他の食い違いにおいて他方を否定する時、
「【異世界】ゆえに異なる。全てはエゴが作ったインチキだから」
という理由の方向性は、エゴの目的を崩す【終わらせる為に作用する何か】の作用によるものであるが、それ以外の否定ならば、エゴが取り繕いで不都合な他方を否定しているという結論に帰するということだ。

知覚ある世界全てがエゴの作ったインチキならば、その全てを終わらせる為には「それは世界自体が違う【異世界】だからだ」と言わせるように作用する。
「同じ領域にいる筈の人間が、世界構造自体がかけ離れすぎた概念、常識を行うのはインチキだから」だ、と。

そして、この論拠は、『知覚ある世界の全てを作ったのはエゴであり、全てインチキだ』という前提の下でのものだ。
全てが作りもののインチキ中で、その現実性と確実性は証明不可能だが、その全てがインチキだということだけは証明できる―と言ってるんだよ、エゴ。

インチキが真実だとは証明できないが、インチキがインチキだとは最終的に必ず証明できる。それが真実だからだ。

そういう証明を、エゴが作らざるを得なかったこの個体は【終わらせる為に作用する何か】の手段として、否応なく行うようにされてるんだよ。

【A・Course・in・Miracles】で言う『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』という主要概念。仏教で言う意味に近い幻想。


8/26日
北隣【近藤】(仮:50才前後短髪女公務員教師:西暦2016年)…夏期休暇明けまであと平日は1日という所まで1ヶ月以上も仕事をサボり(もはや不正の犯罪行為)ながら、朝の7時前に玄関外に水槽干し……北隣風呂西側、玄関すぐ外の自転車(チャリ)のかごに雑巾干し……北隣【近藤】(仮)で水槽持ち出したの初めて見たんだが。干されたのも初めて。
ここまで来ると、1ヶ月以上もサボりをゴリ押ししてでも玄関出入りする理由を躍起になって作りたいようにしか見えない。
また実質性が著しく欠落した人間的ではない行為を見せつけてくる。…見るだけで疲れ果てるだろうが。
まず、普通の人間は、水槽を玄関外に干さない。第一に、水道が外にあるんだから水槽は外で洗う。だが、朝の7時前にそんな音は聞こえてない。更に、水槽は洗ったら雑巾で拭いて干すならざっとベランダに干す。水槽の中に石とか入れながら干すのは、明らかに実質性が欠落しすぎてて怖いくらいだ。非効率にも程がある。乾きがどうしても遅くなるように仕向けてるようにしか見えない。石とかはベランダに新聞紙を敷いて別途干す位だろ。大体何故水槽を洗って干してるのか意味不明すぎる。普通ならしまうためなんだろうから、中に入れたまま干しのは異常者にしか見えない。すぐに使うとしたら、干す意味が一切無さすぎてもはや人間とは言えない行為だ。
どのように干そうが、玄関外に干す全てが異常行為で人間とは言えない行為だと決定づくわけだ。これでは仕事で実質性が欠落しすぎているのは当然だな。人間的ではなさ過ぎる。
雑巾は、自転車(チャリ)のかごに干した直後に自転車(チャリ)で北隣【近藤】(仮:50才前後短髪女公務員教師:西暦2016年)は外出していたが…頭おかしすぎるだろうよ、いくらなんでも。何故外出する約30分前に雑巾干した自転車(チャリ)で外出するの?異常者だろ、それ。それ以前に何故わざわざ玄関外に雑巾を干す?普通の正常な人間はベランダに干すんだよ、【異世界】。ベランダはこちらには見えないから使えなくて何にも使ってなさそうだな、これでは。普通の正常な人間がベランダに干す所、関連づけに使えないからと、ベランダに干さず異常な場所に干す。靴だってベランダに干す。
本当に、正常な普通の人間が玄関外に干すのは、傘くらい。傘以外に普通干すものないし、干してるの見たことないな。こちらのうちの玄関は南側あるから日当たりが良いがそれでも、だ。
北隣【近藤】の玄関は西側(敷地全体位置的には南西部)。
玄関に異常な『干す』という行為に執着的な何かがあるとしか言えず、玄関出入りする行為を増やすためとしか言いようがない。
そして人間ではない何かの異常行為となる。

だからといって北隣【近藤】(仮:50才前後短髪女公務員教師:西暦2016年)は、これまで見たことない位に自転車(チャリ)タイヤの空気入れなんかしたことないくせに、いきなり突然自転車(チャリ)を2台も空気入れするなよ。やったことがあるなら言及してるだろ。関連づける為の玄関外駐車場を彷徨く言い訳にしか見えないから。しかも人間ではない位に時間かけ過ぎて更に人間的ではない行為と化している。
大体、向い合せ近接風呂場外に自転車(チャリ)を置くだけで、「人間性が欠落した人間ではない何か」だと何度も言わせるな。風呂場にもまた異常に出入り過多するし。

駐車場や近接地を彷徨くだけで、北隣【近藤】(仮)はもはや人間ではない何かの異常行為にしかならないといい加減に解れ。全てが人間的ではないから、見せられて疲れる。何でこんなに非現実過ぎる人間ではない何かの異常行為しかできない世界構造のかけ離れすぎている領域がこの領域と同じだと言えるわけあるんだ。関連づけた時点で世界構造のかけ離れすぎ状態で破綻するレベルな位にかけ離れすぎている。

近接地に近づけば近づく行為ほど隣り合わせた他を圧迫する。だからトラブルになりやすい。普通の人間ならば近づく方だって圧迫を感じて気を遣うものだ。だから、正常な人間はトラブルなく平和に暮らしたいから近接地には極力近寄らないように努めるんだよ。圧迫させたくないし圧迫するのをやめて欲しいから。北隣【近藤】は確実に真逆をやっていて、それを増やそうと躍起になっているということであり、そこに異常性の甚だしさが浮上する。何か西暦2016年の中国に似てるな。日本だとすら出来ない領域ということか。桁違いの世界構造のかけ離れすぎ状態。

犯罪行為を犯罪行為と認識できない倫理と規範意識の欠落した【異世界】としか言いようがない。刑事事件の不正犯罪に該当する1ヶ月以上もサボりでよくも彷徨き押し通す。
1ヶ月以上もサボりは確実に税金ドロボーの犯罪だくらいは知れ、【異世界】。
(結果、児童の夏休み開けの日を不正に休校にし、西暦2016年8月30日:火曜日までサボりだった。7月25日:月曜日から1ヶ月以上教師がサボり)

北隣【近藤】(仮:70~80代老女:西暦2016年)は、道路挟んだ西向い日神工業の道沿いの草むしりなんかしちゃうし。何度か見かけてるが、これが住居不法侵入罪にあたると判らない【異世界】なのかな。他人の土地の草を勝手にむしってはならないと知らない?完全に犯罪行為だよ。下手すると窃盗罪や器物損壊罪にもなる。他人の土地の所有物を勝手にむしって持ち去ったんだから。まあ、そこまで訴える人間はまずいないが、偏屈な人間なら訴えるよ。あまりにも執拗なら普通の人間ですら通報するね。
日神工業はその後で同じ所を草刈り機械みたいなので草刈ろうと彷徨いていたが、草刈り機で刈れる場所じゃないのは一目瞭然だから【異世界】の世界構造のかけ離れすぎがそういう異常行為にさせている。しかし、それは認識していたということになり、人がいる時にすら他人の土地の草を勝手にむしるなんて、北隣【近藤】(仮:70~80代老女:西暦2016年)の領域は本当に、規範意識の欠落した【異世界】だな。
だから、駐車場から西の道出入りしていたくせに、何故か門を開けて入ったり意味不明すぎる行為となる。大体、駐車場から西の道に出入りできるのに何故門があるのかも意味不明すぎるし。機能不全に陥りすぎた意味不明すぎる門も【異世界】だからだろ。

北隣【近藤】(仮:70~80代老女:西暦2016年)が動くのを中心にして、日神工業、この家の中と一斉にこちらのルーティン狙って総動員になるのやめて欲しいわ。異常総動員が激し過ぎて、呆気に取られるわ。世界がまともで現実なら、周囲が一斉にいきなりスイッチ入ったように総動員になるはずないとも判らない【異世界】なのか。

西暦2016年8月26日:金曜日は朝から【犯罪ストーカー近藤】の影響で全てが狂乱異常化し過ぎていて、本当に大変過ぎる。
まともな【この領域の】人間を見せてくれと本当に切実に思うくらいだ。
本当に静かにして欲しい。ここは栃木県宇都宮市のド田舎町なんだから。
全てインチキだと判っていてすら、静かな静かな周囲の状態が欲しくすらなるわ。―西暦2009年まではここまで酷くなかったのに。だからド田舎に住み続けてるんだろうが。
煩い騒がしいのは元から嫌いなんだよ。
殆ど人がいない(全然いないなら尚良い)静かな図書館みたいな場所(外の公園とか静かな木漏れ日の中で)で静かに本を読むみたいな状態を好む性質だったからな、元々。

北隣【近藤】(仮)ではやることなすことが犯罪行為になっているという証拠がどんどん致命的に積み重なっていくのみ。
北隣設定の末路は【犯罪ストーカー近藤】該当。
まさに【負の遺産・レガシィ】だ。

【A・Course・in・Miracles】で言う『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』という主要概念。仏教で言う意味に近い幻想。


8/29日
西暦2016年8月27日:土曜日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160827-OYT1T50094.html
医療事故遺族を「遺賊」…医療安全学会の講演で
医療事故の遺族を「遺賊」と表現した学会講演が波紋を呼んでいる。
参加者らの指摘を受けた日本医療安全学会は、「発言は不適切」とする声明を学会のサイトに公開した。こうした表現について、遺族らは「医療事故被害者への偏見につながる」と懸念している。
関係者によると、問題の発言があったのは、同学会が今年3月に東京都内で開いた学術集会の講演。登壇した男性は「遺賊が求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」などと話し、スライドにも同様の表現があったという。
「賊」は犯罪者を思わせる表現だとして、複数の参加者が発言内容を問題視。指摘を受けた会員有志が今月、対応を求める文書を同学会の理事長に提出した。学会は理事会で協議し、発言に対し、「社会へ貢献する民主的な良識の学術団体としては不適切であり、容認しない」とする声明文を26日、サイトに掲載した。
発言したとされる男性は取材に対し、「いわゆるモンスターペイシェント(理不尽な要求を繰り返す患者)を指したもので、現実にそういう人はいる。不適切な発言とは思っていない」と話した。学会のサイトによると、男性は代議員として名を連ねている。
医療事故の遺族で、患者と医療者の対話を促すNPO法人「架け橋」副理事長の川田綾子さんは講演の場に居合わせたといい、「医療事故の遺族を面白おかしく表現した言葉に場が笑いに包まれ、ショックでいたたまれなかった。学術的な場で使われる表現として疑問に思う」と話している。
以上ニュースから引用

医者の傲慢が顕著に表れたニュースだ。神経疑うわ。人間的な感情と感覚が欠落している。医者が自分の身だけが大事な証拠。患者の命を蔑ろにしすぎている証拠。医療全体が倫理、道徳、規範意識、モラルが著しく欠落しているから、医療ミスや犯罪ニュースばかり出てくる。


こんな倫理が欠落した医者ばかりでは不正が横行するのは当たり前。
以下の精神指定医の不正100人ニュースで、医者が自分の利己的な目的と都合で病気ではない人間を病気に仕立てあげるという事実が判明するだろう。制度自体が不正まみれということで、正常に機能しているはずがない。医者の組織、精神科医の組織全体で不正が基盤なのだということは簡単に窺える酷さだ。
この領域に不当な閉じ込められそうになったわけだ。この領域の心理学もユングの内容も知らない精神科医の実態だ。
医者による不当な閉じ込め作為、これでやっと終わるかな?

西暦2016年9月2日:金曜日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160902-OYT1T50116.html
精神指定医100人不正疑い…「相模原」関連も
全国の複数の医療機関の精神科医が、強制入院などの判断を行う「精神保健指定医」の資格を不正に取得していた疑いのあることが、厚生労働省の調査でわかった。
不正取得が疑われる医師とその指導医は計100人前後に上り、神奈川県相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件で、逮捕された容疑者の強制入院措置に関わった医師も含まれているという。
同省は、各医師の弁明を聞く聴聞の手続きを進めており、早ければ月内にも、処分の是非を決める同省の審議会部会を開く。
指定医を巡っては、昨年4月、聖マリアンナ医大病院(川崎市)で、11人が十分に治療に関わっていない患者を診療したと偽るなどして、資格を不正取得していたことが発覚。取得時に提出する症例リポートについて、複数の医師が同じ患者のものを使っていたが、厚労省の審査では見抜けなかった。このため、同省が過去5年間に申請された医師のリポートを調べていた。
以上ニュースから引用

西暦2016年9月3日:土曜日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160903-OYT1T50027.html
精神指定医不正疑惑、聖マリ医大でさらに2人
複数の医療機関の精神科医が「精神保健指定医」の資格を不正に取得した疑いがあり、関与した100人前後のうち、2人が川崎市の聖マリアンナ医大病院の医師(1人はすでに退職)だったことがわかった。
同病院では昨年、組織的な不正取得により計23人の指定医が資格を取り消されており、国や大学側の当時の調査が不十分だった疑いが強い。厚生労働省が各医師から事情を聞くなど調査している。
「調査に限界があり、新たに不正の疑いが出ていることは残念」。聖マリアンナ医大の幹部は8月下旬、読売新聞の取材に対し、こう話した。
同病院では昨年4月、医師11人が実際には診察していない患者の症例を使い回し、虚偽の症例リポートを提出するなどして、資格を不正取得していたことが発覚。その後、リポートに署名していた指導医も含めて計23人が指定医の資格を取り消された。
以上ニュースから引用






(『純粋理性批判・下巻/カント』から引用)

『道徳は、それ自体一つの体系をなすものであるが、しかし幸福はそうはいかない。幸福が体系を構成するとしたら、それは道徳性に厳密に対応して授けられている場合に限られる、だがかかることは、聡明な創造者にしてかつ世界の統治者であるような存在者の支配する可想界においてでなければ不可能である。理性は、かかる存在者と、我々が来世と見なさざるを得ないようなかかる可想界における生活とを想定せねばならない、さもないと道徳的法則を無価値な虚仮と見なさざるを得なくなる。同一の理性は、道徳的法則から生じる必然的成果を道徳的法則に結びつけるものであるが、もしかかる前提がないと、この必然的成果はまったく失われざるを得ないだろう。それだからこそ何びとも、道徳的法則を"命令"と見なすのである。しかし命令は、指図にア・プリオリに適合した結果を命令の規則と結びつけるのでなければ―換言すれば、かかる結果を生ぜしめたところの規則と結びつけるのでなければ、従ってまた"約束"と"威嚇"とを伴っているのでなければ、命令ではあり得ないだろう。しかしまた命令が、最高善としての必然的存在者、即ち合目的統一を可能ならしめ得るような唯一の存在者から出るのでなければ、命令は約束や威嚇を伴うこともできないであろう。
我々が、最高善の支配下にある理性的存在者と、かかる理性的存在者たちが道徳的法則に従って形成する集団とを考察の対象とする限り、かかるものを含む世界をライプニッツは"恩寵の国"と呼び、これを"自然の国"から区別した。かかる理性的存在者は、自然の国においても確かに道徳的法則に従いはするが、しかし彼等の行状の結果は、我々の感覚界における自然的経過に従ってのみ生じ得る。それだから我々が幸福をうけるに値いしない行為をすることによって、幸福にあずかることを自分から制限しない限り、我々はあらゆる幸福が我々を待ち設けている恩寵の国に住むわけである。そして自分は恩寵の国に住んでいる、という自覚が即ち理性の実践的に必然的な理念なのである。
実践的法則は、それが同時に行為の主観的根拠即ち主観的原則となる限り、"格律"と呼ばれる。道徳を、その純粋性と結果とに関して"判定"することは"理念"によって行われる、また道徳的法則に"随順"することは、"格律"に従って行われるのである。
我々は、我々の行状を挙げて道徳的格律に従わしめねばならぬ。しかしこのことは理性が、我々の最高目的に厳密に適合するような結果を、―それが此世における彼世におけるとを問わず、―道徳的法則なに従う行状に対して規定するような作用原因を、単なる理念にすぎぬ道徳的法則に結びつけるのでなければ不可能である。それだから神と、今は我々に見えないがしかし希望せられるような世界とがなければ、立派な道徳的理念も、なるほど賛同と讃嘆との対象にはなるであろうが、しかし行為の決意と実行とを促がす動機にならない。かかる理念は、およそ一切の理性的存在者にとって自然的でありまた同一の純粋理性によってア・プリオリに規定せられているところの必然的な全目的を完全に充足するものではないからである。
幸福だけでは、理性の立場から言って、とうてい完全な善ではあり得ない。理性は(我々の自然的傾向がいかに幸福を願おうとも)、幸福が幸福をうけるに値いすることと結びつかなければ、換言すれば、幸福が道徳的に立派な行状と結合していない限り、幸福を是認するものではない。しかし道徳と幸福をうけるに"値いすること"だけでも、まだまだ完全な善ではない。善を全うするためには、実際に幸福にあずかることを希望し得ねばならない。個人的意図にはいっさいかかわらぬ理性であっても、自分自身の関心をいささかも顧慮することなく一切の幸福を他の人々に頒ち与えざるを得ないような存在者の立場に身を置くならば、これ以外に判断のしようがあるまい、[完全な善という]かかる実践的理念においては、この両要素が本質的に結合しているからである。しかしその場合には、道徳的心意が条件になって幸福にあずかることを初めて可能にするのであって、逆に幸福への期待が道徳的心意をまず可能にするのではない。もしあとの場合だとすると、かかる心意は道徳的でなくなり、従ってまた完全な幸福に値いしないことになる。幸福が理性の前でみずから制限を認めるとすれば、それは我々自身の不道徳的な行状に由来する制限にほかならない。
それだから幸福は、理性的存在者の道徳に―即ちそれによって幸福をうけるに値いするものとなるところの道徳に、厳密に対応するものである。』
(『純粋理性批判・下巻/カント』から引用)

道徳と倫理がきちんと機能している世界では、中世ヨーロッパのような閉じ込める強硬的な精神科医が全く成立できないと解るとよいのだが。
精神主義者レベルというものが何なのか少しはこの原始的領域に浸透すればだいぶこちらは楽なのだがな。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(20)
【A Course in Miracles】
不正横行の倫理欠落の特別性
西暦2016年9月3日:土曜日


西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
西暦2016年前半
(17)【A Course in Miracles】虐げの連鎖を作る特別性
(18)【A Course in Miracles】屈服と支配―高位の特別性
(19)【A Course in Miracles】違いで高さを死守する特別性
(20)【A Course in Miracles】絶対強者勝利=楽園の特別性
(21)【A Course in Miracles】弱者を踏み躙る楽園の特別性
(22)【A Course in Miracles】罪の悪循環の輪に陥る特別性
(23)【A Course in Miracles】異常者を作る特別性の末路
(24)【A Course in Miracles】特別性の中に真の救いはない
(25)【A Course in Miracles】特権で不都合を排する特別性
(26)【A Course in Miracles】不条理は楽園の特別性が作る
(27)【A Course in Miracles】不公平な楽園の特別性の歪み
(28)【A Course in Miracles】不当な発言力と特権の特別性
(29)【A Course in Miracles】矛盾を正当化させる特別性
(30)【A Course in Miracles】特別性で矛盾を覆い隠す結果
(31)【A Course in Miracles】因果の結果を受け取る特別性
(32)【A Course in Miracles】肯定法の巧妙な悪用の特別性
(33)【A Course in Miracles】信用破綻へと自滅する特別性
(34)【A Course in Miracles】低レベルへ堕とされた特別性
(35)【A Course in Miracles】特別性で操った結果の末路
(36)【A Course in Miracles】ハリボテの特別性の限界
(37)【A Course in Miracles】自分ルールの正当化の特別性
(38)【A Course in Miracles】自己中心的特別性の崩壊
(39)【A Course in Miracles】天使の姿で欺く特別性の正体
(40)【A Course in Miracles】不正の合法の正当化の特別性
(41)【A Course in Miracles】陥れれば自ら堕ちる特別性
(42)【A Course in Miracles】堕ちた偶像を死守する特別性
(43)【A Course in Miracles】空中楼閣の特別性の末路
(44)【A Course in Miracles】倫理が欠如した特別性の世界
(45)【A Course in Miracles】世界構造が違う特別性の結末

西暦2016年後半
(1)【A Course in Miracles】特別性の無法領域と外的法則
(2)【A Course in Miracles】排他的思考の特別性の大誤算
(3)【A Course in Miracles】蒔いた種を刈り取る特別性
(4)【A Course in Miracles】黒を白と言わせる特別性
(5)【A Course in Miracles】獣レベルの領域の特別性
(6)【A Course in Miracles】他を犠牲にして利する特別性
(7)【A Course in Miracles】無法地帯の特別性の異常影響
(8)【A Course in Miracles】原始的概念の領域の特別性
(9)【A Course in Miracles】無秩序・無法地帯の特別性
(10)【A Course in Miracles】他者否定・自己肯定の特別性
(11)【A Course in Miracles】倫理欠如の特別性の異常影響
(12)【A Course in Miracles】冠に縛られる特別性のヒズミ
(13)【A Course in Miracles】詭弁的悪政の特別性
(14)【A Course in Miracles】人間性欠落の特別性の領域
(15)【A Course in Miracles】仕掛けの報いを受取る特別性
(16)【A Course in Miracles】外観で欺き歪める特別性
(17)【A Course in Miracles】我欲を押し通す特別性の世界
(18)【A Course in Miracles】情報の歪みの正当化の特別性
(19)【A Course in Miracles】人間的理性欠落の特別性領域

西暦2015年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html

西暦2016年(年号:平成28年)
申(さる)年現在

【佐藤篤代について】

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。


[佐藤篤代]

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2016年)
佐藤篤代は西暦2016年1月17日(日曜日)で40才
栃木県宇都宮市のド田舎生れずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

西暦2016年版プロフィール
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111502426.html

43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html













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不正横行の倫理欠落の特別性
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